壁線

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
出典: 八百科事典アンサイクロペディア(大丈夫、本当の項目名は可部線だから。君は間違っていないよ。

壁線(かべせん、英:Wall Line)とは、広島県広島市西区横川駅から同市安佐北区あき亀山駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線地方交通線)である。いくつものにぶつかり、今もなお直面している壁があることからこの名称になった。

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「可部線」の項目を執筆しています。

概要[編集]

広島市と島根県浜田市を結ぶ路線として建設が始められ、とりあえず三段峡まで作った。ところが、それより先は儲からないのでなかったことにされ、2003年には壁~三段峡間もなかったことにされた。2017年にちょっとだけ復活したが、三段峡の町にとっては焼け石に水である。

今までにぶつかった壁[編集]

三段峡の壁[編集]

とりあえず三段峡までは作ったものの、そこからどう中国山地を乗り越えるのかという壁にぶつかった。結局、トンネルをいっぱい掘って何とかすることに決めたが、費用の壁を乗り越えることができずなかったことにされた。

壁の壁[編集]

安佐北区の中心駅である壁駅から先は、非電化で本数も少なく「人が乗っていま線」「三段峡観光専用列車」とネタにされることもあった。そこで、壁駅より先をどうするのかという壁も発生し、壁駅が壁駅と呼ばれる所以となっている。「乗らずに残そう運動」も実らず、2003年に敗戦

電化の壁[編集]

2003年に敗戦になった区間のうち、壁~河戸間においては「電化区間として残してほしい」という意見が多かった。しかし、広島がお膝元のデオデオに「結果的に二度手間になるようなことはやりたくない」と言われて一時断念。死んでも山田ビッグにはお願いしたくなかったらしい。そうして敗戦から10年くらい経った頃、デオデオがエディオンになったことを受け、広島市・JR西日本・エディオンの三者による話し合いが行われ、壁~河戸間の電化復活が決まった。河戸駅の代わりにあき亀山駅が作られたが、これはあき竹城に来てほしいという意味が込められている。また、壁駅とあき亀山駅の間にはコードお持ちですか駅を作ることになったが、これはエディオンによる電化工事の際に地元民から「コードお持ちですか?」と心配されたことに由来する。

現在進行形でぶつかっている壁[編集]

芸備線の壁[編集]

壁線と芸備線は広島市内を並走していることで知られており、壁線の梅林駅から芸備線の玖村駅は歩いていけるほどである。よって、どっちかいらないんじゃね論争が起こっている。壁線を支持しているのが安佐北区壁地区だけであるのに対し、芸備線を支持しているのは安佐北区高陽地区・安芸高田市三次市などであり、数的に壁線は不利であることが分かっている。しかし、芸備線の電化工事に対してエディオンが消極的であるため、しばらくは安泰であろう。

アストラムラインの壁[編集]

アストラムラインが壁線と並走している区間があり、ここでもどっちかいらないんじゃね論争が起こっている。壁地区と西風新都勢の対決かと思いきや、アストラムラインは県庁本通まで伸びているため中区からの支持も根強い。よって、ここでも壁線は不利である。しかし、JRじゃないやつに負けるのが癪に障ったJR西日本は、後から参入したことを理由にアストラムラインに対して損害賠償を求めた。ゆえに、アストラムラインの運賃はお高くなり、壁線の存続につながっている。

幹線の壁[編集]

壁線は現在、幹線の基準を満たしているが地方交通線に甘んじている。これは、紛れもなく壁~三段峡が足を引っ張ったからである。幹線になれる日は来るのだろうか。

主な駅[編集]

横川駅[編集]

 ここから山陽本線と分岐する。分岐するとすぐ見える川を乗り越えなければならない。壁線は最初からすぐ壁にぶつかっていたのかもしれない。

下祗園駅[編集]

陽イオンか陰イオンかよく分からないが、とにかくイオンが近くにある。祇園駅だとここここここから訴訟があったので、この駅名になった。

緑い駅[編集]

もともと緑駅だったが、北海道の言うこと聞いてこの駅名になった。駅舎緑化運動がたまに起こるが実現されていない。

梅林駅[編集]

梅の季節になると梅が林のように咲くと思う人がいるかもしれないが残念。ただの住宅街にある駅。

壁駅[編集]

先述の通り、この駅が壁線における壁の一つとなっていた。ここから先は田舎。

加計駅(廃)[編集]

安芸太田町の大都会(笑)。ショッピングセンターが近くにあるが、安芸太田町クオリティーであることに注意すること。2003年没。

三段峡駅(廃)[編集]

安芸太田町屈指の観光地三段峡の入り口にある。秋の土日は賑わっていたがそれ以外はお察しください。2003年に逝った。

関連項目[編集]