印籠

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出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』 民明書房『"印籠"起源異聞』

印籠(いんろう)とは、徳川家康の開発した携行型ビーム兵器である。

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概要[編集]

印籠は江戸幕府初代将軍・徳川家康が、子孫たちを反幕府勢力や野盗から守るために制作した武器である。印籠は片手で収まるほどのサイズであり、女子供でも使うことができるように家康が南光坊天海金地院崇伝との共同開発により3年の月日を経て開発した。印籠の原材料は中国の奥地に伝わる伝説の霊樹である。この霊樹を織田信長が密かに入手し、その圧倒的なパワーを使って天下布武を唱えようとしたところを家康は服部半蔵柳生石舟斎らの活躍で盗み出し、本能寺の変で信長が謀さ…自害すると家康と明智光…天海によって精錬され、崇伝がでコーティングし霊圧を込めることで完成したという[要出典]

徳川家の中でも、印籠を使用できるものは限られている。征夷大将軍御三家の当主に加え、人としての器がそれに足る傑物のみに印籠のパワーを覚醒させることができるのであるが、一方で人格が傑出していればたとえ女性や子供であっても使用することができる。また、邪な心を持つものであれば、印籠ビームを発動できてもいずれ印籠に見限られてしまい、次なる人の上に立てる器を有する者の手に印籠はわたるとされる。

そんな傑物たちが印籠を使用する際には、「控えい!」もしくは「控えおろう!」と詠唱するのが起動パスワードとなる。印籠は声紋認証を行っており、本来の器たる者以外が使用した場合には電流が流れ、パーンとはじけて印籠から吹き飛ばされる。適合者(トクガワスト)であれば、その瞬間黄金のまばゆいが放たれ、この時点で気の弱い人間であればバタバタと地に倒れ伏す。精神力の強い悪に満ちた相手であれば耐えしのぐことができるが、適合者が「この紋所が目に入らぬか!」と叫ぶことで印籠はその光エネルギーを完全開放、印籠ビームを放つことができる。印籠ビームは物理的破壊力こそないが、相手の悪に満ちた心を浄化することが可能である。

印籠ビームの威力は彼らが「徳川氏」と呼ばれることからもわかる通り、適合者の徳にもよる。「ほかに選べる奴がいないもんだから、仕方がないからこいつにしました」的な消極的理由で選ばれた者や、即位当初こそマトモであったが次第に権力欲に塗れてしまった者であれば、印籠ビームの力はせいぜい悪党を数秒怯ませるくらいでしかない。印籠ビームの力は本人のオーラ力に左右されるため、断固たる心を持つ者であれば、印籠ビームは強固になる。

歴史[編集]

歴代で最も印籠ビームを使いこなした最強の男は、第二代水戸藩藩主徳川光圀である。光圀は若い頃は今でいう不良であり、女は追い回す昼間からは飲む夜には辻斬りを行うなど、見事なくらいの人間の屑であった。しかし若くして父徳川頼房(家康十一男)と師匠林羅山を亡くし、更に明暦の大火で救える人々を眼前で失ったことで深い悲しみを負った光圀は、水戸藩主として即位するなり大改革を実施し多くの民を救った。そして大日本史の編纂に取り掛かる中、部下より「今の光圀様であれば、神君家康公の残したこれを使えるはずです」と渡されたのが、亡き従兄である三代将軍徳川家光より託された印籠であった。光圀の徳は既に将軍の領域まで達していたのである。こうして光圀はちりめん問屋を名乗りひそかに諸国を漫遊、ラーメンなど最新グルメを食べ歩く傍ら印籠ビームで悪を根こそぎ消し飛ばしていた。

その後、八代将軍徳川吉宗など一部の将軍や御三家当主はこの印籠の力で治世を行ってきたが、次第に松平定信水野忠邦といったボケナスがこれらをめぐって争奪戦を行っていくにつれ、次第に印籠は輝きを失っていった。そしてペリーが来航し、時の十三代将軍徳川家定浦賀において印籠ビームを発動するも、「オー、ショーグン、何言ウテルカワカリマヘーン」と一蹴された。もはや印籠は、水夫一人ひれ伏させることすらできなくなかったのだ。家定はその後、どんどんバカ殿と化していった。

こうなったのも印籠の魔力ゆえだった。実は印籠は使い手が光圀や吉宗の如く暴れん坊であればあるほど効力が増す術式を施されており、篤姫らによって良い子に育てられていた家定は印籠の魔力で自分自身の頭をおかしくしてしまったのだ。

そして1867年、ついに十五代将軍…つまり光圀の子孫である徳川慶喜大政奉還を行う。西郷隆盛大久保利通ら率いる新政府軍は徳川幕府を根絶やしにするために旗揚げし、鳥羽・伏見の戦いが勃発した。慶喜は「家定公と俺は違う! 俺は誰よりもキレ者なんだ! あんな芋野郎どもに負けるか!」と印籠ビームを発動するも、直後に西郷は錦の御旗を発動させた。錦の御旗のオーラはたちどころに慶喜を光の本流で押し流し、慶喜は大坂城まで吹き飛んで行った。慶喜が目覚めたときには既に印籠は消し炭になり、慶喜の眼前で灰となって消え失せていった。それを見た慶喜は、既に徳川家には何の力も残っておらず自分一人では何もできないことを悟ったのだった。

関連項目[編集]