原石鼎

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原 石鼎 (はら せきてい、1886-1951) とは、明治時代から昭和時代にかけて大した定職にもつかずに社会をブラブラしてたニート。表向きは「俳人」などと吹聴していた。死後、作った俳句がそれなりに社会的評価を受けたため、現在では偉大な俳人の一人ということにされているが、ニートであることにはかわりない。

名前について[編集]

石鼎(せきてい)という号は「」に由来する。「鼎(かなえ)」とは、石鼎の本名でもあるが、三脚の道具であり、取っ手がついていて、食物を煮る為の鍋として用いられたりしていた。

前述の通り、石鼎は定職に就かずその辺ブラブラしていたニートであり、「名前は三本の足を持つ鼎のくせして、地に足がついていない」とよく突っ込まれていた。しかし、「地に足がついていないと言われるけど、気持ちだけは二本、いや三本の足で大地を踏みしめているんだ」と、開き直りなのか言い訳なのかよくわけのわからないことを言い始め、決意の証としてこの名前を名乗り始めたようだ。最初は「鉄鼎」と名乗っていた。しかし、高浜虚子から「看板に偽りはよくない、名前だけ取り繕っても、君が根無し草である事実は変わりない」と指摘され狼狽、「ならばせめて、鉄の鼎は無理でもそれよりワンランク劣る石の鼎を名乗らせてほしい」と食い下がり、石鼎と名を改めたらしい。

生涯[編集]

中学生の時、担任教師であった竹村秋竹に影響を受けて、俳句の道へ没頭、学業が疎かになって落第を繰り返す。この竹村とという教師、今でいえば生徒にゲーセンに行くことを誘ったりするようなろくでもない人物である。彼が俳句なんぞ石鼎にかじらせなければ、石鼎はまっとうな社会人になったであろう。竹村の罪は重い。

俳句に没頭するあまり成績がおろそかになった石鼎はついに放校され、職を転々とする生活を続ける。なお、彼は医者の息子である。恵まれた金持ちの家に産んでもらいそれなりに充実した教育を受ける地盤を固めてもらっておきながらとんでもない親不孝者である。

石鼎は新聞記者になって一発逆転することを企図し、高浜虚子に頼みこむが、君は現実を見た方がいい、と虚子から説得されて帰郷する。ついでに言うと、虚子は石鼎があの竹村秋竹に影響を受けて俳句に没頭したと知って石鼎を帰郷させようとした。竹村秋竹は、虚子の師匠である正岡子規の逆鱗に触れた人物である。師匠の宿敵とも言える人間に私淑している人物を鞭撻し導くことにかなりの抵抗感があったようだ。

帰郷した石鼎は、医者をつとめる兄のいる奈良へと赴き、兄貴のすねをかじり始める。一応診療所の手伝いなどもしていたようだが、事実上のパラサイトであり、ニートである。2年ほどここで過ごしたが、流石の兄もこくつぶし一匹飼うのは耐えられなくなったらしく、追い出されてしまい両親のもとへ帰郷する。石鼎のようなロクデナシを両親が許容するはずもなく、両親からも門前払いを食らってしまい放浪の日々を送る。その境遇があまりに憐れと感じた高浜虚子から招かれ、ホトトギスへの入社がかなう。ようやく定職につけたようだが、本人が優秀だったというより高浜虚子のコネのおかげである。

しかしニートの性分か長続きしなかったらしく、ホトトギスもやがて退社して東京日日新聞に転職した。その後は何やら病気を発症してしまったようで、隠遁してニート生活をしながら余生を過ごした。働きすぎて身体を壊してしまったなどと言われている。昔から詩人はニート体質で仕事に向いていない人間が多く、少しの労働ですぐに身体が壊れてしまうのである。

評価[編集]

飯田蛇笏村上鬼城と共に、ホトトギス派の隆盛に貢献した人物として称賛されている。しかし、村上鬼城は幼い子供達多数を養うために必死で働いたワーカホリックであり、蛇笏は実家を支える為に自分の夢を全て捨て、蔵書まで売り払って実家に帰り支えることに専念した親孝行者である。彼らとニートである石鼎を同列に比べることは失礼極まりない。

しかしながら、俳句の世界に一定の業績を残した人物であることは変わりないので、ただのニートでありながら、偉大な俳人として後世には伝わっている。文芸の世界では、生み出した文芸の質さえ高ければ、本人がどれだけしょうもない人間でも十把一絡げに偉人扱いされるのである。何とも理不尽な話である。

俳句[編集]

石鼎は定職につかずブラブラしていたニートだったので、家族との確執は多かった。彼の作った俳句は非常に秀麗にして清冽などと高い評価を受けているが、高度な表現の中に見えるのは、自分をニートと蔑み拒絶し、自分の崇高な芸術活動(と本人だけが思い込んでる)を理解しない家族への悪口である。彼の俳句は、その多くが家族への揶揄、皮肉、当てこすり、嫌悪感の発露、そして罵詈雑言である。それらを高尚な表現を用いて一流の俳句に仕上げる辺り、ニートであることに変わりはないが一流の俳人であることは間違いないだろう。

俳句に反映された彼の高い表現力は、ニート生活の中の静謐で培われたものらしい。そのため、彼はニート生活だって生産的なことなんだと、自分が定職につかないことを正当化していたフシさえあるようだ。しかし面倒を見る家族としてはたまったものではなかった。