利用者:かぼ/ウィキペディア

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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ウィキペディア (Wikipedia) とは、

  1. ソフトウェア開発会社有限会社 ウィキペディアのこと。自称百科事典に恨まれており、嫌がらせを受けている。⇒ウィキペディア (企業)を参照。
  2. アダルトビデオ作品「爆乳ウィキペディア」の通称。
  3. 自称百科事典のこと。クソの役にも立たない有害サイトとして知られる。当項目で説明
  4. ウィキマニアの開催元。
  5. その他の用法についてはウィキペディア (曖昧さ回避)を参照

ウィキペディアの新ロゴ。暗黒時代の始まりである
ウィキペディアの旧ロゴ。生まれたての無垢だった頃
成長途中のロゴ。
ウィキペディアの使う思想操作機(左)、情報官(右)。「ウィキペディアの信頼性はブリタニカ百科事典と同等である!!」

ウィキペディア (Wikipedia) とは、大企業の広報部が自社の商品の宣伝をしようと躍起になっていたり、固い頭を持つユーモア欠落症患者が集まり様々な事について真理を見出いだそうと日夜キーボードの前でヘッドバンギングをキメたりと当事者のウィキペディアンらは主張している、オンライン百科事典を自称する非常に悪質な宣伝サイト精神病患者隔離施設ポルノ画像投稿サイト犯行予告サイト、絶対的な教祖様を崇める新興宗教、自称オタクが作ったオタクのための「オタク百科事典」である。


概要[編集]

ポルノサイトの運営者であるジミー・ウェールズが性風俗の用語集として開設したWikiである。2001年1月15日より英語版が開始され、オープンコンテント形式で提供されている。その目的は世界のポルノサイトを喧伝し、ポルノ画像販売を事業としているボミス(ジミー・ウェールズが代表者)を筆頭としたポルノ業界の振興といたいけな利用者から寄付金をむしりとる事である。

近年、ウイキペディアは「2ちゃんねるの百科事典」とも言われる。実際、2ちゃんねるユーザーがウイキペディアの記事を話題にし、特攻とも言える強圧的な記事の書き換えを行った結果、特にサブカルチャーの記事において2ちゃんねらーのネタ投下辞典と化している。それに反発する一部のウィキペディアンとの間での醜い編集合戦こそが、ウィキペディアの原風景となっている。また、Googleと相互依存関係にある事から、「Googleの百科事典」とも言われる。日本独自の事情から「電通の百科事典」と言いまわされる事もある。それは、ウイキペディアに嘘でも何でもいいから、自分の会社の情報を書くとGoogleで高いレーティングが与えられ、検索結果として妥当性があろうともなかろうとも関係なくヒットするためである。

このことから、広告を目的にウィキペディアに執筆する企業は後をたたない[1]

参加者[編集]

英語版開設から現在にかけて、やたらめったらと無意味な記事の増殖と放置を繰り返した。現在は24時間営業で参加している執筆者の多くが何らかのオタクであり、ウィキペディア=自己表現の場となった。

特に一部の執筆者はウィキペディアの主旨に従って性科学ないし性風俗に関する記事の投稿、およびわいせつな画像の投稿を最優先としている。その他にも、自身の趣味をあがなうため、日々せっせとアニメテレビゲームマンガといったサブカルチャー媒体を、自分自身の価値観で埋め尽くすべく、それら作品の寸評や私的な感情をせっせと勤勉に書き込んでいる、もはや人とはいえなくなったナニカも多い。

人はそれをウィキペディアンと呼ぶ。

このウィキペディアンは、自らが廃人と化したオタクであることに無自覚であるから尚のこと質が悪い。百科事典を作るという高尚なプロジェクトの選ばれしメンバーであると妄想してようなのである。果てはオタク知識をひけらかすことをボランティアと言う。日本のオタク文化史上、引きこもりがオタ知識の自慢をすることを「ボランティア」と称した事例は他に知られていない。

もっとも、サブカルチャーには詳しいウィキペディアンも、それ以外の内容になるとてんで駄目である。まず教養がない。一見、哲学や芸術といったものについても詳しく書かれているように見えるが、それらはほとんどが外国語を翻訳したに過ぎない。履歴を見てみれば分かるが、サブカルチャー系の文章が日夜大量に編集を重ねているのに対し、哲学・芸術は一度書かれたら書かれっぱなしで以後見向きもされていない様子が窺える。

そして不足しているのが、ファッションや美容に関する記述であろう。日本の百貨店に行けばどこにでもあるようなファッション・アクセサリーブランドのフォリフォリが、なぜアンサイクロペディアンからの刺客によって起稿されるまで放置されていたのか、想像に難くない。引きこもりで女性とも話したことのないようなキモオタ童貞、あるいはファッションや化粧には全く関心のないブサ禁則事項ですは、そもそもこういった内容を書こうという発想すらないのである。

ちなみにポルノサイトとしての顔を持っていることからも分かるとおり、性に関する記述は不必要なまでに多い。しかしどれもこれも他所のポルノサイトかエロゲーの受け売りとしか思えない内容である。ポルノ画像も八割がたアダルトサイトからの転載であろう。あるアンサイクロペディアンがかつて、愛撫という記事に極めて優れた内容を投稿したことがあるが、実際に異性を愛撫した経験のないウィキペディアンたちによって「独自研究だ!(リア充許せねえ!)」と言われなき難癖を付けられて削除されてしまった。

