小学校史観

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小学校史観 (しょうがっこうしかん) とは、小学校における歴史教育で吹聴されている独特な歴史観のことである。

概要[編集]

小学校では、お上の都合により、次項で掲げるようなおよそ他では見られない独自の歴史教育がなされており、これに基づく歴史観を小学校史観と呼んでいる。その意義は、文部科学省の方針によると、歴史に学ぶということに重点をおき、歴史から教訓を引き出して、これからを生きる小学生たちに人生論を説くことであるという。そのためには歴史上の事象を改変することさえ厭わないとしており、この方針は頭の固い歴史学者から長年非難され続けているが、今のところ文科省は完全に無視を決め込んでいる。

具体例[編集]

壬申の乱南北朝の騒乱は起こらなかった。
天皇家万世一系であり、醜い殺し合いをしたことなんてない。
仲よき事は美しき哉。臣民は二千六百年和を保った天皇家を見習え。
奈良時代大仏を作っている間に終わってしまった。
大仏を作るのに84年もかかった。あんな大きな仏像が数年でできる訳ないのである。ちなみに84年というのは現代人の平均寿命に近い。
下らないことにうつつを抜かしていると、教科書数ページ分の内容で一生が終了してしまうのだ。
藤原氏の中でイチバン偉大なのは藤原道長(次点で藤原頼通)である。他はクズばかりなので、覚える必要はない。
苦労して下級官人から公卿になり、律令国家の形成に貢献した藤原四家の祖・藤原不比等や、藤原北家繁栄の基礎を築いた藤原冬嗣、民への憐れみが深く労役の軽減を進言した藤原緒嗣などの能吏よりも、政敵を罠にかけて蹴り落とすことに明け暮れ、毎日のように宴会を開いたり自画自賛の歌を詠んで遊んでいた道長や、親の七光りで昇進し、刀伊の入寇前九年の役そっちのけで新興宗教にハマっていた頼通のほうがよほど歴史に残っている。
歴史に名を残すのは必死に頑張った人ではなく、生まれつきの勝ち組のほうである。
足利尊氏よりも、足利義満足利義政のほうがずっと重要な人物である。
金閣寺銀閣寺といった豪華な建造物をおったてた文化人義満・義政は幕府創建のために奮戦した野蛮人尊氏よりもはるかに優れた人物。
世の中金がすべてである。[1]
戦国時代は、応仁の乱でも明応の政変でもなく、桶狭間の戦いによって始まった。
小大名の織田信長が大大名の今川義元を急襲したことによって、世の中の権力バランスが崩れ、戦乱の世に突入してしまった。あと戦国時代は意外と短かった。
定まった形勢を逆転させてやろうなどと考えるからロクでもないことが起きる。すなわち、弱者は強者に頭を下げて過ごし、余計なことを考えるな。
飢饉江戸時代にしか起きなかった。
江戸時代は異常気象のオンパレードであった。
江戸時代の飢饉に比べれば、現代の地球温暖化など考慮する必要もないくらい軽微な問題である。

中学歴史・高校日本史との関係[編集]

小学校史観の一部は中学校における中学校史観に受け継がれている。しかしながら、高等学校の日本史ではほとんど継受されておらず、そのため高校の日本史をとったかどうかで歴史認識に大きな差が出てしまい、問題になっている。これに応じて近年では高校での日本史を必修にすべきという意見も強まりつつある。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 藤原氏や足利氏の例から分かるように、小学校史観においては草創期の苦労人よりも、親の財産の上に胡座をかいていた人物の方が重視される。この論理に従えば、江戸時代で一番重要な人物は徳川家康ではなく、徳川家斉であることは間違いないのだが、彼がなぜ教科書に載らないのかはお察しください