大黒輪孝行

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ナニモノかがウィキペディアに「大黒輪孝行」の項目を執筆しましたが、要出典厨削除厨の暗躍により削除されてしまいました
「この子本当に新入幕?」
大黒輪孝行 について、みのもんた
「新入幕なのに10年いるような外観だ」
大黒輪孝行 について、北の富士勝昭

大黒輪 孝行(だいこくりん たかゆき、1984年8月16日 - )は、大日本帝国の支配下となっている植民地愛知人民共和国名古屋市中村区出身で北の湖部屋(入門時は木瀬部屋)所属の元相撲レスラー、現・スナックオーナー。本名は市原 孝行(いちはら - )。最高位は西前頭13枚目。現役時代は大相撲賭博連合会友、十両互助会常任理事を勤めた。得意手は引き、叩き、立ち合い変化、対戦相手との阿吽の出し投げで「汚相撲」と総称される。苦手は突き、押しであるが、公式プロフィールではなぜか得意手と真っ赤なウソが書き込まれている。

国籍や四股名については以下にて説明する。

国籍について[編集]

愛知人民共和国大日本帝国から見たら外国にあたるが、大黒輪は既に大日本帝国に1999年12月31日に帰化を承認されており、現在は日本国籍である。帰化前の名前はNyuurin Dekasugi Dattebayo(ニュウリン・デカスギ・ダッテバヨ)である。ちなみに、大黒輪のミドルネームは、琴光喜の日本帰化前のミドルネーム(Hitai Semasugi Dattebayo ヒタイ・セマスギ・ダッテバヨ)と同じである。

四股名について[編集]

2007年11月26日、新入幕を確実とし、当時本名でとっていた四股名を大黒輪(だいこくりん)に改めることが正式に発表された。しかし、翌11月27日に日本相撲協会が「この改名は手続き上の問題で受理できなかった」と発表、翌場所の番付には「前頭 愛知 市原孝行」という一行が記されていた。大黒輪の四股名の由来は「乳輪が異常に大きく、黒い」という、外見上の様子を反映した四股名であった。ちなみに、頭の硬い連中は、これを初めとして、事実に基づいた編集の大半を「荒らし」と認定し、半保護とした。

現在、大黒輪は仕方なく、「本名でとり続けるのもちょっと・・・。」との理由で番付表と相撲協会の重鎮犬HKでは「清瀬海 孝行(きよせうみ - )」という、虚偽の名前で呼ばれることとなった。

来歴[編集]

小学2年の時、地元のSUMOU道場で相撲という格闘技をはじめる。時は変わって2000年、相撲の強豪埼玉栄高等学校に入学、高校横綱とかいう訳のわからぬものを獲得する。優勝トロフィーは「持ち帰るのが面倒くさい」と、会場近くの駅のゴミ箱に捨てた。

2003年日本大学に進学。同期に森友樹山本龍一らがおり、4年次には主将をつとめた。ちなみに、当時は横綱貴乃花の引退直後で相撲人気が乏しく、全くモテなかったという。

2007年1月場所、幕下10枚目格附出で初土俵。同年11月場所に新十両となる。

2007年11月場所、大学の1年先輩にあたる境澤に敗れ十両優勝はならなかったが、翌場所での新入幕を確実として、四股名を大黒輪に改める。この際の騒動については上に記したため今回は省略する。

新入幕を果たした2008年1月場所では、偶然誰も八百長を仕掛けてこなかったため勝ち越したが、翌3月場所初日、八百長をしようとした高校、大学(ただし1年中退の根性なし)の先輩、豊真将に「ヤオチョウ、キライ。イツデモ、ホンキ。」となぜか片言で断ったため豊真将が激怒。結果的に右膝十字靭帯損傷となり、休場。十両陥落後も下位で甘んじる状態となってしまった。その後大黒輪は「豊真将完全抹殺計画」なる計画を立てたようだが、その真意は不明。なお計画は成功した模様で、これ以降清瀬海が現役であった間、豊真将は上位に番付を上げては体調不良を繰り返すようになってしまった。

2010年5月、北の湖部屋に移籍する。理由は・・・お察し下さい。

もし仮にこういった事態になると、テレビ中継では「どこが大黒輪なの」といった事態に陥りかねない。

2010年7月場所前、琴光喜の不手際で発覚した大相撲賭博連合の存在で、所属していることが発覚したという理由で7月場所を謹慎休場となり翌9月場所では幕下へと陥落を余技なくされた。この事件では自身の肩書きを捨てることにはならなかった。

しかし、2011年1月場所後、竹縄親方(元幕内・春日錦)の不手際で一般ではまことしやかに噂されていた十両互助会の存在が発覚。常任理事としてその活動に従事していた携帯電話の通信記録が暴かれた。大黒輪自身は関与を否定しているが、同じ常任理事の千代白鵬が自身の職を賭けて存在を公表してしまったため、彼の職は怪しくなり、実際その後彼は引退に追い込まれ職を解かれてしまった。大黒輪の相撲については千代白鵬の所属する九重部屋に幕下付け出しで入門した明月院と、同部屋の明瀬山が継承争いをしている。

そして自身も八百長への関与を否認しながら引退を余儀なくされたことから千代白鵬や春日錦らと違って平和な日々を送ることができるようになり、スナックを経営することに。名前はゴツい男のくせに「愛」。スナックのくせに店内には男くさいものがゴロゴロし、水曜日の店員はオーナー大黒輪だけという体たらく名状況になっているのに、スナック経営のために始めたブログはやけに女くさい。しかも、八百長をやっていたことを認めるような発言が行われたことからヒットマンが彼の動きを注視し始めた。

史上最強の西前頭13枚目[編集]

清瀬海が三役になれなかった理由には、「みんなの相撲道の役に立つことが出来たら、十両尻永久据え置きでも構わない。」と自認する人の好さや、怪我の多さ、慎重過ぎる立ち合いなどが挙げられる。十両で8勝、9勝程度の勝ち越しが出来ても、勝ち越しが確定すると極端に星を落とす傾向があった。また、負け越しが確実視される絶不調の場所でも最終的には負け越し点を自らの実力で最小限に喰い止めたため、その無欲さと向こう気の同居する性格故か、審判部の心証を悪くし(某審判委員には、なんて都合のいい奴なんだ、と八百長を疑われたことすらある)、勝ち越しても番付がなかなか上がらず、怪我での大敗や全休に甘んじることも何度か経験してその度番付を急落させ、大局的には十両定着がやっとであった。

しかしながら実力は三役クラスであり、翔天狼大士には「普通の人なら立っていられない足の怪我をしているときに十両で勝ち越し。万全の時に星を落とす癖が治ったなら三役。」と評されている。2008年1月場所中、師匠の木瀬親方が手を抜いた相撲を取った新入幕の市原を叱った時、市原は「俺は相撲のアマ世界チャンプですよ!体重だって180キロも有るんですよ!力加減間違えたら相手が死んじゃいますよ!ここそういう所じゃないでしょっ!!!」と必死にまくしたて、木瀬親方はそれ以上なにも反論できなかったという。取り組み直後に土俵下で親方と上記のような口論をしている様子は、その最中にインタビューが挿入されたことで全国ネットでの放映を免れた。


関連項目[編集]