利用者:ムツケ/馬鹿にならずにバカバカしくやる方法再翻訳版

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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英語版アンサイクロペディアでは、一日あたり約300本の新記事が生まれています。

その300本以外に、約200本が生後1日を迎える前に死んでいきます

紅茶ハンバーガーコアラばかり食べる毛唐どもの愚考を繰り返してはならない!

はじめに[編集]

ようこそアンサイクロペディアへ。君がここに来たということはアンサイクロペディアに自分のユーモアを書きに来てくれた幼女だということだ。僕らは君たちを歓迎するが、僕らの仲間には君達のユーモアに対して難癖をつけようという奴等も沢山いる。僕らは君に不快な思いをして欲しくないと思う。まず不快な思いをしそうな文章を下に挙げてみた。ちょっと見て欲しい。

失敗しがちなポイント[編集]

紋切り型文章は避けよう![編集]

ズバリ、ただいうだけの文章なんか誰も見たくない。たとえば…

  • 「○○は、△△により発明された」
  • 「○○とはロックバンドである」
  • 「○○は、△△の大統領であった」
  • 「○○という人物は……△△をした……××時代の……○○は死んだ」
  • 文脈とほとんど、あるいはまったく関係のない映画やテレビからの引用

すべて「だから?」といってしまえばで済む内容であり、ちっとも面白くない。もちろん、記事冒頭などでは使う必要はあるけれども、こんな文章だけで作った文章なんて誰も見たくない。君の書いた記事は上の文の繰り返しじゃないかな?

 厨房臭くするな![編集]

  • 3秒で考えついたジョークは、実のところそこらへんの人間全員がもう既に思いついているんだ。そんなものを乱立されても面白くともなんとも無い。
    • 特にお願いだから、のびたが世界征服をはじめただの、し○かちゃんが売春したとかいう藤子不二夫関係の類は、一切忘れて欲しい。やるならA先生の作品でやれ。
  • 非常に巨大な数は面白くない。具体的には「戦車4000台」だの「核爆弾8000個」だの「宇宙戦艦300000隻」だ。気をつけよう。
  • 馬鹿げた年月日、つまり西暦2869年などの羅列は君が思っているより面白くない、むしろつまらなくて笑えない。それだけで読者はそれに目を通すことなくナンセンスで支離滅裂な記事と決め付けて、立ち去っていくかもしれない。(記事がタイムトラベルに関するものでない限り)
  • 有名人。簡単に言えば芸能人、著名な犯罪者、君がぼーとテレビを見ていれば入ってくる名前の連中だ!本当に、彼らはなんでもやったのだろうか? 君が記事と関係のない著名な人物の名前を書き込みたいのなら扱っている内容に沿う形にすべきである。芸能人がアレをやった、これをやったでは芸能人の名前を出しただけの出オチにしかならず、多くの場合は中傷記事か電波記事にしかならない!
  • 馬鹿みたいに語録をくっつける暇があるんなら本文を少しでもまとめよう。むしろ語録なしで書いてみるんだ!君の記事作成能力もみんなからの君の評判もずっと上がる!

使い古されたジョークは厳しい![編集]

この手のジョークはアンサイクロペディアができる以前、もっと昔から皆が言っていたことなんだ。ごく少数の人間以外にとって、もはやそれらのジョークは面白いものではなく、ここに投稿するようなものではないと思う。無論、これらを使って面白い記事ができないわけではないが、君はそんなに記事の書き方が上手いのかな?

陳腐なジョークの基本例:

  • 藤子・F・不二雄が描いたメジャーな漫画作品の登場人物
  • やなせたかしが描いたメジャーな漫画作品の登場人物
  • 世間的によく知られる2ちゃんねるのネタ、そしてAA
  • 著名なFLASHアニメ、そしてYouTubeのMADアニメ
  • ムスカ
  • 君のママ、母さん、お袋、その他。 ともかく君の家族や君の友達などすべて
  • 君の顔

盗作、ダメ!ゼッタイ![編集]

