寺田桜子

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寺田 桜子 (てらだ さくらこ、1984年5月17日 -) は、休むことで名を挙げた元カーリング選手である。愛称は「さっちゃん」。

休むことの重要性[編集]

人間の精神力と体力には限界というものがある。24時間365日働けと言っている人も居るが、そう言っている人も実際には多かれ少なかれ休みを取りながら走り続けているのが実態である。休むこと自体は直接的な成果を挙げることはないが、適度に休んで体と頭の疲れを取ることにより成果を出し続けたり、後々良い成果を挙げることが可能になるのである。「休むことも仕事のうち」と言われるのはそのためである。

しかし本項で紹介する寺田桜子は、休むことで名を挙げた稀有な例として知られる。以下、その経歴とともに休んだ実績を紹介する。

トリノオリンピック出場まで[編集]

寺田は目黒萌絵に誘われて空知こざくらというチームでカーリングを始め、当時はサードのポジションで成長を重ねる。2002年には日本カーリング選手権でシムソンズに予選唯一の黒星を与えて注目されたが、翌年に高校卒業を控えており卒業後もカーリングを続けるかどうかの選択を迫られた。

同年のソルトレークシティオリンピックでシムソンズが炎上したことをきっかけにチームが離散することになり、メンバーの小野寺歩(現姓:小笠原)と林弓枝(現姓:船山)が青森県に救われる形で移住。この小野寺に「青森でやらないか」と目黒とともに誘われたことがきっかけで寺田は青森に移住し、後のチーム青森を結成することになる。

寺田はチーム青森では参画当初はリードまたはセカンドを務めていたが、2005年序盤に怪我していた目黒が復帰するとリザーブに回る機会が増え、試合を休むことが増えるようになる。

トリノオリンピック[編集]

トリノオリンピックでは寺田は予選リーグ第2~3戦こそリードで出場したが、第4戦目以降は最後までリザーブであった。カーリングブームのきっかけとなった第5戦カナダ戦でもリザーブであり、その後は試合の度に「さっちゃんは今日もお休みです」とアナウンサーから紹介され続けたことで「お休みの人」として寺田は日本のお茶の間に認知された。

寺田は試合に出ていなかったことが1つの個性となり、スキップの小野寺やサードの林、巨乳で騒がれた本橋麻里ほどの人気は得られなかったが、7試合に出場した目黒よりも休んでいた方が多かった寺田のほうが有名になった。中途半端に出たり休んだりするよりも休み続けたことで名を挙げたと言えるだろう。

トリノ後[編集]

トリノオリンピック後に小野寺と林が競技の一線から退くことになり、チーム青森はスキップの目黒と主将に就任した寺田を中心としたチームに生まれ変わる・・・

はずであった。

しかし2007年7月頃から寺田は体調不良に悩まされ始め、同年9月から休養。絶対的な存在であった小野寺と林が居なくなり、新しいメンバーが加わったことでチーム内の人間関係がギクシャクしたと言われているが、真相は藪の中である。さらに12月には正式にチーム青森から離脱することになり、カーリング選手として無期限の「休み」に入ることになってしまった。その後チーム青森は力を伸ばし翌2008年の世界カーリング選手権で日本代表として過去最高の4位になり、2010年のバンクーバーオリンピックでは「史上最強の日本代表クリスタル・ジャパン」としてメダル獲得が期待されたが、個人技だけに頼っていたチームはいつ瓦解してもおかしくない危険性を孕んでいた。

その懸念は現実のものとなり、バンクーバーでは後半戦4連敗と大失速を犯し、終盤には目黒が険悪なチームの雰囲気を打開することが出来ない様相を日本のお茶の間に披露してしまう。スキップ目黒にとっての寺田は「小野寺歩にとっての林弓枝」とも言える存在であり、その寺田の存在が無くなっていたことがチーム崩壊の一因とも言えた。「さっちゃんが居れば結果は違った」と、休養中であった寺田の評価が逆説的に上がる結果となった。

その後[編集]

寺田は2012年から札幌カーリング協会の常任事務員になり、同年に札幌市に出来た通年型カーリング施設の「どうぎんカーリングスタジアム」で指導員として勤め始める。2013年にはソチオリンピック出場権を獲得した北海道銀行フォルティウスの凱旋帰国に立ち会い、帰国した小笠原と空港で抱き合う姿が放映された。しかしここで道内メディアは「小笠原さんが感動した一般人と抱き合っています!」とそのシーンを紹介してしまい、カーリング協会職員 兼 元チームメイトとして出迎えに行ったはずの寺田はここでも「休んだ」ことにされてしまった。

このネタを通じて「そういえばさっちゃんは何してるんだろう」と存在を思い出した人が多く出て、アンサイクロペディアでも寺田の項目が作成されることになったのである。

関連項目[編集]

Wikipedia
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