国鉄213系電車

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国鉄213系電車(こくてつ213けいでんしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が死に際に送り込んだ銀色の最終兵器である。

概要[編集]

時は西暦1987年(昭和62年)、岡山にいたボロカボチャを追い出すため、そして瀬戸大橋線という将来への布石のため、すでに瀕死状態だった国鉄がピッコロ大魔王の卵のごとく産み落とした完全な新車である。

国鉄では1985年から3扉のステンレス製近郊型電車211系を製造していたが、それに2扉の鋼製近郊型電車117系をかけあわせて造られたのが213系であった。要するに車体デザインが211系で、窓割りは117系。

ステンレス車体に青と水色のテープを巻く。この色は瀬戸内海をイメージしたものといわれているが、実は民営化後に誕生するJR西日本JR四国友愛を示すものである。

元ネタの211系と顔は似ているが、前面展望を良くするために、左側にある前面窓と貫通扉の窓が下に伸びた。これによってよりべっぴんさんとなった。この顔は他社(特に東海)の車両にパクられている。

動力システムも211系と同じく、抵抗制御に毛が生えたのシステムを採用した。たが、211系と違うのは、モーター車が1両だけで完結する1M方式というのを採用している点である[1]。この1M方式は、元々211系を横須賀線に投入するつもりで開発していたものであったが、大人の事情で計画がおじゃんになってしまったので、「このまま放置プレイするのはもったいない」と言うことで再利用した。また、213系の基本編成は3両なので、モーター車を1両だけにして製造コストをケチりたかった事情もある。当時の国鉄の常套手段である。

ちなみに同時期に四国のほうで、121系という銀色の電車が登場している。ぱっと見新車のように見えるが、実は毛すら生えていない抵抗制御であり、台車とかは101系103系死体から頂いたという、張子の虎であった。ところが213系は完全な新車である。この期に及んで国鉄はまだ地方差別をしていた[2]

車内は転換クロスシートを装備している。国鉄天下の東日本の近郊型電車ですら、こんな豪華な座席は備えていない。また、旅客サービス用の補助電源装置に電動発電機(MG)ではなく静止形変換装置(SIV)が採用されたのは、国鉄では213系が最初で最後である。この事から、いかに国鉄がこの車両に力を入れていたかがわかるだろう。121系とは違うのだよ!121系とは!

なお、JR東日本が製造した車両にサロ213・212形という形式が存在するが、これらは213系の功績にあやかろうと便乗した車両であり、実際は211系の仲間である。

歴史[編集]

登場時[編集]

1987年3月22日、UNO線快速列車として投入される。でも、10日も経たないうちにJRになってしまったので、鉄道教からは国鉄の車両という印象はほとんど無い。

岡山地区を引き継いだJR西日本によって、この快速列車は「悲惨備讃ライナー」と名付けられた。当時として珍しく灰皿を設けず、全面禁煙にして拝火教信者を締め出すという、画期的なことをやってくれた列車であった。

同時に、先頭車1両だけを指定席にするようになった。この指定席とは「510円(閑散期310円)を払ってくれれば確実に座れますよ^^」と言う意味であり、座席は自由車と同じである。これに騙されてホイホイついていった人がどれだけいたことか…。

瀬戸大橋線開業[編集]

1988年4月10日、瀬戸大橋がなんとか完成し、UNO線が瀬戸大橋線に進化する。これによって、本州と四国が常につながっちゃうよ~><状態になる。

JR西日本はこれを睨んで、西日本地区では久しぶりの普通列車用グリーン車となるクロ212形を製造し、これを従来の213系に連結。UNO線の備讃ライナーを廃止した代わりに、 瀬戸大橋線を走る快速「マリンライナー」を登場させた。

クロ212形は、近郊型電車としては異例の大きな側窓を持ち、前面は流線型をしている。瀬戸大橋からの車内展望を計らったものだが、このせいでステンレスボディでは防御力が足りなくなったので、ただの鋼製になった。ステンレスの普通車と連結すると違和感ありまくりだが、まぁ特別車って一目でわかっていいんじゃない?当たり前だが、このグリーン車も完全な新車である。