  • やあ、この間のテレビで『史上最高の面白映画パロディ』を観たのかい? 頼むから、ありもののネタをそのまま一字一句書き写すのはやめてくれ。ぜひとも、「君は牛を二頭持っている。」スタイルのようにジョークを書き足すか、もしそれが有名なジョークなら、ジョークそのものをジョークのネタにしてほしい。言っておく。そのジョークを君以前に見聞きした者がいないと確信が持てたときに、ジョークを投稿せよ。しばしば少数の人々は、自分が理解している元ネタを参考に、驚くほど巧みにジョークを膨らませられる。けれども、それは本物のユーモアでなければならず、内輪受けのジョークにとどまるものであってはならないのだ。

メタ・ユーモアは君が思うほど面白くない[編集]

僕らはお互いにからかいあったり、アンサイクロペディア内ではびこっている現象を小馬鹿にしたりするのが大好きだが、アンサイクロペディア内のすべての出来事や、人物や、流行に、記録する値打ちがあるわけではない。なんでもかんでも記録しようとすることは、利用者についてのぞっとしない記事や、些細で面白くもない出来事の記録や、アンサイクロペディア内に「流行」を作り出そうとする試みに結び付く。一般的な現象がそれ自身の記事を持つに値することは滅多になく、『オスカー・ワイルドの架空箴言集』のような大規模な現象にしかあてはまらない。また、元ネタとなったユーモアを完全に殺してしまわないためにも、これらの記事は慎重に制作されねばならない。次のように考えるのだ。メタ・ユーモアは良質な熟成されたワインに似ている。熟成されたワインが良質のものであるためには、ただ長い間寝かされていただけではなく、ワイン自体の品質が高くなければならない。百年間寝かされていた腐ったワインは百歳のワインかもしれないが、それはただの腐ったワインに過ぎない。

内輪のジョークはツマンネ[編集]

  • 君と三人の友達にとって面白いからといって、僕らにも面白いとは限らない。ほとんどの内輪のジョークは、「その場限りのもの」であり、理解するためには君と君の一味しか知りえない状況や体験を必要としている。それらを説明するのは難しいし、ほかの人にはわからず、つまらない記事になる。

ただし、この助言はアンサイクロペディア内での内輪のジョークにはあてはまらない。君はアンサイクロペディアで記事を書いているのだから、アンサイクロペディアで生まれた公認の内輪のジョークを使うのは、多少は許されている。

  • もうひとつ注意: アンサイクロペディアで、君の内輪のジョークを認めさせる足掛かりを得ようとしてはならない。そんな事をしても君はモテないし、僕らもモテない。

偏見はユーモアの代わりにはならない[編集]

  • 偏見でユーモアを代用してはならない。アンサイクロペディアでは偏見や非中立的な観点は許容されており、しばしば推奨行為となっているが、ただ「ビッグマックとは一切れの犬の糞を二枚のパンではさんだものである」とか「マンチェスター・ユナイテッドは人類史上最高のスポーツ選手たちであると、あらゆる人々から考えられている」とだけ書くのはつまらない。そのかわりに、それらの事柄がすばらしい、あるいはひどい理由について、念入りに説明するのだ。世界は君を中心に回っているのではないことを忘れるな。君の作品は人を傷つけるものではなく、愉快なものにしなければならない。
  • また、管理者が明らかな偏見を削除したからといって、その管理者が記事の主題について、君と反対の意見を持つわけではないことを注意しておく。多くの場合、削除は個人的なものではない。管理者は追加される記事を整理し、アンサイクロペディア本体と同じように、他の記事の精神と沿うものにしなければならない責任を負っているのだ。
  • この惑星にいるのは男性だけではない。これは当たり前に思えるかもしれないが、しばしば見落とされる。女性が存在していないふりをしたり、女性を嘲りの対象にすることぐらい、アンサイクロペディアで女性は歓迎されていないと思わせるいい方法はない(もちろん、パロディとしてなら別だ!)。某所では男女問題は常に偏見的で、荒れる原因であり、第三者にとって面白くない。小さな偏見も、積み重なれば大きな偏見となる。

嫌味はユーモアの代わりにはならない[編集]

