仙台市地下鉄東西線

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仙台市地下鉄東西線(せんだいしちかてつとうざいせんj)は、百万都市・仙台市が全国に誇る赤字垂れ流し路線である。

沿革[編集]

仙台の東西を結ぶ公共交通機関の必要性は、高度経済成長期の頃から議論されてきたが、仙台の複雑怪奇な地形や国鉄の財政難や元々貧弱な仙台市の財政等の問題もあり、遅々として進まなかった。 しかし、元々貧弱な道路網および交通網のせいで渋滞が頻発して都市機能は瀕死の状態となった。仙台市としては取りあえず邪魔な市電を撤去すれば、道路が広く使えるようになるので渋滞も消えるよね…という思いつきで、市電を廃止してみた。しかし渋滞はますます深刻になり、真面目に公共交通機関を整備しないと駄目なんじゃないですか的雰囲気が形成された。

仙台市では南北を結ぶ交通軸「タテの線」と東西を結ぶ交通軸「ヨコの線」の公共交通機関を建設することを決定。南北を結ぶ線は地下鉄を建設するということでまとまった。

一方で東西を結ぶ「ヨコの線」はなかなか話がまとまらなかった。

プランA 秋保と八木山を結ぶモノレールおよび八木山から仙台、六丁の目方面を結ぶ地下鉄東西線
プランB 仙台駅の東側で市街地を分断している仙石線を地下化して、ついでに仙台駅以西に乗り入れ西公園のあたりにターミナルを建設、青葉山・八木山方面へ向かうモノレールを建設して接続
プランC 長町から秋保まで鉄道を復活して旧秋保町方面を任せ、仙山線の利便性を高くして旧宮城町方面を任せる

これらの計画には、1989年に仙台市が政令指定都市となるために数合わせ目的で合併した、宮城町や秋保町から「見返り」を求められた事も背景として存在する。(泉市を泉区として合併する代わりに、仙台市地下鉄南北線を泉中央まで延伸した経過があった)また当時の技術では青葉山~八木山方面を地下鉄で結ぼうとすると、急勾配に対応するのが難しかったことや、広瀬川の地下から川内地区(「せんだい」ではなく「かわうち」)のあたりで大きな出水による難工事が見込まれ、見積もりとして算出された工事費が大変な金額になり、東西線計画は進まなかった。

そこで考えられたのがモノレールであるのだが、モノレールは役人がいくら知恵を絞っても試算結果が黒字にならなかったので、無かったこととなった。仙石線地下化計画は東西交通軸の話とは分離されて、実行されることになった。こうして地下鉄東西線計画のみが具体化され、2000年には八木山~荒井間のルートが正式決定された。建設費をケチるために南北線やJRと違う規格(リニア式)にしたことから、それら既存路線との直通運転が不可能になった。一方で新方式の地下鉄導入により、アクロバティックな高低差に対応可能となった。

この頃には既に東西線の需給予測を疑問視する声が上がっており、2005年の仙台市長選挙では、東西線の建設の是非が争点となった。

この市長選挙には6名が立候補したが、建設賛成の候補は1名、反対もしくは再検討を主張する候補は5名であった。結果、言うまでもなく建設慎重派は自滅し、東西線建設が事実上決定したのである(得票数は賛成派候補14万に対し、慎重派候補5名の総計20万)。なお、当選した市長は後に東西線建設のためのケヤキ並木移植について問われ「50年以上の老木ですが伐採しないでどこかに植え替えて下さい」とケヤキ並木に懇願された」と真剣な表情で話したと報じられ、市長はカルトの手先だったのではないかと噂になった。

ルート選定経緯[編集]

仙台市や宮城県で偉い人は多くが仙台市内の二大名門校である「仙台一高」か「仙台二高」の出身者である。お偉い皆さんは「後輩たちが楽に通学できるように、地下鉄の新路線は我らが母校の前を通るようにしよう」と決めてしまった。お偉い皆さんはそれらの高校を卒業して東北大学に進学した人が多く「後輩たちが楽に通学できるように(以下略)」となった。そんな話し合いが行なわれている所に「ベニーランドに行きたい」という声もあったので、西側の終点は八木山ということになった。さすがに駅名を「ベニーランド前」にするのは気が引けたので「八木山動物公園前」にした。藩政時代以来の歴史を誇る仙台経済界のボスである藤崎様が「うちの店の前に駅を作れ」と主張したので「青葉通一番町」駅が設置されることになった。

着工から完成[編集]

2003年の事業許可時、仙台市は需給予測を11万8千/日と試算していた。これに対し、仙台市民オンブズマンは東西線建設差し止めを求めて裁判に持ち込んだ。2012年に原告側敗訴が確定すると、仙台市は需給予測を7万9千/日に下方修正して批判を浴びた。2011年東日本大震災により、地下鉄の安全性の高さは実証されていたが、東西線の必要性を疑問視する声は燻り続け、開業にこぎつけた2015年度の需給が5万4千/日にとどまったことで「何でこんなものを造ったんだ」というケヤキの精の怨念が噴出した。仙台市地下鉄東西線は西から東へ、東から西へ、新鮮な空気を運ぶという重大任務を遂行しながら、現在に至っている。



東西線で押しくらまんじゅう.jpg この「仙台市地下鉄東西線」は、混雑がひどく、両数を増やす案が出ています。両数を増やして下さる協力者を求めています。  (Portal:スタブ)