内容の質[編集]

オタク知識を披露する延長で、様々なメインカルチャーに関する事柄や、科学政治経済哲学宗教芸術hydeの身長は156cmオカルトUMAUFO都市伝説や各種おまじないを含む)といった諸々の事象に関する記事も存在する。もちろん、これらの一見ヲタとは無関係な記事にまでせっせとヲタ項目へのリンクを貼付けることも忘れてはいない。

そして、概ねその内容は、カオス真理を内包している(→集合論)のと同様に、一応の客観的合理性を含むため、一部ではそこに記載された内容が、全面的に信頼に値する内容であると誤解されるが、スタージョンの法則によれば、その9割9分までもがカスである。

実際、ウィキペディアでは500以上の記事において正確性に疑問があることが指摘されているが、「一匹のゴキブリを見たら50匹いると思え」とする定理に従えば、指摘されていない記事も含めるとその数は50倍以上、すなわち2万ページを遥かに越えるのではないかとも考えられている。このような指摘に対してウィキペディアンたちは、「ウィキペディアのパロディサイトであるアンサイクロペディアと比較すれば、ウィキペディアのほうが信頼できる。だからウィキペディアは世界一だ!!」等と主張している。このいかにも非科学的な主張は、かつてよりワイドショーを騒がせて止まない新興宗教と同じにおいがする。

中立性を重視していると思われがちだが、利用者によって考え(どれが中立でどれが中立でないか)が違うため、百科事典に相応しくない記述が目立つ。そして、政治的、宗教的な記事になればなるほど、保護の名の下に情報は古いまま固定される傾向が強いため、世界各国の主要な政治家の記事の多くが、信頼性が低い。相当低い

一方で中立性を重視しすぎるあまり、腰が引けて何も書けなくなっている事例もまた多い。第二次世界大戦の記事などは良い例で、「概要」と称して開戦までの経過を不必要に詳述する一方で、総力戦であったとか、夥しい死者を生じたとか、核兵器が使用されたとか、第二次世界大戦を述べる上で重要な事柄が一切触れられていなかったのである。

文章の質[編集]

また彼らは堅苦しい表現を不必要なまでに大変好み、利用者の読み易さを度外視した改悪を行っている。例としては、文を全て「である」で終わらせてみたり、長ったらしいカタカナの専門用語を説明なしに多用したり、同じ事を何度も繰り返して書くといったパターンが多い。その結果として記事は恐ろしく冗長になってしまう。

もっとも、「である」でばかり終わるような文章は総じて中学生くらいの作文によく見られるもので、そのことからも彼らの文章力を垣間見ることが出来る。アンサイクロペディアでは、常に「である」で終わる文章を読みにくい文章に挙げているくらいだから、利用者の執筆力の差は明白であろう。加えてカタカナ語の多用は旧時代的な役人のすることである。実際、農林水産省の役人が、勤務時間中にガンダムについての妄想を垂れ流すという事件もあった。日本一のダメ官庁と田原総一郎に一蹴された農水省の窓際族が、よりによってオタク文化の象徴であるガンダムについて落書きしたという点で、ウィキペディアの実態を象徴する事件であった。

そして彼らは誤字脱字の是正から、彼ら独自の表記への統一などの非生産的な活動に大変熱心である。その行為を雑草とりと呼んで憚らず、とくに文末が「である」で終わらない文章を片っ端から「である」に変えている。しかしこの雑草とりの末に却って誤字脱字や表記の揺れが生じることも珍しくなく、雑草とりの雑草とり、そのまた雑草とりが行われることも珍しくない。「ゲーメスト」の編集部でもさすがに真似できない芸当である。

たしかに誤字脱字を正すことは良いことである。しかしそれは読む価値のある文章に対して言えることであった、オタク知識を並べただけのチラシの裏的な文章に対して、血眼になって誤字脱字を正す意味はないと言える。むしろごく稀に存在する名文を、雑草とりの名のもとに蹂躙していくほうが遥かに問題である。たとえるならば、一面の荒野で雑草とりすることに何ら意味はなく、その勢いで釧路湿原尾瀬の貴重や野草まで根こそぎ引っこ抜かれることのほうが不都合なのである。しかしこのような非生産的な活動について文句を言おうものなら、途端に袋叩きに遭ってしまう。

法的な問題[編集]

ウィキペディアでは日夜いくつも著作権侵害行為が行われてもいる。その数は当然アンサイクロペディアの比ではない。しかし彼らは卑劣にも証拠を隠滅したりして全力で訴えられるのを避けているため、今まで裁判沙汰になったことは一度も無い。このような行為は、飲酒運転事故を起こした犯罪者が危険運転致死傷罪で処罰されるのを回避する為に酒気が抜けるまで逃げ続ける行為と非常に似ており、責任を負おうとせずに逃げ続ける管理者や運営者の悪魔的な人格を象徴している。ウィキペディアの内部でこの事が問題視されないのは、利用者が極めて少ないことを意味している。

魔法[編集]

ウィキペディアで実際に使用されている闇魔法である。

コンボによる闇魔法[編集]