(この項は、「偏見」と「正反対」の項の補足である)
  • ひねりのないあけっぴろげの嫌味をそのまま主張することは、愉快なものというよりは、政治的な怒りや不満のように聞こえる。以下の例を見よ。
  • 例: 「アメリカは世界に好意を持っていた。誰がそんなものを欲しがった? 結局、好意は金にはならない(そうだろ?)」
つまらない。外交政策に不満を持っている誰かが、その不満をぶちまけているようにしか聞こえない。この例では主張をユーモアでやわらげるのではなく、ただアンプで増幅された行進曲のように遠回しに、嫌味の対象をひたすら叩こうとしている。このような文章はあからさまに政治的であり、まるで執筆者が動転しているか、あるいは選挙権を剥奪されたかのように見えて、ある一方の立場を擁護し、他方の立場を挑発するという目的の役には立たない。この例は切れ味が鈍く、どちらかと言えばユーモアに乏しい。主観的な論説文を書くことは面白い場合もあるが、上の文章は記事の残りのユーモアを殺してしまうものでしかない。
  • : 「十字軍とは、11世紀から13世紀にかけてテキサスのジョージ一世(モーゼの燃えるブッシュで有名)により開始され、その相続者であるジョージ二世に受け継がれた一連の軍事行動である。中東のイスラム教徒らを征服して、聖なる「W」の刻印を額に焼き付けることがその目的であり、これによりアメリカは善意と信頼へのいかなる関心をもかなぐり捨てて、トランペットを吹き鳴らし、赤と白と青に染められた旗を振りかざして、ドン・キホーテのようにバグダッドへ進軍した。神はアメリカを祝福する!」
面白い。なぜか? この例は上の例よりも明らかに陽気であり、確実に遠回しである。あからさまに政治的であったり嫌味ではなく、風刺としての資格を備えている。大笑いできるものではないが、少なくとも怒りや不満のようには聞こえない。この例は、まるで馬鹿を装おうとした者が書いたかのようだ。むしろ、実際の真実に触れることなく真実に迫った、プロによる公式の文章のようにさえ見える。
  • 実際の話、切れ味が鈍くひねりのない嫌味はユーモラスではない。他人が風刺を上手く使いこなしている場合は、なおさらである。

成功しがちなポイント[編集]

コメディアンたれ: ナンセンスと正反対についての助言[編集]

  • 通常、事実はナンセンスよりも愉快である。もっとも愉快なページとは、もっとも事実に近いページである。
  • 例: 「ドラえもんはムスカとラピュタの科学力が生み出したターミネーター。武器は電動ノコギリである。」
皆が笑えるおバカな記事ではなく、蔑んだ目で見る馬鹿な記事。君の脳内以外では無意味なたわごとである。
  • 例: 「ドラえもん(銅鑼衛門、どら衛門、2112年9月3日 - )は、一匹の狸の名前である。但し、当人が「狸」と言われると激憤するため、対外的には「猫」という事にしている。」
事実に近いが愉快な記事。ドラえもんは、設定上よく狸に間違えられるが、実際に狸にしてしまった。事実とフィクションを織り交ぜたり、両者の境界をぼやけさせているこの例文は、笑いとしてはより優れており、少しのドラえもんに対する知識があれば誰にだってわかる。このような文は記事作成に多大なヒントを与えてくれる。

アンサイクロペディアの記事の三分の二は、デタラメで嘘ばかりのナンセンスな記事だろう。確かにまったくのデタラメは面白い場合もあり、最初の一回は笑い(主に失笑と苦笑と嘲笑)を誘うかもしれないが、すぐに飽きてその記事に怒りと絶望を感じて何とか削除できないものかと考え出すはずだ。「ハリー・ポッター」の記事は、「恐竜」の記事よりは「ハリー・ポッター」と関係があるべきだ。その記事を開いた読者は、ハリー・ポッターとは何の関係もないデタラメについての記事ではなく、例の魔法少年とハーマイオニーをネタにしたユーモラスな記事を読みたがっているのだ。

訳のわからないモノついての何千もの一行記事を書きちらされるよりは、長くてかつ機智に満ちたわかり易い記事一本の方がいい。つまらない記事を大量投稿されると、僕らは駄目な記事を掃除しなければならなくなる。アンサイクロペディアでは削除が楽しくて仕方がないエクストリームスポーツと考えているわけではない、「リストラ担当者はすぐに胃に穴があく」ように辛い作業なのだ。どうか、良いものを書いてくれ。

