大作療法

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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大作療法(たいさくりょうほう)とは、主にユーモア枯渇症に対応するためのショック療法であり、かつ、パッと見、ナントカ学会を思い起こさせる困った治療法である。

概要[編集]

日夜、良記事クソ記事を生み出すアンサイクロペディアには様々な種類のユーモアが存在し、多くのアンサイクロペディアンが、他人の笑いという不毛な存在のためにクソの役にも立たない努力をし続けている。

まぁ、表現ってのはそういうもんだ

そんなアンサイクロペディナンたちの間に存在する業病がユーモア枯渇症である。この病気に罹患すると、徐々に記事を手間暇かけて編集することができなくなっていき、さらに、他の記事について加筆する場合でも、いったいどうすれば笑える記事になるのか思い出せなくなっていく。最終的に、どうやって笑わせればいいんだっけ?という、相当深刻な状況に陥るアンサイクロペディアンは多い。ただし、新規作成記事を2、3個程度書いたらもうユーモアが枯渇するというのは、本人のネタ、およびネタの源泉が少ないだけである。

ちなみに、ユーモア枯渇症を治すにはひたすらアンサイクロブレイクを行うしか方法がない。しかし、そのような悲劇を少しでも軽くするために、大作療法というものが存在する。なお、ここで言う大作とは、記事のキロバイト数が3万を超える記事のことである。

併せて、大作という文字にどうしても違う大作を思い出してしまう人は、20年前の一発屋の大作を思い出すこと。

大作について[編集]

世の中の笑いの中には、どうやったって笑うしかないという稀有な笑いが存在する。それは、主にとんでもない悲劇のそばにあり、多くの場合は歴史、もしくは政治戦争の分野に属している。特に第二次世界大戦ベトナム戦争イラク戦争などには、事実の積み重ねで笑いが取れる事例がたくさんあり、中にはウィキペディアにおいてでさえ、冗談にしか見えない良質の笑い、かつ、悲しすぎる事実も存在している。これらの事実をただひたすらに書き込むのが大作療法である。別に大作にする必要はないのだが、面白い題材であればあるほど、エピソードや笑うしかない事実がたくさんあるため、結果的にほとんどの題材において大作となってしまうのである。

たとえば、愚将に率いられた大軍が英雄に率いられた少数の部隊に惨敗するという事実は、明らかに笑える。また、愚かなトップが率いた会社や国が、少しずつ少しずつ崩れていくその様は、涙と一緒に爆笑も誘う。そのため、これらの「確実にそこに存在する笑い」を上手くつかむことで、ある程度発症しはじめたユーモア枯渇症をやり過ごすこと、それが大作療法の目的である。もっとも、ユーモア枯渇症が治るわけではないので、その点は注意が必要である。

併せて、上海から蘇州汽車に乗るとは言うが、広い中国の話なのに上海と無錫は128キロしか離れていないので注意すること。

大作療法[編集]

もちろん、「大作療法」にも副作用がある。第一に、とんでもなく疲れる。なぜなら、いくらインターネットで資料を探せるからといって、やってることは夏休みの自由研究大学のレポート、どう軽く見積もっても、読書感想文よりもずっとつらい作業だからである。第二に、一般的なアンサイクロペディアにおける笑いの作成方法とはまったく違う、まさにコツコツと文章を書き込んでいかなければならない苦行が待っているという点である。確実に存在する笑いを笑うためには、ひたすらに事実を一つずつ積み重ねなければならず、膨大な資料をつき合わせながら、矛盾を突き詰めて裏を取り、最悪、時代背景まで考慮して推敲を重ねなければ、事実というものがそう簡単には笑いと結びつきやがらないのである。

この作業は明らかに一般的ではない。中には、海外のウィキペディアから記述を持ち出してまで、情報を補填する作業も行わなければならず、「俺、何やってんだろう・・・」と、ヤバイぐらいに我に返る瞬間すら存在する。これは、夏休みの宿題を必死になってやってる最中に突然訪れる魔の一瞬と酷似している。そのため、事前に確実に笑える題材を選ばなければいけない。素晴らしい素材ほど、資料をひっくり返すたびに笑いが出てくるため、また次の資料を当たろうという気持ちになる。・・・なるはずだ。多分。きっと

併せて、ウィキペディアには、ある年代より上の世代には無錫の知名度は非常に高いとの記述がある。やかましいわ。

最前線に立つということ[編集]

