何進

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何進(かしん、生年不詳 - 189年)は、中国後漢末期の肉屋。字は遂高、南陽宛の人。父は何真、継弟に何苗、子は何咸で孫は何晏。宮廷宦官を通して肉を売っていた所、別に売り物ではなかった筈の肉がたまたま霊帝の目に留まり、大将軍となった。

肉屋から大将軍へ[編集]

洛陽で肉屋を経営していた何進はある時、取引先の宮廷宦官であった郭勝から、宮廷に肉を出荷してみないかとの商談を持ちかけられた。指定された肉は商品という訳ではなかったが、多少ながら商売の好転は確実という美味しい取引であったため、何進はこれを承諾する。まずはそこそこの謝礼金を得て、とりあえずの元は取れたかと思っていた何進であったが、驚くことに彼の出荷した肉が霊帝のお気に入りとなり、彼は霊帝付きの肉屋として大将軍にまで出世する事となった。

こうして一介の肉屋から大将軍という異例の出世を果たした何進であったが、宮廷にはまだ霊帝の父が好んだ肉が置いてあり、これが何進の出した肉とまるで合わない性質であったため、どちらの肉を残すかで大紛争が起こる事となった。既に先帝は亡くなって久しくはあったが、その好んだ肉をやすやすと放り出して良いものかと、宮廷の意見が真っ二つに分かれた。特に先帝の肉を捌いて利を得ていた者達は何進と派手に対立し、その筆頭格であった蹇碩が強攻策で彼を抹殺しようとする。が、宮廷の宦官達は、これからの時代は亡き先帝の好んだ肉よりも霊帝の好みの肉を扱った方が利が強いと判断し、土壇場でほとんどが何進の側につき、蹇碩は追放、先帝の肉も宮廷から処分された。

ミイラ取りがミイラ、肉屋が肉に[編集]

先帝の肉とそれに固執する一派を宮廷から掃討し、宮廷内における地位を確固たるものとした何進であったが、それまで先帝の肉にあやかって利を得ていた宦官達が、まるで当然のような顔をして自分の肉に群がって来るのがどうしても許せなかった。腐敗した後漢の宮廷を仕切っているのは事実上宦官であり、肉屋の更なる発展のためにも宦官を何とかしなければならないと考えた彼は、霊帝死後、袁紹董卓等の有力貴族と連携し、宦官を一掃しようと試みる。しかし、弟である車騎将軍の何苗が肉の支配権を持って宦官側についてしまったために上手く立ち回ることができず、計画を察知した宦官によって宮廷に入ったところを殺されてしまった。

死後[編集]

何進の死により、霊帝の肉の利は何苗と宦官達の独占状態になるかと思われたが、何進殺害に激怒した袁紹らにより宮廷は制圧され、宦官は一掃、何苗も戦死し、肉も処分されることとなった。

関連項目[編集]