のちに西日本が、このグリーン車に近鉄王国の5200系のエッセンスを入れて生み出したのが221系だ。よく見ると顔が似てるでしょ?え?あんま似てな検閲により削除

また、「スーパーサルーンゆめじ」という、クロ212形(及び類似の中間車)のみで構成される3両編成のジョイフルトレインも造った。でも、全て鋼製車体のために、1M方式では動けないデブになってしまった。仕方がないので、2両をMM'方式の211系にした。

こうして登場したマリンライナーは瀬戸内海を舞台に海物語を展開。「マリンちゃん」の愛称で、沿線住民および鉄道教から親しまれるようになる。

瀬戸大橋完成ブームとバブル景気で観光客がバンバン来たため、ゆめじさんもマリンちゃんに組み込まれて一緒に走ることが多かった。

鼻を高くした西日本の中の人は、バブリー真っ只中の1989年まで213系を増備する。なお、この時に製造されたC12編成は、3両編成なのに全ての車両が先頭車になっているという意味不明な仕様となっている。

それと、マリンちゃんになってからもぼったくり指定席はやめなかったよ。

サンライナー運用[編集]

昼間はマリンちゃんとして働きつつも、夜は別の顔を持っていた。それが快速「サンライナー」運用である。岡山発三原行きサンライナーとして働き、三原から普通列車として福山まで戻ってそこでお泊りし、翌日に福山発岡山行きサンライナーで朝帰りさせるというもの。ボロい117系より快適だと評判であった。

ここで特記すべきは、この三原発福山行きの普通列車で全ての座席が自由席になるということである。つまり、グリーン車にタダで乗れたのだ。これを知った鉄道教徒が、この普通列車目当てに殺到したとかしないとか。

瀬戸大橋線からの撤退[編集]

マリンちゃんとして活躍し始めてから10数年が経つ頃、車体は瀬戸内海の潮風に揉まれてうすしお味に仕上がってきてしまった。特に鋼製グリーン車は、桃太郎痛車にされた精神的苦痛も合わせて、予想以上にオンボロになっていた。

瀬戸大橋線はマリンちゃんの活躍によって利便性が高くなったので、沿線に住宅が増えたために利用者が増加。毎日の通勤ラッシュを2扉で捌けなくなったり、遅延が発生するようになっていた。

そして、四国から2000系気動車8000系電車が高速で飛来するようになり、213系はおじゃマンボウ扱いされるようになった。実を言うと、213系の起動加速度は3両基本編成(MT比1:2)で1.4km/h/sしかない。2両編成(MT比1:1)に組み直しても2.07km/h/sが限界だった。国鉄形電車の中では、北海道の711系(1.1 km/h/s)に次ぐ遅さである。

こうして立場がなくなった213系はマリンちゃん引退を決意し、2003年10月1日、223系5000番台(及びJR四国5000系)を後継とし、瀬戸大橋という大舞台から降板。これ以降、第二の人生を歩むこととなる。

岡山のアイドルへ[編集]

マリンちゃん運用を追われたあとは、活動範囲を山陽本線伯備線赤穂線、UNO線などの岡山県内のローカル線に移す事となった。転換クロスシートを装備した213系は好評を博し、岡山のアイドルとして君臨することになった。

転用にあたり先頭車が不足するため、中間車の片側に運転台をつけるという魔改造を施した。その先頭車化された車両の顔があまりにアレなので、一部の鉄道教徒から「ステンレス製食パン」という敬称を拝命している。だが、オリジナルの顔に似せようと努力はしているので、それを放棄した食パンやサンパチ君よりは100倍マシである。なお、使い道を失った鋼製グリーン車は粛清されました

