三好達治

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「三好達治」の項目を執筆しています。

――あらほんと、鉄砲が欲しいわね。

――……………

――ね、鉄砲が欲しくない?

――ええ、さう……、鉄砲も欲しいですね。


三好達治(みよしたつじ、1900年8月23日 - 1964年4月5日)は、今日では昭和期の最も偉大な抒情詩人の一人として知られている。

少年時代

三好達治は、大阪の印刷屋の息子として生まれたが、6歳のときに京都の家に養子に出され、さらにそこで愛想をつかされ、最終的に兵庫の祖母に引き取られてそこで育った。尋常小学校に入学後一年と経たずに神経衰弱に陥り、11歳になるまで長く休学し、布団の中で「僕は死ぬ、僕は死ぬ」とうわごとのように繰り返す日々が続いた。大阪に戻り、学校に入りなおしてからは、昼は竹久夢二の絵をうっとりと眺め、夜は漱石の小説を読みふけり、時折俳句を詠んだ。

その鹿の死骸は、自分の世界から抜け出ることが出来ない孤独な少年の心を捉えてはなさなかった。木挽小屋の軒で見つけたそれは、恐怖に澄んだ目をパッチリと見開いて、脚をステッキのように伸ばして、確かに死んでいたのだった。少年は、淡墨色の毛並みの大腿骨の辺りの傷の、椿の花より紅いにその指を浸した。「おい、坊。」と肩をつかむ大きな手を払いのけ、死骸に見入るその目には、光がなく、まさにインク壷の夜のごとき真っ暗闇であった。何処からか葱がつんと香った。三椏の花が咲き、小屋の水車が大きく廻っていた。

少年は死んだを地面にたたきつけ、夜明けに人の死んだという湖水に遊び、成長した。

に魅入られた少年はやがて成人し、陸軍士官学校に入った。銃剣道に励む生真面目な軍人であった彼は、突如脱走し、樺太に向かった。北海道で捕縛された詩人は、陸軍衛戌刑務所の中で、一面真っ白な雪景色を思い返し、ため息を漏らした。白いが血だまりを鮮やかにし、戦友の体を覆っていくイメージはあまりに魅惑的で、軍人への道を完全に断たれてもなお頭にこびりついて離れなかった。

達治の陸軍士官学校中退後まもなく家は没落するも、彼は神戸の伯母に学費を頼り、京都第三高等学校文科に入学し、同学年の丸山薫の影響を受けて本格的に詩作を始める。

『雪』
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

もはや全く動かなくなった少年の上にしんしんと雪の降る美しさ。詩人がこの詩で伝えたかったことはただそれだけである。罪なき兄弟を手にかけたことへの悔恨など微塵もない。ただ二人の傍に立って、夢にまで見た風景を恍惚のまなざしで見つめ、やがて去る。降り積もる雪が、二人の少年の体を隠し、詩人の痕跡を消し去ってしまう。


『土』
蟻が
蝶の羽をひいて行く
ああ
ヨットのやうだ

子供のごときみずみずしい感性がこの詩を生んだと考えるのはあまりに浅はかである。傷ついたが地面に横たわっている。それにが群がり、頑丈なあごでその美しい羽を無残にも齧り取り、生きる望みを完全に断たれた胴体を残して帰っていく。詩人は失われゆく美しいものを一心に眺める。ノートに幼い子供のような比喩を書き留める。蟻が去ってしまうと、残された胴体が、震え、息絶え、朽ちてゆくのをじっと眺める。思わず漏らしてしまった吐息は、幸福感に満ちている。


『雪』
十一月の夜をこめて 雪はふる 雪はふる
黄色なランプの灯の洩れる 私の窓にたづね寄る 雪の子供ら
小さな手が玻璃戸を敲く 玻璃戸を敲く 敲く さうしてそこに
息絶える 私は聴く 彼らの歌の 静謐 静謐 静謐

黄色いランプの薄ぼんやりとした灯りの下で思索にふける一人の詩人。外では雪が降り続いている。凍えた子供たちが、助けを求めて戸を敲く。最初は力強かった音が、だんだんまばらになり、かすかなものになってゆく。幼い命の灯火が消えるのを詩人はじっと待つ。あえて手は出さない。最後の一人がついに息絶えたあとの究極の静寂を、詩人は心から愉しむ。ただひたすら待つというその姿勢が、自ら手を下すよりもかえっていっそう悪魔的である。

若き詩人は両手を紅く染めながら、理想の風景を追い続けた。

駱駝の瘤にまたがって

『駱駝の瘤にまたがつて』(一部)
えたいのしれない駱駝の背中にゆさぶられて
おれは地球のむかふからやつてきた旅人だ
病気あがりの三日月が砂丘の上に落ちかかる
そんな天幕テントの間からおれはふらふらやつてきた仲間の一人だ
何といふ目あてもなしに
ふらふらそこらをうろついてきた育ちのわるい身なし児だ
ててなし児だ
合鍵つくりをふり出しに
抜き取り騙り掻払かっぱらひ樽ころがしまでやつてきた

不惑の年を迎え、自分がいかに罪深い存在かを理解した詩人は、死からなるべく遠ざかって自らを律し、もっぱら身近な自然や中国の古典の世界に遊んだ。その一方で過去の己の過ちを省み、上のようなあからさまな独白の歌を作っていた。しかしながら、その目的は、悔い改めることでは決してなかった。彼の犯した罪は、「合鍵つくり」や「抜き取り」「騙り」「掻払ひ」「樽ころがし」などよりもはるかに重く残虐であるが、詩において肝心のそれには一切触れられていない。その上、作者を代弁する旅人の口調は、自らの忌まわしい過去を反省するどころかむしろ誇っているようですらある。詩人は過去を振り返ることにより自らを思想的に束縛したわけではなく、それによってかえって自由になったのであった。


『鳥語』(一部)
 私の窓に吊るされた白い鸚鵡は、その片脚を古い鎖で繋がれた金環のもうすつかり錆びた円周を終日齧りながら、時としてふと、何か気紛れな遠い方向に空虚なものを感じたやうに、いつもきまつて同じ一つの言葉を叫ぶ。
――ワタシハヒトヲコロシタノダガ……。

高品質の作品を次々に発表する抒情詩の巨人という名声の確立した詩人の血にまみれた独白を信じるものはおらず、忌まわしき作品群はロマンの結晶として片付けられた。三好達治はボードレールメリメの翻訳をしながら静かに余生を送り、昭和39年4月5日、63歳で安らかにこの世を去った。今日に至るまで、彼の作品は多くの人に愛され、口ずさまれているが、その中に悪魔に魅入られし邪悪な魂の感動に打ち震える様を見るものはいない。誰一人。