記事を書くときにこれらをしっかりと心に留めておけば、事態はずっと改善され、君も私たちも愉快なアンサイクロペディアライフを送れるだろう。

ユーモアの基本テクニック[編集]

  • 繰り返し。これは馬鹿であるが、効果的である。ある言葉を何度も何度も言い、そしてそれを繰り返し、そして更にもっと言うのだ。2~3回ほど繰り返す。

例: 「若き日のルーク・スカイウォーカーは、暇さえあればランド・スピーダーでのドライブを楽しんだり、泣き言を言ったり、ウォンプ・ラットを撃ったり、モス・アイズリーへガールハントに出かけたり、泣き言を言ったり、ナーフ・ハーダーをしたり、泣き言を言っていた」

このように同じ事項をしつこく繰り返すことで「泣き言」が強調され、読んだ人間は重複部分が無駄に印象に残ったり、間抜けさを感じたりしてジョークはより面白くなる場合がある。別の場合では、ジョーク自体がは死んでしまう。だからこのテクニックを扱うときは、注意深く、慎重に、注意深く用心しなければならない。また、注意深くなければならない。欠点としてしつこくなる。

  • ミスディレクション。つまりわざと誤った方向に文章を導いていくユーモラスな方法だ。君の文章はある方向を目指して書き始められるが、最後には完全に別の場所にたどりつく。

例:

  • エスカレーション。これはどんどん嘘・大げさ・まぎらわしく過剰に書き立てていく事で不条理なスタイルを作り上げるものであり、総じて良いテクニックである。記事は合理的かつ落ち着いた調子で始まり、やがて徐々に、極めて理不尽かつ不条理ものになっていく。

例:「マラソン

しかしだからといって不条理でデタラメなスタイルから初めてその調子を保つという手法は全然面白くない。この技法は普通のところからドンドンおかしくなっていくのを楽しむ手法なのだから、まず常識的な事からはじめてみよう。

  • 繰り返し
  • 自己言及。これまた、単純で愉快なテクニックだ。「繰り返し」は何度も繰り返されているし、「ミスディレクション」は誤った方向に向きを変えており、「エスカレーション」はエスカレートしている。詳しくは、この章の自己言及の項目を参照せよ。つまり自分の事をのべてボヤかしたりする技法だ。

例:「ここ」 「あれ

ただし、アンサイクロペディア日本語版ではあまり歓迎されない。いくつか記事を作って、自信が出てから書くのが手かも知れない。
  • 控え目に言う。たとえばだが「多くの人々が、ホロコーストは良いことではなかったと言うだろう」などという形。大げさにするのではなく、大きな事柄をあえてちっちゃくして書くことがキモである。
  • 倒置。「労働は飲酒階級の災厄である」 - オスカー・ワイルド 「いや、逆だろ」という突っ込みを読者の心に芽生えさせろ!
  • 繰り返し
  • 循環論法。例としては、どうどうめぐりを参照せよ。
  • どうどうめぐり。例としては、循環論法を参照せよ。(成功した例はたらいまわし。場合によってはとてつもなくつまらなくなる!)
  • 引き立て役。初心者が犯す共通のあやまちは、記事を全体にわたってばかげた物にしてしまうことだ。しかし真面目な事を織り交ぜる事で、読者はその事に対して興味を持ったりして、余計に面白さを増すことができる。一例を挙げれば「パスポート」。
  • 文体の統一。アンサイクロペディアでは、多くの異なった文体が使われている。しかしひとつの記事はひとつの文体で書くのが一番効果的でわかりやすく面白い。そうすれば、その記事は一人の人間が書いたものだと思ってもらえるだろう。基本的に段落ごとに文体を変えるべきではなく、統一した文体で書くべきである。いくつかの例外はあるが、高品質な記事は、大抵この規則にしたがっているので納得できなくてもやってみよう。最初のうちは、ウィキペディアのような百科辞典文体で書いておくと問題がないだろう。高度なトンデモ文体で面白い記事を書くのはそれからでも遅くはない。