分割依頼と削除依頼はそもそも、通常魔法であるが、これを巧みに利用することにより、闇魔法化する高等コンボである。

気に食わない記事を削除する方法~分割と削除依頼[編集]

  1. まず、適当に記事を節ごとぐらいで、可読性とか、一貫が無いとかもっともらしい理由で、分割し細化する。
  2. その後、量も質も低い段階で「百科事典のレベル」に達していない記事だぁと言って、削除依頼に出す。
  3. 削除好きな方々10人ぐらいに投票をお願いして一週間後・・・
  4. バンザーイ、削除♪
  5. これを繰り返す

最近流行りつつある闇魔法―コメント依頼[編集]

気に食わない相手で、かつそれなりの者を50%ぐらいの確率で落とす呪文。コメント依頼。一見大したことなさそうな呪文だが、相手が活動暦の長いベテランユーザー、議論に積極的に参加するパワーユーザーであればあるほど、効果的である。相手の力を利用した呪文であるからである。

  1. まず、気に食わない相手の代表的な失点を10個ほど探す。
  2. コメント依頼で、どう思う?と皆に聞く。
  3. 皆が勝手に、それはあかんなぁと注意を与えてくれる。
  4. 対立しているユーザーが便乗して「ブロックも検討した方が良いのでは」と言ってくれる。
  5. その注意を成果としてまとめる。
  6. 再び同じ行為を相手が行えば。
  7. 投稿ブロック依頼へとコンボ。

また、途中で暴言を吐き自滅する相手も多く、ブロックまで追い込めずとも萎縮してウィキペディアから撤退するケースもあり、示威行動としてもかなり効果的な闇魔法である。

ウィキペディア (ソフトウェア開発会社)との対立[編集]

神奈川県厚木市に有限会社 ウィキペディア[1]という名称のソフトウェア開発会社が存在するが、この会社と自称オンライン百科事典のウィキペディアは名称が同じなだけであり繋がりは一切無い。

ところで、これはウィキペディアにおけるウィキペディア (企業)の削除記録である。自称事典においてウィキペディア (企業)は過去に3回(2008年5月時点)も削除されており、そのうち2回はウィキペディア (企業)の概要と業務内容を書いた至ってマトモな記事であり(分量・内容的に言えばインターネット (企業)とほぼ近い)、事典の削除基準から考えても決して「宣伝目的」(WP:CSD)と見なされ削除されるものではなかった。(こじつけであった)

では、なぜウィキペディア (企業)の記事はマトモであっても「宣伝目的」(または「百科事典の項目になる実績のない企業であり、載せる意味が無い)と見なされ削除されてしまうのか。

それは自称百科事典のウィキペディアがこの会社を(一方的に)敵視、また、その存在を世に知らしめたくないと思っているからである。仮に自称百科事典内でウィキペディア (企業)の記事の存続を許せば、ウィキペディアのwikipedia:ja:ウィキペディアの記事に「日本のソフトウェア会社についてはウィキペディア (企業)をご覧下さい」と誘導を貼らなくてはならない。これだけでもウィキペディアンが言うところの「宣伝」となってしまう。

もちろん、仮にウィキペディア (企業)の記事が作成されることが"結果的に"この企業の「宣伝」になったとしても、一オンライン百科事典が一企業の記事の存続を阻止することは決して許されることではない。

ウィキペディアンは閉鎖性と意地の悪さで満ち溢れているのである。これがウィキペディアの真の姿なのだ…

UnNews:管理者の陰謀か?ウィキペディアでウィキペディア (企業)の記事が削除されるを参照。

日本語版ウィキペディアの特徴[編集]

こんなに違うウィキペディア

日本のウィキペディア編集回数ランキングでアニメ・漫画が上位を独占していることが明らかになった。(2007年9月3日)

英語版では海外や歴史上の人物の編集が目立ち、フランス版では自国に関することが目立つのに対して、日本語版では20位の内約11個のページがアニメ関連の記事で、さらにはAV女優一覧が8位であり、これはウィキペディアンの頭がどれほど性欲に満ちているかを証明している。 さらには最近のできごと/削除が10位で、もはやウィキペディアの気に入らない物は削除の方針がこのような結果を残したと言える。

日本語版ウィキペディアの記事は90%がアニオタのウィキペディアンによって編集されているという異常性、もはや記事の信憑性など皆無に等しいだろう

ウィキペディアン達の終わらぬ戦争[編集]

ウィキペディアでは日夜激しい論争が巻き起こり、それは「闘い」と形容してなんら差し支えないものとなっている。意見の食い違う利用者が現れた際、彼らウィキペディアンの脳内に「理解」「協調」「融和」「妥協」という選択肢は存在しない。自身と考えを異にする者は、その瞬間「敵候補」となり、ウィキペディアン達は臨戦態勢に入るのである。

意見の食い違う編集者とエンカウントしてしまったものは、まず相手を刺激しないように「(挑発を交えた)対話」、もしくは「威嚇」「威力偵察」を行う。戦わずに自分の意見を通せるならそれでよし。しかし相手が引き下がらなかった場合に備えて、相手がどの程度の知能・話術・経験のある編集者なのかを見極める。そしてこの状況で「論争がおきずに事態が終結する」というケースはほぼ皆無であるといっていい。そのような場合は、はじめからどちらかの意見がよほど無理のあるものであった場合だけだ。

