佐藤春夫

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あなたは大和の国の佐藤春夫という偉い作家をご存知でしょう。何ですって。いえ、きっと御存知のはずです。その人は、明治から昭和にかけて幸福に生きた人です。そのころにはこの我々の世界にも、きれいなものがもっとたくさんあったものと見えます。色とりどりのネクタイ、ぴかぴかの万年筆、細かな彫刻の入った格好いいライター、油絵の具より色の濃い羽をつけた南米のの標本、そのほかたくさんの美しいおもちゃを佐藤春夫は愛しました。佐藤春夫のお母さんは、明治25年、流れ星のごとく躍り出た黒い西班牙犬が瞬く間に人間に変身したのに抱かれた夢を見て、この大作家を孕んだのでした。この犬男の精を享けて生まれてきた人は自然とほかの人と変わっていました。目がぎょろぎょろとして、鼻面が長くて、どうものような顔だったのです。

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第一章 蝗の大旅行[編集]

ロマンチスト

佐藤春夫は和歌山の県立中学校在学中より創作に励み、若くして多くの作品をさまざまな文芸誌に発表しました。慶応義塾では、なんとも幸福にして、かの有名な永井荷風先生に教えを賜りました。当時の偉い人で、有名な作家として『新小説』懸賞応募作の選考の役目を務めていた生田長江という人は、佐藤春夫のを一目見るとその只者で無いのに気づきました。慶応義塾をやめてしまって新劇の女優と同棲していた佐藤春夫は幸福にしてたちまち認められ、芥川龍之介をはじめ多くの俊才たちと交流する中で、少し年上の谷崎様から幸福にして大変なご寵愛を受けることとなったのです。谷崎様は東京大学を中退しておられる関係で、ほぼ同期でありながら一人だけ上のほうに座っておられましたが、佐藤春夫とお遊びになるのを楽しく思し召すようになり、非常に長いお付き合いをなさいました。

ところがある日のこと、谷崎様は関西の大邸宅で、珍しくも無いお酒盛りをはじめておられましたが、あまり退屈だったので、下戸の佐藤春夫をお召しになって無理やりを飲ませ、死人のように打ち倒れている彼に歌を詠むように命じたのでした。佐藤春夫は泥酔していたにもかかわらず、が糸を引くようにすらすらと一篇の詩を書き、朗々と吟じました。

むかし思へばおどろ髪
油もつけず梳きもせず
ひとたび君に凭り伏して
わが身いとしやここかしこ

それは今思えば中国の民謡の和訳でしたが、あたかも作家自身の言葉のように、それはそれは美しく響いたのでした。谷崎様の横で聞いておられた妃のお千代夫人は、あでやかに頷いて輝くように笑いました。その意味を了解した谷崎様は大変お怒りになって、直ちに佐藤春夫を外に放り出しました。

無類の女好きでいらした谷崎様は、お妃と同時に妹君もまた愛しておられ、それを知っていた佐藤春夫は、千代子妃に同情するうちに自然と深く愛するようになっていたのでした。絶交されてからというもの、佐藤春夫は毎日のように彼女のことを思い、夕餉の秋刀魚に熱き涙をしたたらせました。そしてある秋の夜、切なさに耐えかねて、ついに佐藤春夫は谷崎邸の池に身を投げたのでした。

第二章 穴子の大遊泳[編集]

魚のごとき君なりき。

敗れて身投げした佐藤春夫は、水の中で目を覚ましました。そしてすぐさま、自身が一匹のになっていることに気づいたのです!あっけにとられて呆然としていると、突然優しい声が呼びかけました。

「魚の佐藤春夫よ。私は仙人である。」佐藤春夫が振り返ってみますと、牛乳瓶の底のような眼鏡をかけて、あごのしゃくれた変な顔が、満面の笑みをたたえているのでした。

「さては、永井先生でございましたか。」佐藤春夫はお辞儀をしようとして、少し泳いでしまいました。「それでここはいったい何処なのでしょうか。そうして、私が息をするたび口の中に流れ込む、この胸の焼けるような液体は何なのでしょうか。」

「それか、それはな、私の大好きな酒だ。魚の佐藤春夫よ、お前は学生時代より自分の才を自負するあまり、不羈放埓の行のみ多く、挙句の果てに俗界にて人の妻を娶らんとした罰によりその姿に変えられた。しかしながら私の寛大なる計らいによって、お前は幸福にして、私の酒の河の中にいるのだ。お前はどうもストリップは好かないようだから、女の河はやめにしたのだ。」と、荷風はさも嬉しそうに答えました。

「かの謫仙人李太白ならさぞかし喜んだことでしょう。しかし先生、私はたいへんな下戸なのです。」佐藤春夫はおずおずと言いました。

「知っている。にもかかわらず何故こんなことをしたかというと、本当は私はお前のことが嫌いだからよ。」と言って、荷風は高らかに笑いました。

話を聞いている間にも佐藤春夫の口の中には絶えず酒が入ってきて、胸の具合は相当悪くなって行きました。そして彼が今にも清酒の中にきたないものを漏らさんとしたそのとき、金色に光る小さな何者かが後ろから呼びかけました。「申し申し、先生。」佐藤春夫が勇気を出して振り返ると、それは金色のなのでした。日ごろ机の近くに置いて大事にしていたのを、客人をもてなすべく飲めない酒の代金に売ってしまったのです。思わぬところでの再開に涙を禁じえない佐藤春夫に、亀は優しく言いました。