ナンセンスを書くときは、首尾一貫させよ[編集]

  • 事実に近い記事を書くことができないのなら、多数の首尾一貫した記事を書いてみよ。英語版の「オプラの陰謀」シリーズは、その好例だ。このシリーズ全体はでたらめであるという事実にもかかわらず、大きな歴史の流れに沿ったでたらめとなっている。これは良いものだ。
デタラメだからといって、文章ごとに全然つながりがなくては面白くない。
  • でたらめなユーモアは、シリアスでないからこそ愉快となりうる。でたらめなユーモアはしばしば読者が腹を立てることを覚えておくようにしよう。オスカー・ワイルドが何者かに首をはねられて死に、そのあとにまた首が生えてきたというような記述は悪い意味でデタラメであり、笑えない。しかし「古今東西からの引用によるスマックダウン」のような記事なら愉快である。
  • すでにある記事を確認しておく。他の大多数のページとはまったく違った説明をしているだけの一行記事を書くほど、悪質なことはない。記事を書き加える前に、検索などで調べておこう。
  • ここはアンサイクロペディアであって、ウィキペディアではない。ここでは「真実」(あるいは「中立的な観点」)を書くことではなく、別々の基盤の上で独立している個々の記事そのものが、楽しく面白いものであるかどうかが重視される。実際、さまざまなトピックにわたって、各記事ごとに異なった観点が持たれているということは、素晴らしいものがある。新鮮なアイデアと、多様な視点や手法の導入により、活気に満ちた創造がおこなわれ続けている。同じく、面白いものは読者から読者へと書きつがれていく。おそらく、記事1で述べられているトピックが扱う一番目の観点を愉快だと思えなかった読者も、記事2か記事3その他のトピックで扱われている、二番目かそれ以降の観点は愉快だと思えるかもしれない。逆に複数の記事を首尾一貫させようとしたならば、そのシリーズに関連付けられた多様な記事は、個々の記事としては面白くない、退屈なものになるおそれがある。面白さは記事のつながりではなく、記事そのものの細部に宿らせるべきだ。


  • 良質記事を、書き換えたり駄目にしたりしてしまわないように。君がある記事を編集しようと思うのなら、その記事に特有の内容や文体と沿うように編集せよ。さもないと、その記事はまとまりのない、でたらめな、つまらないごたまぜ記事になってしまう(特殊な場合には、ごたまぜも面白いけれど)。したがって、もし君がその記事で表現されているものとは違った観点や文体を持っているならば、書き換えたり首尾一貫しない内容を加筆するよりは、君の観点や文体と両立する記事を探すか、新しい記事を書き始めるべきである(この方が簡単だ)。

そして、良い物を書くことを忘れずに

時間をかけて書け![編集]

  • 君が十秒で記事を書いたなら、十人がその記事を好きになってくれる。君が十分で記事を書いたなら、数百人を得られる。たとえアンサイクロペディアが嘘とたわごとで一杯であるとしてもテキトーに書いた記事では決して面白くない。
  • それから、単純でそっけないリストはまず面白くない。単純なリストはアイデアを広げることで単純なリストが役に立つこともあるが、ほとんどの場合はまったく面白くない。一覧記事を作るのであれば、急ごしらえのものにしてはならない。「オールタイム・ワースト100映画リスト」のように、それを膨らませるだけの時間をかけてほしい。箇条書きが多い記事はむしろチャクウィキでやるべきだろう。
  • 調査せよ。アンサイクロペディアの良質記事のある物はまったくのデタラメでかつ愉快なこともある。しかし、たいていの場合、素晴らしい記事はそれなりの調査を必要とする。効果的な主題のパロディや風刺のために、現実の主題をある程度調査しておこう。ウィキペディアの同項目を調べるのも悪くない。
  • 削れ、削れ、削れ。書き足せば書き足すほど愉快になる。本当にそうか? 必ずしもそうとは限らない。編集者が食っていける理由が、そこにある。編集者の主な仕事は、文章を削ることと原稿を屑籠に投げ込むことだ。ほとんどの文章は悪文である。良い作家はこのことを理解しており、小説を書き始めてから下書きが仕上がるまでと同じくらい多くの時間を、自分の作品をひたすら切り刻むという最も大事な作業に費やす。自分の作品を見て、「これはつまらなくはないか?」と素直に自問自答できる能力が、プロとアマチュアの大きな違いのひとつである。執筆とは創造であると共に破壊であり、執筆と同じ程度の時間を編集に費やさねばならない。別の考え方をすれば、執筆は料理に似ている。料理は材料を加えることだけでなく、取りのぞくことにもかかわっている。スープを作るとき、君は余計な材料が混じらないよう手を尽くすのに、なぜ書くときは同じようにしないのか?
  • 読み返せ、読み返せ、読み返せ。おそらく、誤字脱字があるはずだ。もしかすると、いいジョークを思いつくかもしれないし、フォトショップでJPG画像を完璧なものにできるかもしれない。真に磨きぬかれた作品を作り上げるためには、読み返した上であらゆる欠点を取りのぞかなければならない。なるほど、確かに最初から完全な原稿を書き上げられる人もいるかもしれないが、ほとんんどの人にとっては無理な相談だ。シェイクスピアですら、自分の戯曲を読み返して磨き上げるのに時間をかけていた。