そして言わずもがなであるが、自身の意見や編集を否定されるという行為は、編集者にとってかなり腹立たしいものだ。なかには自身の存在を丸ごと否定されたような気持ちになるものもいるであろう。自身の編集は「自分というウィキペディアンの存在の証」。それを消される・否定されるということは、彼らにとって自分の命を脅かされることと同義である。つまりウィキペディアン達にとってウィキペディアとは息抜きの公共サイトではない。まごうことなき戦場なのだ。

アンサイクロペディアの平和な世界[編集]

しかし本サイト、アンサイクロペディアに置いてこのような傾向はまったく見られない。ノートでの話しあいはめったに見られず、利用者達の間に流れる空気はとても穏やかで弛緩したものだ。たまに文句を飛ばしてくる少数派がいるが、そんな少数派を力で強引に捻じ伏せたところで、ウィキペディアのように野党気取りのユーザーが「越権行為」と騒ぎ立てる事も無く、誰も気にしない。ウィキペディアが常時、内戦状態であるのに対し、ここアンサイクロペディアは隣国の戦乱などまるでどこ吹く風。凪の風情である。

ウィキペディアとアンサイクロペディア。共に辞書サイトであり、いわば異母兄弟の関係に当たるこの2つのサイトは、その趣をまったく異にしている。なぜか?その理由をウィキペディアンはこう答えるだろう、「アンサイクロペディアは不真面目なサイトだから」。たしかに一蹴できない意見だ。ウィキペディアがルールと規則でガチガチなのに対し、アンサイクロペディアの不文律はただ一つ、「面白けりゃ、何だっていい」。

ウィキペディアは良くも悪くも、「真面目」なのだ。よりよいものを、綺麗に丁寧に作り上げる。本人は非常に満足しているところに、「それはなんかダメだ、こっちにしよう」ともとあった自分の作り上げたものを叩き壊して作り直す、他人。いうなれば、ウィキペディアとは大きさが限られた公園の砂場なのだ。自分が作り上げた砂の城だからといって、その城をそのまま保存しておく権利は自分にはない。なぜならそこはみんなの砂場だからだ。言ってしまえば、彼らは独りよがりなのだ。編集者達の頭の中に、自分の編集を見る人間の存在はない。綺麗な城を作り上げて、自分が満足できればそれでいい。他人なんか関係ない。おとなしく観賞できないなら、それどころか自分の城を壊そうとするならば・・・。

あぁウィキペディアン[編集]

『お前達など追い出してやる!!ここは俺の砂場だッ!!!』

この考えこそがウィキペディア、およびウィキペディアンたちの本質なのだ・・・。自分の表現と他人の表現がかち合うのは、どこの宗教でも宗派争いとして存在している。はたから見れば両方バカなのだが、やっているもの同士は至極マジメ、その結果、たかが一記事の編集方針の話し合いに10万バイトもの無駄な労力を費やす姿こそ、人の皮をかぶったウィキペディアンたちの本来の姿なのだ。

それにたいして、アンサイクロペディアは他人のためのサイトだ。他人を笑わせ、他人を楽しませる。そのためのサイトだ。砂の城は自分だけで鑑賞して陶酔することが出来るが、いくら面白いネタを思いついても自分ひとりだけのコントショーなどつまらないことこの上無い。アンサイクロペディアとは、自分以外の他人がいないと成り立たないサイトなのである。記事の書き手は読み手を笑わせようとし、彼らが笑いで返してくれたならば、自身はもっと幸福な気持ちで満ち溢れる。内容についてぶつかることがあっても、笑顔か、もしくは苦笑しつつも調整、数万バイトもの話し合いはそれ自体が笑いの源泉として有効利用されるように、笑いが笑いを呼び、幸福が幸福を呼ぶ。この上なく理想的な循環を生み出すのだ。

ウィキペディアの煉獄を嘆くウィキペディアンたちの心の叫び[編集]

恐怖が悪意を生み、悪意が敵意を産み、敵意が殺意と暴力と死体の山を次々と膿んでゆく。そして殺意と暴力と死体の山が恐怖を熟む連鎖を繰り返すウィキペディアよ。ウィキペディアンにとって他人とは、いつ自分の編集を脅かすかわからない外敵であり、自分以外の編集者はすべからく「仮想敵」なのだ。その戦いと悪意の連鎖から抜け出したくとも『自分の編集が改変されているのではないか?削除されているのではないか?』という強迫観念で他の利用者たちを縛りつけ、自身の編集を防衛するという大義名分の下、その防衛本能を巧みに他者への攻撃性へと転化させられる。だれあろう、ウィキペディアによって。

そう、ウィキペディアとは息抜きの公共サイトなのではない。善意の活動場なのではない。辞書ですらない。ウィキペディアとはそれらの体裁を巧みに取り繕った戦争拡大システムであり、ネット上に現出したまごうことなき地獄なのだ。

