九艘泊

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九艘泊クソだまり、くそうどまり)とは、むつ市の漁港である。

概要[編集]

陸奥国下北半島に位置する漁村の一つで、現在でこそむつ市脇野沢九艘泊という(あざ)に格下げされてしまったものの、昔は立派な村だったのである。そんな九艘泊という村名の由来には、以下のものがある。

判官贔屓
実は源義経は平泉で死んでなどなく、奥州から蝦夷地樺太を経てモンゴルへと渡り、チンギス・ハーンとなったという伝承があり、命からがら落ち延びてきた義経ご一行様に九艘のを献上したために九艘泊という名を授かったという説である。……というのは単なる美談であり、実際のところは当時陸奥湾で暴れ回っていた海賊たちが拿捕してきた漁船をここに隠しておいただけの話である、という異説もある。
海の難所説
基本的に陸奥湾内は波も穏やかなのであるが、この海域だけは地形の関係からかよく時化ることがあり、波待ち(一時避難)のためにこの漁港を利用したと言われており、十艘中九艘(90%)がここで停泊するという確率および統計から、九艘泊と呼ばれたという説である。そして、泊まらなかった一艘は大抵難破し、目も当てられない結末を迎えるのであった。
「……だから言ったのに……」
無謀な出航 について、村人

確執[編集]

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遠交近攻とはよく言ったもので、なぜか隣り同士というのは仲が悪い[不要出典]ものである。そんな訳で隣接する脇野沢村とは対立関係にあった。主にタラ(陸奥湾における主要海産物の一つ)の漁獲量やねぶたの華やかさ、駆除したニホンザルの頭数など、じつにどうでもいいことに端を発し、果ては殺したり殺されたりするまでの濃密な関係を保ち続けていた。そんな波乱万丈な歴史の中で何度か国割り(くにわ-、要するに自治体単位の区画整理)が行なわれたが、いつも脇野沢村九艘泊字とされてしまい、その後一度として村として認められたことはなかったのであった。これもきっと、かつて源頼朝に逆らった(義経に船を献上した)事を根に持たれているせいなのかも知れない。が、鎌倉幕府が滅亡して室町幕府になっても、江戸幕府になっても何故か九艘泊は字のまま、ずっと格下として扱われ続けて来たのであった。そんな中でささやかな優越感に浸っていた脇野沢村も、2005年にむつ市に編入されてしまい、としての(吹けば飛ぶような)地位はなかったことにされてしまったのであった。

ザマ見ろ。

現代[編集]

相も変わらず、むつ市において脇野沢地区と九艘泊地区は激しく喧嘩したり気まぐれに仲直りしたり、意地を張り合ったり足を引っ張り合ったり、仲良くやっているようである。青森市函館市行きのフェリーが脇野沢から出ている[要今はどうなんだろう?]ため、出航時間までの暇潰しにふらりと遊びに来る物好きが、たまにいたりいなかったりする程度の賑わいを見せている。

誰だ「クソだまり」とか呼んでいるヤツは。

関連項目[編集]