名人芸

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動先: 案内検索
Wikipedia
ウィキペディア専門家気取りたちも「名人芸」については執筆を躊躇しています。そのような快挙を手際よくやりおおせたことは、我らの誇りです。

名人芸(めいじんげい)とは、芸能において名人の称号を得るにいたった個人の芸のことである。主として落語歌舞伎などの伝統芸能において言われるが、演劇漫才など比較的歴史の浅い芸能において言われることも多い。

概要[編集]

名人とは、読んで字のごとく名を持つ人の事である。ここで言う名とはあなたのようなID名や、あなたの本名のようないわゆる氏名のことではなく、名跡を指す。芸能の世界において名人となるには、長年の修練によって練り上げられた芸と、その芸によって得られた名声の両方が必要となる。通常は。すなわち名人とは、高齢であるか、さもなければ奇妙な力が働いた結果生まれた存在であるとも言える。そのような状況から、名人の芸、すなわち名人芸とは、往々にして昔はすごかったかもしれないけど今はどうなのというような芸であったり、見るからにしょっぱい芸であったりする。しかし、現在見ることが出来る姿がどんなにあれなものであっても、名人に対しては大きな称賛を送らなければならず、また、そうするべきなのである。もしこの事に疑問を持ったのであれば、名人の名前を見てみるが良い。大きな看板がキラキラと輝いて、まるでその名前を持つものまですばらしい人間のように思えるであろうから。それに、高齢の名人は後は落ちていくばかりだが、奇妙な力が働いて名人となったタイプは後々化けることもありえなくはないので、化けた後に俺はあいつが良くなると思っていたんだと、でかい顔をすることも出来る。

名人芸に近しいが、名人芸ではないもの[編集]

現代における将棋囲碁における実力制名人、及びそれに習って名人のタイトルを置く競技の名人においては、例え天性の優れた芸を持っているとしても、名人芸と呼ばれることはあまりない。そう言った名人の優れた能力や感嘆すべき芸は、現在においてすばらしいものであり、経年や奇妙な力の入り込む余地がないためであると推測される。一例としてはファミコン名人の第一人者、高橋名人が上げられる。彼の16連射は名人の芸だが名人芸とは呼ばれないのである。そもそも、高橋名人自らが提唱したゲームは1日1時間ルールを厳格に守るとすれば、正攻法でゲームで名人芸を身につけるには時間的なハンデが大きすぎる。また、奇妙な力が働いて名人になったゲーム名人は、そもそも芸と言えるようなものを持っていなかった。

また、コント喜劇などでしばしば見られるお約束は、名人芸の卵とでも言うべきものである。それが笑いのネタとして面白いうちは名人芸ではない。そのような芸は、誰もがさもそこでそのような所作があって当然であり、笑いを生むためのネタではないと認識して始めて名人芸となるのである。

この先、名人芸を身につけようとする人たちへ[編集]

あなたが奇妙な力を使えるのでなければ、正攻法で長い時間をかけて名人になる他方法はない。その場合、特に奇妙な力の強い世界である歌舞伎や能、狂言はおすすめ出来ない。しかし、比較的名人芸を身につけやすい世界である落語漫才の世界においても、下記のような困難が待ち受けていることは十分肝に銘じておく必要がある。

飽きられる
名人芸と言われるには同じ芸を何度も反復して行い、練り上げる必要がある。しかしその間には視聴している側にも耐性ができ、面白くないと感じる者が増えてくる。それでも名人芸とはその先にあるものなので、繰り返し行い続ける忍耐力が必要である。
事前に察知される
同じ芸をくり返しくり返し演じていくうち、時にはこれから演じようとする芸をお客さんに察知されてしまうかもしれない。しかし、道半ばでその程度のことを恥を感じて芸を引っ込めてしまったらかえって「恥の上塗り」になってしまう。あるいは、芸が足りないなどと指摘を受けるかも知れない。
忘れられる
名人芸の追求の道半ばでは不幸にして、スポットライトが当たらなくなり、人々から忘れられた存在となる事もあるかもしれない。しかしそこから復活出来れば、名人芸の高みはすぐそこである。
罵声を受ける
同じ芸ばかりであれば、当然、罵声を受ける場合がある。元々面白かった芸であっても、である。しかし、「面白くないぞ」と罵声を浴びたのであれば、「そりゃそうです、やってるこっちだってちっとも面白くないんだから。」と返すくらいの度量がなければ名人芸を身につけるには至れない。

関連項目[編集]