この煉獄に、今も多くの人間たちが囚われ続けている。そのシステムの外からならば、我ら虜囚たるウィキペディアンの住む世界を俯瞰することができるだろう。自らの意思を手放し、システムの悪意の流れに身を任せるまま争う醜さが。その悲しさが。『本当は傷つけたくなどない、理解しあいたい』。そう嘆く、我らウィキペディアンの心の悲鳴が。そしてそれを消し飛ばすほどの、他者と世界へ向けた憤怒と怨嗟の絶叫が。

彼らを真に開放する手立ては、未だ存在しない。ウィキペディアンたちは救われない。彼らが自ら自身の心の醜さに気付かない限り、いつまでも。

ウィキペディアが滅ぶ、その日まで・・・

偉大なる管理者様[編集]

ウィキペディアの旧ロゴ。脳みそぎっしりのウィキペディア

しかし考えてみれば、確かにウィキペディアの姿勢はアンサイクロペディアと比べて惨憺(さんたん)たるものであるが、彼らの理念である「世界を堅苦しい表現にあふれさせること」から鑑みると、その行為は全くおかしいものではなく、むしろ目的達成のための当然の行為であるとも言える。

また、公正中立を謳っているため、誤った記事が削除されるという方針があるが、実際は削除されるどころか、白紙化&保護されている。この事の何が問題かと言うと、削除せずに白紙化する事によって、特別ページおけるカテゴリ「保護された記事」内に記事名が延々と存続し続ける為、hydeの身長は156cmのようにプライバシーを侵害する記事名が晒され続けるという重大な人権侵害が発生している点である。おそらく、ウィキペディアの管理者たちはこの問題点を分かっている上で白紙化を強行している、つまりかれらは愉快犯か、もしくはシステムの不備すら正せない弱者なのである。

さらに、ウィキペディアの管理者はウィキのいろいろな場所で相手の悪口を発言することが多い。ウィキペディアには他人に対する中傷を禁止するガイドラインが存在するが、完全に死文化しており、この禁則事項が適用される例と言えば、管理者に対する批判を書いた者を「悪質な荒らし」として処分する場合だけである。また敬語で丁寧な言い方であれば侮辱中傷には当たらないと思っている人間が多く、慇懃無礼な振る舞いが横行しているのもウィキペディアの特徴の一つである。


利用者を相次いで強制ボイコットさせるウィキペディアの管理者たちは非常識な人間としか言い様がない。鑑みると昆虫や哺乳類など、人間ですらない、話の通じない野蛮な畜生共が管理していることが伺える(ママ)。そんな連中が管理をしていては、蛮族が跳梁する無法地帯になるのも仕方が無いといえよう。」・・・ウィキペディアに対するこのような賞賛が、その昔、ある歴史家によって編まれている(しかし別の歴史家の言によればこの著者は「蛮族」であるという)。

管理業務いろいろ[編集]

ちなみに、60人近くいるウィキペディアの管理者だが、連帯感は皆無に等しく、本当にブロックされるべき悪質な荒らしにいつまでも跳梁を許したり、削除依頼を長期にわたって何十件も積み残しさせている。一番古いものでは、削除議論開始が2008年5月29日などというネット界においては最早重要文化財級のものも存在する。ちなみに2010年3月現在、ウィキペディアで2番目に古い未終結の削除議論はなんと緊急削除依頼である。子供の「ちょっと」はときに3時間にもなりうるが、ウィキペディアの「緊急」は軽く1年半を越すのである。

そもそも常識的に考えて60人で足りるわけがない。加えて、全く権限を行使しない並び大名がいたり、行方不明になったまま帰ってこなくなる管理者が居たりして、管理の基盤は瓦解しかかっている。

あわせて、ウィキペディア自体、ウィキメディアと呼ばれるプロジェクトの一環であり、ウィキペディア以外の様々なプロジェクトが世界で同時進行されているにも関わらず、ウィキペディアの管理者はそのことに気づいていない。そのため、ウィキメディアのプロジェクトの一つ、日本語版ウィキバーシティ美しき赤リンク群は、世界に誇る日本の知の裏側に存在する世界から隠された日本の恥部として、いつまでもその姿をさらしている。このことは、本来であるならば最も権限を持つ管理者が率先してなんとかせねばならない課題であるにも関わらず、ウィキペディアはウィキペディアの世界に閉じこもったまま、ひたすらに肥大と増殖を続けている。

ただし、管理者は意見が合わないウィキペディアンを追放するが、追放後も逃れる方法はひとつある。それは自作自演をし、自作自演したウィキペディアンが別人を装うことである。それは、簡単に言うと自作自演後に「これを書いたのは同じネットワーク回線を使う同僚だ」ということである。実際、それで追放されたウィキペディアンが復帰したがある。

このように、ある場所を管理し続けていく人間にとって大事なことは、目の前の課題を片付けること以外に、足元のお留守をナントカしなければならないということである。海外との交流などはウィキペディアにとって些細なことであると管理者が考えているようだと、ふとしたきっかけで世界中に恥が拡散することにつながり、その結果、日本人はアニメやマンガばかり編集するオタク民族という事実が世界にばら撒かれている。

このような大局的な視点を持たないかぎり、「ウィキペディアの管理人」は、その歪んだ王国の「偉大なる管理者様」としてネット界から上記のように常なる賞賛の中に埋もれていくのだろう。

世界から取り残されて

ウィキペディアの中立性[編集]

