大阪府立和泉高等学校

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大阪府立和泉高等学校(おおさかふりついずみこうとうがっこう)は大阪帝国岸和田市にある公立高等学校である。

校名[編集]

1901年に創立された、泉南郡立泉南高等女学校を前身とする。1928年にさる理由で大阪府立岸和田高等女学校へと改称している。1948年に学校教育法が施行されると、大阪府立岸和田中学校と岸和田高等女学校はともに岸和田高等学校を名乗った。近隣では旧岸和田中学は元祖岸和田高校、旧岸和田高女は本家岸和田高校と呼んでいた。

以後、

「なんじゃい、ワレ、同じ市内に同じ名前の学校があったら紛らわしやないか」

「アホウ、それはこっちのセリフじゃ」

「オンドレ、なめてんのか。しまいにゃしばくぞ」

「おもろいやないか。矢でも鉄砲でも持って来んかい」

という争いが双方の職員、生徒の間で絶えなかった。両校とも男子校、女子校から再配分して共学化したため、元は同級生や先輩・後輩だったから事態が一層深刻化した。

この時期、同様の争いが大阪帝国各所で起こっていたが、旧堺中学校と旧堺高等女学校は、山口組の仲裁で手打ちの盃を交わし、それぞれ大阪府立三国丘高等学校大阪府立泉陽高等学校と改称して痛み分けした。

そういう「金持ち喧嘩せず」の精神とは最も遠い岸和田では、血みどろの抗争の果てに職員数・生徒数の多い旧岸和田中学が岸和田高等学校の名称を獲得した。旧岸和田高女は腹いせに何の罪もない和泉町の町名を横取りして大阪府立和泉高等学校を名乗った。おかげで和泉市内で最も伝統のある大阪府立和泉総合高等学校が、二流高校と思われることも少なくない。これだから岸和田人というものは…

しかし、「大阪大学」「京都大学」の校名を奪われた大阪府立大と京都府立大が、未だに「府立大」の略称をめぐって抗争しているいることに比べれば、まだまだ子供の喧嘩のうちである。

学徒動員[編集]

2010年、大阪帝国初代皇帝橋下徹の刎頚の友である中原徹が校長に任命されると、「平和と国防を考える」というイベントを開催した。これは、表面的には志願制であるが、校長自ら企画したイベントに参加しなかった場合、どのようなことになるか、すでに賢明な読者はお察しのことであろう。

その内容は、

  • 「国防」の部門では、「平和」の授業の後に、有志の生徒が自衛隊の訓練に参加して、自衛隊員の話を聞きました[1]

という戦中の肉弾訓練を彷彿させる、てゆーか、まんまじゃね。

「武力紛争における児童の関与に関する児童の権利に関する条約の選択議定書」によれば、一年生の中に含まれる十五歳の児童を軍隊に志願する者として採用してはならない[2]のだが、それを理由に「国防」の授業を志願した後、「今日、友達と遊びに行きたくなったから休みます」と連絡してきた十五歳の児童に、中原閣下が、

「そうか、気をつけて行ってこいよ。じゃあまたな」

と答えるか、そうでないかは、言うまでもあるまい。

脚注[編集]