ユーモア枯渇症の恐ろしい側面として、長期間書き込みがなされないことによる文章力の低下がある。これは、ようやく面白いことを思いつけるようになった患者を再度地獄へ落すための特急券であり、治療するためには、湧き上がるようになったユーモアをぐっと押さえ、小さな加筆の積み重ねを続ける努力が必要になる。なぜなら、誰しもが笑えるユーモアならまだしも、ほとんどのユーモアは、執筆者のセンスと文章の技術の積み重ねで発動するものだからである。これは、最前線に派遣された新兵が、一度の負傷でいきなり使えなくなってしまうのと同じ原理である。最前線に戻すためには、ある程度、現場の空気を思い出させる時間が必要になる。

この時間がもったいないときに大作療法は威力を発揮する。

実際、大作を書きながら他の記事に手を出してはいけないなどという法律は存在せず、むしろ、ある程度ユーモア枯渇症が治りかけた段階では、大作を書きながら積極的に他の記事に手を出すことで、文章力の低下を感じさせないでユーモアを発揮することが可能となる。また、大作についても、ユーモアがなかった状態ではなく、ユーモアが湧き出た段階でそれまでの文書を推敲することで、より高いレベルの笑いを追及することも可能になる。

上手くいけば・・・ね

もちろん、選んでしまった題材によっては心底逃げ出したいような苦行に陥ることもある。

併せて、1988年に起こった上海列車事故で被害にあった修学旅行生は、実は「無錫旅情」と同じ行程をたどっている。

大作療法のために必要なもの[編集]

まず、なんといっても題材である。後、そのための資料である。幸い、ほとんどの場合ウィキペディアか、もしくはインターネットで資料を見つけることができるが、それだけでは足りないことも多い。大作療法を実践するには、ブックオフ図書館、遠い昔の記憶も総動員して「こんな話、誰も知らんだろう」という必殺兵器を用意しなければいけない。笑い以外に。これは、単なる事実だけではウィキペディアに負けてしまうためであり、また、アンサイクロペディアのはずなのに知識欲を満たすという、被虐精神旺盛な人間を満足させるためである。

その最たるものがハンス・ウルリッヒ・ルーデルである。最終的に、事実の積み重ねで読み手を笑わせるためには、センスやユーモア以上に情報収集能力や文章力が必要になる。

つまり、ン万キロバイトを超えるクソ長い文章を笑いも交えて人に読ませるには、生半可な覚悟ではできないということである。はっきり言って、めさくさつらい。でも、ユーモア枯渇症のほうがつらい

併せて、尾形大作福岡で生きているらしい。

お暇な方はどうぞ[編集]

以下の項目は、全て笑うしかないレベルの現実が積み重なってできている。

スターリングラード攻防戦
独ソ戦のハイライト。事実がここまで面白いと、本当に何もいえなくなる。
レニングラード包囲戦
独ソ戦の隠された歴史パート2。ウィキペディアが隠した事実があまりにも多すぎて困る。
ゲオルギー・ジューコフ
ソ連の歴史に燦然と輝く英雄。正直、チート。そのため、事実を積み重ねても上の2つとはまるっきり印象が違うが、味方を犠牲にした数は毛沢東とタメを張れるので、十分題材となりうる。
硫黄島の戦い
太平洋戦争だって負けてない。なお、こんな陰惨な戦いに笑いなんて存在しないと思うのはまだ甘い。こんな陰惨な戦いだからこそ、アメリカ軍の油断と苦戦が笑えるのである。
カンボジア内戦
ウィキペディアに書けやしない事実が多すぎる項目パート2。しかも、これがたったの30年前の出来事だってんだから、どうしようもない。
アフガニスタン侵攻(2001)
現在進行形パート1。どこをどう切り取っても、笑うしかない現実が出てくる。
金融恐慌
現在進行形パート2。これも世界中の愚かしさが詰まったいい題材である。
ジョン (イングランド王)
イングランド史上最悪の暗君にして、12世紀のブッシュ。やることなすこと全て反対側に動くその様は、事実をありのままに伝えたほうが笑える。
立川談志
髪があるほうの化け物。
古今亭志ん生
髪がないほうの化け物。

併せて、他にも有名な大作として相馬大作という盛岡出身のテロリストが存在する。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

無錫旅情