ウィキペディアでは、その編集内容に応じて利用者同士が話し合う場面がよく見られる。話し合いで済むならばいいのだが、往々にして、その信仰についてを延々と論ずることになりがちなのもウィキペディアである。

そして、立場の違うものが衝突した場合にその結果を左右するのが、工作員の数×アカウント数の合計となる仮想員数、そして自らの信ずる理念に従う仲間との結束、最終的には根気が勝負となる。あわせて、管理者ネオコンであり、排外主義者であり、なおかつ管理者本人の信仰に沿って行動することが義務付けられているため、もし記事の中立性を保ちたいならば、リベラルなボランティアの数を、管理者一人当たり最低99人集めること必須とされている。そして、それを無視することも管理者のノルマとされている。

なお、それらの記事の作成過程は、まず始めに、管理者が通りすがりのネットサーファーをも挑発するタネ記事を作成し、たまたま記事を見てしまったがために狼狽したリベラルなネットサーファーが管理者に立ち向かい戦いを挑んだ結果、記事のノートで弄ばれ、時間と労力をかけ衰弱し、多くのボランティアとなって記事の修正・肉付けするすることでようやく記事ができあがったとしても、通りすがりの意見はまるで無視されることになる場合が多い。

このように、リベラル派を釣ることを管理者の間の俗語で"ネズミ捕り"と呼ぶ。

一方で同じネオコンに属する通りすがりのネットサーファーが記事の編集に参加する事態が発生した場合には、管理者の人集めのノルマはさらに増大し管理者にとっては嬉しいやら悲しいやらの状態となるという。ウイキペディアの目的は「参加することに意義」があると言われているように、中立な記事を作成するための過程が大切とされ、立場の違うものがお互い全力を出し切って戦い、「お前もなかなかやるじゃないか」「オマエモナー」、と最後は川沿いの土手の上の草むらに倒れて笑顔でお互いの健闘を褒め称えあうのが理想とされており、最終的には記事の中立性よりも大切な美徳とされている。そのため、同じネオコンに属する人間同士の編集は、自分は1人ではなかった、この世の中に自分はいてもいい存在なのだと、再確認する機会になり、管理業務に邁進するためのエネルギー補給になるのである。

中立性が揺らぐと書き込む人間が増える[編集]

このように、日々増殖するウィキペディアの内実は、リベラルな通りすがりのネットサーファーのハートを飛び出させるようなインパクトのあるタネ記事をいかに作れるかという管理者の力量がまず問われる。そして、次に問われるのはアメとムチをうまく使い分けて、通りすがりのサーファーの心を折らないよう、彼に味方するボランティアのやる気を出させる技術。最後に、ウィキペディアの真髄であり、建前でもある「中立性」という免罪符をペタリと貼る、正確に言うならば、「この記事は偏っている」系のテンプレートを引っぺがすことで、記事は完成する。

ちなみに、これらの「偏ってる」系テンプレートは、ウィキペディアにおいて、通りすがりのネットサーファーたちが実情が違っていること読者に示せる最終手段であることが多い。実際、中立性はあくまでもウィキペディアの最終目標であるため、目標に向かう過程においてボランティアを参加させ続けるためには、どうしてもボランティアを挑発し続けざるを得なくなる状況も散見される。そのため、ボランティア同士の交流では、双方の立場の違う者同士が切磋琢磨して記事を仕上げていく建前を忘れた宗教論争の場と化すことも多く、その際、ネオコンの管理者は敢えて中立とならずに人知れずヒール(嫌われ役、悪役)を買って、一方的に弱者をいたぶる=論争をあっという間に帰結させることで、多くのボランティアから賞賛を得ている。もちろん、怒りと不満とやるせなさも残る。しかし、結局のところ、管理者と一方の勝者たちがひと段落という結末に酔いしれることに変わりなく、勝った側は誇りとやりがい持ってウイキペディアの編集に当たり、管理者はそ知らぬ顔で次の論戦へと向かう。この一方的な流れこそ、ウィキペディアの駆動力といえる。

戦いすんで日が暮れて[編集]

なお、ネオコンの管理者との戦いに根負けして神経衰弱になったり廃人と化すリベラル派も後を絶たない。もっとも、常時書き込み続ける人間も神経衰弱であり廃人である。同じ穴のウィキペディア。そのため、ウィキペディア被害者の会が新たな被害者を救うための更生プログラムが各地で始まっている。このプログラムは「リセット」と呼ばれ、ウィキペディアにはアクセスできないPC環境を用意して健康的なネットサーフィンを学び、社会復帰を目指すとしている。動物とのふれあいやカウンセリング、正しい生き方を学ぶための道徳教育も用意されている。なお、これらのプログラムを修了しないまま、ウィキペディアに似たサイトをめぐる被害者も多く、中にはアンサイクロペディアにやってくる人間もいる。ウィキペディア被害者の会によると、ウィキペディア利用者の15%~25%が廃人と化し、それらの多くの人間がアンサイクロペディアにも来訪していることが分かってきており、特に、ウィキペディアにおいて真面目に記事を修正しようとする人ほど他のサイトへ与えるダメージも深刻だという。このことは、いかにウィキペディアが人の心を傷つけるかを意味すると同時に、サイト内に存在するコミュニケーション能力育成施設が、利用者同士の親睦、およびコミュニケーションの場としてあまり役立たないことを意味している。