愚かにふるまうことや、悪趣味が面白いとは限らない[編集]

  • 一文ごとに合衆国海兵隊の鬼軍曹のように罰当たりな言葉を叫んだり、悪趣味なことに触れねばならない理由はない。多くの時代遅れでありきたりなジョークは、愚劣あるいは罰当たりな「オチ」で終わっている。これらは大抵つまらない。愚かさがジョークを面白くすることは、非常に数少ない、非常にまれな状況でしかおこらない。どうか、愚かさを君のユーモアの基本にしないでほしい。ショッキングな要素というくそったれな松葉杖に頼るのではなく、オリジナルに匹敵するネタを考え出すか、せめてオリジナルの手法に加われる程度のネタを考え出せ。
  • 単純な下ネタに走るな!皆がスカトロ・ロリコン・ハードゲイを好きだとは限らない。正味の話、多くの人々がそんなネタは子供じみた不愉快なものだと思っており、君が排泄やおならを面白いと思っているからといって他の皆がそう思っているとは限らないのだ。君が爆笑できたからといってみんな爆笑するとは限らない、ドン引きしてるかもしれないぞ。


画像は賢く使え[編集]

  • 画像は、優れたジョークをより完璧なものにしてくれる。ただし、その画像がよくできている場合だけだ。トニー・ブレアの顔面をMSペイントで切り刻んだものは、よくできた画像ではない(君が風刺を目的として、わざとひどいものに見せたい場合以外は)。きちんとした画像をペイントで素早く仕上げられる者もいるかもしれないが、画像の制作には時間をかけ、GIMPフォトショップのような専門のアプリケーションを使うのが賢明である。あと最も重要なことだが、インターネットで拾ってきた使い古しの画像を使ってはならない。たとえ君が自分以外の誰もその画像を見たことはないと思えても、君自身の創造力で画像を作り上げる方がいい。



助言[編集]

  • ルールその1を忘れるな。首尾一貫し事実に近いものの方が、純粋なナンセンスより面白い。
  • しばしば、専門家による公式文書のような文体は、ユーモアの尻を蹴り上げてくれる。君の記事をどのような調子で書くかを、よく考えるのだ。専門家による百科事典のような調子で書くべきか、それとも、風刺の手段として間抜けのたわごとのように書くべきか? 作品は弾けたものになっているか? 記事の内容をよりよいものにしてくれる、さまざまな文体を試してみよう。
  • 文章の書き方について: 残念ながら、ユーモアの文章作法というものはないし、それについて書くことは難しい。多くの場合、ユーモアは規則に従うことではなく、規則を破ることから生まれるのだから。
  • 記事のアイデアがなにも思いつかないって? 記事「創作の過程」を読んでみよう。
どうか、アンサイクロペディアをより愉快で機智にあふれたものにしてほしい。
この案内のために時間をさいてくれて、ありがとう。

関連項目[編集]