前橋市
前橋市(まえばしし)とは、東京の北に位置する一大地方都市である。都市伝説では、厩橋城の跡地に作られたからこの名前になったとされているが、実際の所は不明である。
西方に位置する高崎市とは、非常に仲が悪く恒常的な戦闘状態にある。
市民性[編集]
無駄にデカい県庁があるため、群馬県内では市民の態度もデカいとされているが、実際には正反対で恥ずかしがり屋ばかりである。その証拠に、県庁の近くの中央商店街では、たとえ休日であろうともほとんどの店でシャッターの中から店主が出てこない。
また、地元で「前橋」という単語を「金沢」等の単語と同じイントネーションで読んだりすると、焼き饅頭なる謎の物体を投げつけられて刺傷及び火傷を負わされることがあるので、「新潟」等のイントネーションで読むように注意しなければならない。
前橋市のロゴ[編集]
○
……信じられないだろうがこれはネタでもジョークでもない、事実である。
歴史[編集]
前橋市は1800年代の度重なる打ちこわしや原住民の部族間紛争、更には1945年の第二次世界大戦のとばっちりにより多大なる被害を受け続けてきたため、歴史的資料の多くが消失している。
そのため、市史の大半は伝承や数少ない現存資料に基づいている。
地元の伝承によれば、1700年頃から旧武蔵国川越の代官と住民による開拓が始まっていたとされている。
ただし当時この地には文字がなく、地名も存在していなかった。
伝承を真実だとする人々が証拠として挙げる旧川越藩の覚書にも『北の方の、水の出でし野蛮なる地を拓く』とだけ記されているため、真偽はいまだにはっきりしていない。
初めてこの地の名前が文献に現れたのは、江戸時代後期に書かれた滑稽本旧中山道肘栗毛(いちにちじゅうやまみちひじくりげ)である。
この頃には既に大和民族による支配が進み、原住民を含めた市民の多くが日本語の読み書きの能力を有していたと記されている。
また上記書物によれば、当時の主な産業は馬の飼育であったとされている。
1868年 - 市制施行。明治維新の際、登録市民人口では市になる条件に達していなかったが、奴隷階級の原住民や馬の市民権と戸籍を保証する法律を制定し、それらの頭数を人として登録する事で市となる。
1869年? - 群馬県庁本庁舎建立。原住民との友好の証として原住民側で伝統的構造による設計を、大和民族側で建設をそれぞれ協力し合って行ったと言われている。
1918年 - 戦時物資として馬肉が徴発されることによって、馬の値段が高騰。結果、馬騒動に発展する。
1945年 - 第二次世界大戦が終結して一時、無政府状態となる。以降、イトーヨーカ堂、ユニー、いせや(現ベイシア)など新興大型店舗が群雄割拠する。
1980年代 - 徳川埋蔵金を狙った糸井重里氏の私兵によって侵攻される。この争乱によって市街地の約70%が掘り起こされる。
経済[編集]
戦前は一環して馬の飼育及び馬車製作によって経済が成り立っていた。
戦後に入り、GHQの馬地開放政策のもと、広大な牧場が全て自動車部品の製造工場になる。第三次産業では、大型ショッピングセンターが登場する。それにより、『とにかく大きく』をスローガンとしたショッピングモール商法の全盛を迎える。
シャッター商店街[編集]
前橋市は全国最大規模のシャッター商店街を有する街として有名である。
自家用車が普及し郊外に大型ショッピングセンターが乱立している現在ではシャッター商店街はさほど珍しいものではなくなったが、県庁所在地でここまでシャッター商店街だらけなのは前橋市だけと言われている。郊外にイトーヨーカドーやイオンなどの大型ショッピングセンターが出来てから一気にシャッター化が進んだのだが、商店街店主は経営努力を一切しないでおきながら、衰退の原因をショッピングセンターのせいにし、挙句の果てには、イオングループが北関東自動車道前橋南IC南側の農地に超大型ショッピングセンター建設するのを妨害する暴挙に出ている。
商店街を歩けばやはり店のシャッターは閉まっており、三和シヤッターや文化シャッターなどシャッター会社の名前を常時見ることができる。
一説には、商店街がシャッター会社と提携して、シャッター会社の広告のためにこの様なことをしているのではないか? という意見もあるが、商店街自体が人通りが著しく減ってしまい宣伝効果が低いので、このようなことをしても意味がない! との反論が強い。
名所[編集]
田舎にはよくありそうな、行政による箱物がほとんどである。その為連続テレビドラマ県の中心で愛を叫ぶでは、県庁所在地にも関わらず、名前すら登場せず見せ場をほとんど高崎市に盗られてしまった。 ちなみに前橋市のキャッチコピーは、『水と緑と詩の町』・・・だが、要は何もない。
- イトーヨーカドー
- 戦前、駅前を監視するために政府が建設した馬ビルの跡地に出来た大型商業施設。地下のカジノ場は地域経済の一翼を担っていたが、2010年8月ついに閉店した。
- けやきウォーク前橋
- 「駅の南って何もないよねー」という市民のサイレントマジョリティが生み出した超大型商業施設。
- 敷地は原住民の狩場にされかけ、間一髪九州へ逃亡したヘタレ関西人の工場「ダイハツ車体」の跡地。
- いわゆる都会的な店が軒を連ね、連日多数のDQNが集結している。本屋が北関東一広いらしい。でも角川文庫系列の雑誌は少ない。
- 群馬県庁
- 「群馬に宇宙港を!」というスローガンの下に作られた軌道エレベーター。高崎観音からの攻撃を防ぐ為に要塞として建設された側面を併せ持つ。巨大ロボットに変形可能とも言われるが定かではない。とある魔法少女のアニメによく似た建物が登場したことがあるそうだが視聴者の見間違いであろう。多分。
- 総社神社
- 群馬県内の由緒正しき神社は6社あるが、その全てはそれぞれ深い山中の秘境にあり、参詣には常に危険が伴う。
- そこで近世、前橋市内に県内にある「由緒正しき神社」6社の勧進帳をご神体とした神社が誕生した。
- それが「総社神社」である。
- ここで参詣すると、県内の「由緒正しき神社」6社へお参りしたことになるという、ある意味ご都合主義的な神社である。