ウィキペディアの存在不必要性[編集]

根本的な方針の一つとして、「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」という方針を掲げているが、これは甚だ不可思議なことである。

例えば、ある特定の人物が「A」という主題を扱った記事(以降Aと表記)を投稿したとする。このAが改変を受けた回数は、現段階において1回ぽっきりであり、よってこの記事は中立的観点を持っているとは言えないことになる。また、ある特定の人物とはまた別個の人物により、テーゼに対するアンチテーゼの提示をもって記事が改変されたとすると、その記事はジンテーゼを生み出すことになり、ここでも中立的な観点を持った記事は生成されない。

1回の改変でも2回の改変でも中立的な観点を持ったAを生み出せないとするならば、任意の数k回及びk+1回の改変を受けてもAは中立的な観点を持ち得ない(そもそも日本人が日本語という言語によって表現すること自体が中立的ではないのだが)ことになる。つまり、塵は積もっても塵であり、うだつの上がらない烏合の衆はうだつの上がらない烏合の衆であり、運命の奴隷は運命の奴隷でしかない。

では、ウィキペディアが中立的な観点を持ったAを生み出すにはどうすればよいのだろうか。それには、Aが「0回」改変されればよいのである。即ち「無」こそが完全な中立であり、ウィキペディアはその存在自体が禁則事項でありかつ、ウィキペディアおれは存在をやめるぞ!ジョジョーッ!!しなければならない。つまり、ウィキペディアはその存在と根本的な方針によって自己崩壊を起こしていると言え、同時に、存在不必要性の証明が為されることになる。

ウィキペディアの文化[編集]

これはじゃない……ウィキペディアはあまりにも大きくなり過ぎている!

ウィキペディアとは、基本的に百科事典の体裁をとったネットコミュニティである。

そこには、稀にしかいないが、単に情報を求めて検索サイトに引っ掛かってしまった善意の普通の人のほかに、編集側には「IPユーザー」と呼ばれる匿名の者や、荒らし人格障害者ヒマ人(職の有無は省く)・狂信者マニアオタク自称知識人(自称インテリ)と、また「自分の論文に丸写しする文章を求めて閲覧していたが、その記事内容に不満があった」ため論文そっちのけで記事の増強に勤しんでしまう学生や、出来の悪い学生の成績を少しでも底上げしたいと考えている教授助教授といった教育関係者(らしき人々)などが関与していると見られる。彼らは、その執筆行為が一文にもならないことを承知の上で、多くの時間を費やしている。

またあるいは、自社の不名誉な噂(ないし真実)が記載されていたため、上司の命令で記事の書き換えを行っている悪徳商法企業に勤務しているサラリーマンも関与している様子である。加えてコンピューターIT関連という今ではお荷物に過ぎない時代の虚栄に勤務する者が、斜陽を片頬に日長浴びながら、実質社内ニート(昔の名称で言う所の窓際族、社内失業者)の実態を隠蔽するために、毎日書き込みにいそしんでいる。

ウィキペディアと露出狂[編集]

ウィキペディアは露出狂の宝庫でもある。アクセスが多いことに目をつけてウィキペディアで露出を行う露出狂が後を絶たない。精液の写真や性器の写真が好例だ(それらの写真はCategory:Sexのカテゴリ内に分類される)。ウィキペディアでは記事に関係のある写真であればいかなるものでも掲載は合法だ。そこに目をつけてウィキペディアで露出を行うことを考えた彼らは天才である。もちろん彼らに記事を充実させようと言う秀逸な思考があったわけではない。ただ見せたかっただけである。

ウィキペディアと盗撮[編集]

知らない内に、あなたが写った画像がウィキペディアに無断掲載されているかもしれない。

ウィキペディアには大量の画像も掲載されているが、その中にはウィキペディアンが無断撮影した物、即ち盗撮写真が数多く含まれている。既に盗撮魔の間では、「ウィキペディアは世界最高品質の合法的な盗撮サイトだ」と大評判になっており、業界の神様である田代まさしも「もっと早くウィキペディアに出会えたなら、違法行為に手を出すことは無かったのに」と語ってウィキペディアを絶賛している。

駅周辺や駅構内、イベント会場等において遠くから一人で黙々と無断撮影に没頭している人間を見かけたら、ウィキペディアに盗撮写真を掲載しようとしているウィキペディアンだと思って警戒したほうがいい。

ウィキペディアと病[編集]

これらの人々は、雑多かつ求心力を持たないことから、まるで纏まりに欠けた集団であるため、時に一つの記事を珠玉の名文に仕上げたかと思うと、同時進行で他の記事で、良心的な執筆者が時間をかけて作成した文章に集団で乱入して、台無しにしたりして過ごしている。

酷い場合には、アンサイクロペディアに掲載されているような、極めてヒューモアに富んだ記事を「悪ふざけとナンセンス」であると決め付け、削除(→[2])してしまう。

時折、同コミュニティに属する頭の固い人物(脳味噌の領域まで頭蓋骨である人物もいるらしい)の性格を、少しでも社会性を兼ね備えた柔軟なものにしようと、(ややお節介かも知れないが)様々な人間が記事の体裁や内容を変更すると言う形などで焚き付けたりけしかけているが、聞く耳を持たない衆愚により、ブロック(→アクセス禁止)を受けて駆逐されている。また無粋にもブロック依頼や記事の編集禁止を持ち出し、他の関係者を落胆させるプロ市民的な編集者も少なくない。