「前の日のご恩返しに、先生を案内させてください。」これでやっと人に戻れると安心して、佐藤春夫はおとなしく亀について行きました。亀が佐藤春夫を大きな大きなの上に導くと、途端に鯨が潮を吹き、彼らを吹き飛ばしました。金の亀は幸福にしてになりましたが、佐藤春夫は地べたに落ちて気を失いました。

第三章 女子の大行進[編集]

気がつくと佐藤春夫は素裸で高いところにある円い台に載せられていました。下に見える講壇の後方には彼の筆跡が拡大されてくっきり浮かんでいました。

野ゆき山ゆき海辺ゆき
真ひるの丘べ花を敷き
つぶら瞳の君ゆゑに
うれひは青し空よりも。

壇に立った後援者が熱弁をふるいます。「この患者は応募者中最も特色のあるもので、それ故この実験の最初の被験者に択ばれました。この患者の記述の中でも最も難解なる『うれひ』という言葉は、20世紀位まで使用され、今日では廃された卑語でありますが、それをこの患者が知っているのははなはだ不可解です。」はて、今は何世紀だったかと佐藤春夫が首をひねったのもつかの間、円い手術台が幾度となく回転し、それが終わったときには佐藤春夫の手はこわばって青色を呈し、指はぺらぺらに、体が地面にほとんど埋まって身長が3分の1ほどになっていました。

手にはとられず目には見られず。

「実験成功。薔薇科の植物です!」手術者が言うやいなや大きな拍手が会場内に沸き起こりました。間もなく佐藤春夫は誰かに買い取られましたが、それがおそらく中年男だと本能的に感じ取り、包装紙の中でひどく落胆しました。包装を解かれてみると買い手はなんと谷崎様でありました。谷崎様は薔薇を湯殿の前に置いておかれました。

薔薇の佐藤春夫は、これから毎晩谷崎様のよくお肥えになったお体を拝見せねばならないのをたまらなく悔しく思いましたが、その晩最初に湯殿から出てきたのは女性でした。佐藤春夫がそちらを見ますと、なんということでしょうあれほど恋い慕った女性が白い裸身を目の前にさらしているではありませんか! 幸福にしてついに千代子夫人と再会した佐藤春夫は、思わずそのむらさきの葡萄の玉のごとき露にじむ乳房にその葉で触れました。湯あがりをうれしき人になぶられて夫人が恍惚となったそのとき、憤怒の形相で脱衣所の戸を引き開けたのは谷崎様でした。 「そうではないかと思っていたが、やはり貴様だったか。一度放り出されたというのにすごい執念だ、仕方ない、その女お前にやる。」こういって、谷崎様は新しい女性を両脇に随えてどこかに行っておしまいになりました。

こうして何とも幸福にして、愛する女性を手に入れた佐藤春夫は、英吉利絵本から抜け出たような美しい邸宅を建ててそこに二人で暮らしました。佐藤春夫を訪れる門弟の数は三千人を超しましたが、肝心の師が薔薇になっていたので、皆ただ門を出たり入ったりするばかりでした。そんな幸福な日々を送っていた佐藤春夫でしたが、ある日突然谷崎様が押しかけなさり、佐藤春夫夫人となった千代子を無理やり連れて行こうとなさいました。二階の寝室で鉢に植えた夫に愛をささやいていた夫人は、あわてて逃げ惑った拍子に鉢をベランダから取り落としてしまったのです。谷崎様は逃げるようにお帰りになりましたが、その後狂ったようになって『春琴抄』などをお書きになったといいます。薔薇はぐんぐん墜落していましたが、地に叩きつけられる前に気が遠くなりました。・・・・・・

エピローグ[編集]

昭和39年、72歳の佐藤春夫は、マイクから一時顔を背け、マントルピースの上のこまごまとした収集品をうっとりと眺めました。これまで私は、この美しい世界でずっと長いこと遊んでこられて、なんと幸福であったことだろう、と心から思いながら。大作家は老いて、これまでの人生を振り返り、7日分のラジオ番組に全て詰め込もうとしていたのです。佐藤春夫は再びマイクに向けて新たに言葉を続けました。「私は幸福にして、」佐藤春夫は幸福にして、再び人の姿に返ることができていたのでした。そのときふいに胸が苦しくなりました。それは恋のように激しい痛みでした。佐藤春夫の体は前のめりに倒れましたが、その顔には薔薇の半分開いたような笑みが浮かんでいました。この繊細なる老人のいのちが尽きるのと時を同じくして、庭のマロニエのつぼみがひとつ静かに落ちたのに気づいた人は誰もありませんでした。

外部リンク[編集]