嘉風雅継

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嘉風 雅継(よしかぜ まさつぐ、1982年3月19日 - )は、我らが大日本帝国大分県佐伯市出身である尾車部屋所属の現役相撲である。虚言癖が著しく、本来の得意手は叩きなのに突き・押しと答えたり、パチンコばかりやっているにもかかわらずイカ釣りが趣味と公表したりする。とはいえ、実力は最高位が西前頭筆頭と思えないほど高いとされており、2011年に入ってからはハチナナ・クンロクの小さい勝ち越しを決めつつ星を売って金を得るという、実力に裏打ちされた副業を行っている、とされる。

来歴[編集]

小さいころから自信過剰であり、小学校時代に晩年の旭富士の取り組みをを見ては「オレなら前袋掴んで不浄負け狙うね。」とうそぶく傲岸不遜ぶりを見せていたので母親の癇に障り、小4のあるひ、大相撲の巡業の花相撲に参加されられた。母親の息がかかった若花田は、事故名目で大西少年を絶命させるつもりであった。しかしながら大西少年は若花田を倒したのであった。その時の技が秘術・後ろ縦ミツ掴みであった。当時の二子山部屋力士達は卑怯な前袋相撲を得意としており、大西少年はそこからヒントを掴んだのだ。結果として若花田が大西少年に塩を送ってしまう形となった。

その後、ここ一番のふてぶてしさを活かし、アマチュア横綱を獲得。しかし、大西は学業と学生相撲を優先し、(ほんとは入門を先延ばしにして、その分スカウトに余分に飯をおごらせるつもりだった)卒業前に幕下付け出し資格が失効。 卒業が決まった後に尾車部屋に入門し、2004年(平成16年)1月場所に初土俵を踏んだ。タイトルホルダーとして初めて前相撲からの初土俵となった。

わざわざ前相撲から始めた理由はもう一つあった。得意のはたきを活かし、ちゃんこ番や付け人を務めるふんどし担ぎに足を滑らせたような恥ずかしい負け方をさせて廃業に追い込み、付け人やちゃんこ番が不足して相撲に集中できなくなる部屋を産み出してやろうという意図があった(尾上部屋や鳴戸部屋がその好例)。

四股名の嘉風を誤読した「かふう」から尾車親方から「ケバブが食べたくなる四股名だ。」と冷やかされることがある。そのせいで尾車親方はなかなか痩せないのだ。

大相撲大麻問題で不当解雇された力士が発生した時は、「大嶽部屋のロシア人を見殺しにした脳梗塞廃人は拳銃密輸してたじゃねぇか。しかも廃業したての元大関を盾にして逃げ切りやがった。自分の悪行は棚に上げてちょっと大麻を嗜んだ同郷の人を切り捨てかよ。」と非常に憤慨したそうであり、親方が部屋の閉鎖を考えていた時、「親方がやめるなら俺は作家に転身して『大相撲if』を出版します。」と嘘でたらめをこいて親方を翻意させ、大揺れだった部屋をまとめ上げたという。

2010年に起きた大相撲野球賭博問題では野球賭博に関わったとされ、特別調査委員会から名古屋場所での謹慎休場を勧告されたが、「『CR野球賭博』知らないの?」と嘘でたらめ兼言い訳を弄し、出場停止を覆した。さすが腐っても大卒。だいたい野球賭博事件自体が大相撲相撲賭博問題の捜査の際に取引の結果として代わりに表沙汰にされた不祥事に過ぎないのであり、嘉風も相撲賭博力士(初日から黒星ツラ相撲の相手に負ける傾向があり、このように相撲賭博の結果を操作することで金を安全に稼げるのだ)として疑わしいにもかかわらず、本人の集客力や部屋の力関係のおかげで不問に処された。

嘉風の人生計画[編集]

以下の文章は嘉風が自身の人生計画について語った内容である

俺は小4から相撲を始め、叩きと後ろ縦ミツ掴みを極めてアマチュア横綱になり上がり、大相撲力士としては審判部入りできる基準の最高位前頭2枚目をクリアし、幕内中位から下位でハチナナ・クンロクを早々と決めつつ星を売って年寄名跡を買う金を蓄える。嫁は容姿は最低限見れる程度でいいから、代わりにプロポーションの優れたを希望する。子供は1人いればいい。引退した後は、自分の息子が引退後に審判部入りできる位の実績と金を確実に得られるぐらいのレベルまで相撲界を衰退させてやる。ドーピング問題や未成年飲酒問題を暴露すればいいか?

実際には女の子が2人生まれている。

関連項目[編集]