これと同時に、アンサイクロペディアでもしばしば問題となることだが、ウソを書く人(なおアンサイクロペディアに記載されている内容は、全て真実である)のために、記事の妥当性が損なわれる事である。このため、多くの執筆者が(給料も出ないのに、ご苦労な事だが)それらの訂正に忙殺されており、問題視されている。精神異常に落ちいる者多数。病気なのに、自分は健全と呼び、健全なものを病人と叫ぶ。ウィキペディアは実質、百科事典を詐称するサイバー精神病院である。

記事についての罵り合いが始まると、すぐに{{要出典}}、{{出典の明記}}、{{未検証}}と判で押した様に脊髄反射で貼り付ける者が現れる。特に気に喰わない修正に対しては、{{観点}}、ソースと叫ぶ気違いが一斉に出現し、不毛な編集合戦が始まる。こいつらは誰にも頼まれていないのに雑草のように生えてくる。

自分の趣味をひけらかすために介入したら最後、病的なウイキペディアンになじられ、差し戻され、ノートで叩かれ、白紙化される可能性が少なくない。たいていの者は嫌味に満ちた「ようこそ」メッセージなどを「利用者のノート」にいきなり書き込まれ驚き退散するか、無言のリバートなど熱烈な歓迎に嫌気が差し、早々とウィキブレイクするのが定石である。

しかしながら、その時点で脱出したものは幸いである。徹底的に抵抗した場合は、ウィキペディアンになってしまうか精神異常者になってしまうかのどちらかである。この文を読んでいる良い子のみんなは崖っぷちを覗くような真似をしないように!

他の側面[編集]

ウィキペディア本部 - 数多の緑溢れる星々を破壊してきた

インターネットでは、関与する機材が、常に最新のハードウェアに置き換わる事で、その利便性が全体的に向上すると考えられている。このため、インターネット上のボトルネックをより高速なものに替えさせる社会的圧力を発生させる、単に大きいデータ(一つの巨大な容量サイズを持つファイルといったものの他に、参照量の多いコンテンツを含む)は歓迎されている。これはその内容が、例え冗長であっても、参照量さえ大きければ問題にされない。

このため「便所落書き」と筑紫哲也西和彦などの著名人に揶揄されながらも、依然存続している2ちゃんねると並んで、ウィキペディアはアニヲタ・エロゲヲタ・鉄道ヲタ・バスヲタ・歴史ヲタの無駄できんもーっ☆な戦いの為に間違った情報量の多さや、社会に憎悪と混沌をもたらした事をもって危険視されている。ただ近年では、ウィキペディア自体のサーバー処理能力がしばしばボトルネックとなっており、これの置き換えが望まれている。しかしほとんどのものが寄付に応じないため、(応じられない:勤務実体がなく、失業者か無職者、忌業者がほとんどで、金銭的余裕がないものがほぼ全員)資金的にハードへの投資は絶望的。執筆者が増えるに反比例して、俺たちが情報量を多くしてやってるんだからサーバー代くらい払わないのが当然と開き直ったウィキペディアンばかりなので、寄付は皆無に等しい。時代遅れになることが目に見えている。まるで新潟県に嘗て生息していた鳥のようである。

宣伝サイトとしてのウィキペディア[編集]

公にはされていないが、実際にはウィキペディアは宣伝サイトである。企業、商品名、タレント、学校、宗教団体など、固有名詞に関する記事には全て都合のいいこと以外を書いてはならないという暗黙の了解が存在する

もしこの暗黙の了解を破ってその企業や学校等の問題点を書き込めば、それはたちまち消去され、都合のいい記述に書き替えられてしまう。あなたはそれをおかしいとノートページで反論したところで、結局は民主主義という名の数の暴力に屈することになるだろう。

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この項目には発売予定の新製品、提供開始前の新サービス、または放送開始前の番組や公開前の映像作品等に関する記述があります。Wikipediaは宣伝サイトです。都合の悪いことは書いてはいけません。性急な編集をせずに都合の良い部分だけを都合よく記述することを心がけてください。

↑ウィキペディアの警告テンプレート

2007年に献金を募る際に使用されたキャッチフレーズ「あなたのご協力のもと、Wikipediaが世界を変革します」とは、「ウィキペディアをロビー活動の場とし情報の流布による世界革命に利用してください。但しお金を払って」の意であり、思想の宣伝サイトである事をも明確としている。

脚注[編集]

  1. ^ ただし今後広告の掲載を検討している企業の広報担当におかれては、ポルノ画像投稿サイトに広告を出すことが懸命か十分に検討されたい。

関連項目[編集]

Wikipedia
海外安全情報
ウィキペディアの「利用者:かぼ/ウィキペディア」周辺は治安が悪化しているため、渡航の延期をお勧めします。
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ユーモア欠落症患者のために、ウィクショナリーの語学ヲタクたちが「利用者:かぼ/ウィキペディア」の項目を執筆しています。

外部リンク[編集]