ところが2007年、223系5000番台の1編成が踏切事故で負傷して戦線離脱。偶然にも他の編成も定期検査中で予備車が無くなっちゃったので、その間のマリンちゃんの代走をJR西日本から頼まれ、1ヶ月だけちょちょっと走った。

2008年4月10日、「懐かしの213系マリンライナー」として213系でのマリンちゃんが1本運転された。リバイバル運転で金を稼ごうと企んだJR西日本の策略であった。すでに鋼製グリーン車は廃車されていたので、ゆめじさんの先頭車を借りて6両編成で運転された。全席指定席であり、備讃ライナーからの伝統であるぼったくり指定席も復活した。

2010年、盟友ゆめじさんが引退。やはり鋼製の身体での寿命は早かったようだ。

2012年に入ってから、西日本のお家芸である体質改善工事が開始された。行先表示器がLEDとなり、内装が225系風味になった。現在は全車への施工が完了しており、あと2〜30年は岡山のアイドルの地位は安泰であろう。

2016年、1編成2両が真っ白な塗装を施されたジョイフルトレイン「ラ・マル・ド・ボァ」に改造され、UNO線で活躍中。四国に来ることもある。

技術試験車への改造[編集]

前述の先頭車化改造時にハブられたクロ212-1およびサハ213-1が、223系の一匹狼クモヤ223-9001とユニットを組み、技術試験車「[email protected]」を結成。そのイロモノ臭溢れる編成にゲテモノ好きの鉄ヲタはどよめいた。

いろんな所をうふふして試験に臨んでいたが、近年は動くこともなくなり吹田工場の片隅でホコリを被っていた。しかし2019年、突然廃車になってしまった。

JR東海の213系[編集]

1989年、JR倒壊がJR西日本で保管されていた213系の設計図を盗み出して製造した車両。213系5000番台を名乗る。当然ながら完全な新車である。

東海の213系は西日本のオリジナルとは違い、当初から2両を基本編成としている。他にもクーラーとか色々違うけど、特に目立つのが車体端がロングシートにされてトイレを省略したので、旅客サービスがダウンした点である。さらに帯がカボチャカラーのため、正面から見ると211系と区別が付かなくてややこしい。

関西本線にはびこっていた急行形カボチャを山奥に追いやるために投下される。御殿場線にも投入予定だったが、乗り入れ先のJR東日本から「転換クロスシート車なんぞがあると、うちの普通列車のグリーン車に客が来なくなって商売上がったりだろ!ロングシート車にしろ!!」と圧力をかけてきたため、仕方がなく211系の車体を載せた211系6000番台が投下されている。

1999年の関西本線ワンマン化に伴い、大垣車両区から神領車両区へ避難。新天地でお仕事を開始するも、ラッシュ時とかよっぽど車両不足である以外は非番で、昼間はほとんど名古屋駅で寝てるニートレインに成り果てる。こんな状況になってしまった理由は、トイレが無いこと、2扉でうまく客を捌けないこと、トイレが無いこと、ワンマン改造すると座席が減っちゃうこと、それとトイレが無いことである。

こんな望みの薄い日々を送っていた東海の213系だったが、2011年に転機が訪れた。突然、近畿車輌の工場へ連れて行かれ、トイレと半自動ドアが設置された姿に変身する。年内に大垣車両区へ再転出し、飯田線でお仕事をもらえるようになった。

そして2012年3月17日、飯田線のアイドルだった119系を引退に追い込むことに成功。「普通の鉄屑に戻ります!」の119系の言葉をよそに、213系は飯田線のアイドルとして君臨することになった。今後の末永い活躍が、一部の大きなお友達から期待されている。

脚注[編集]

  1. ^ 211系はモーター車2両で1ユニットを組む。長編成には向いているが、短編成化するにはあんまり融通がきかない子である。
  2. ^ 同様の事例は前年に登場したキハ183系500番台(北海道、完全な新車)とキハ185系(四国、廃品利用)でもやらかしている。四国には越えられない壁があるらしい。

関連項目[編集]