少年よ、大志を抱け

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「少年よ、大志を抱け」とは、明治時代初期に札幌農学校に赴任していたお雇い外国人、ウィリアム・スミス・クラーク博士の言葉。なおクラーク博士はこの言葉により有名になったが、それ以外の業績がほとんど知られていない歴とした一発屋である。

解釈[編集]

時代も時代であったことから、この言葉の肉声記録は残されていない。つまり文字による記録が残っているのみである。それゆえクラーク博士が「たいしをいだけ」と言ったのか、「たいしをだけ」と言ったのか、記録を読む限り不明である。これが後々混乱を招く。

だが今では、クラーク博士は「たいしをだけ」と言ったという説が有力である。ここで「大志」とは抱く対象、すなわち人名となる。有名人としては方波見大志、片岡大志、遠藤大志、滝澤大志などが挙げられるが、言うまでもなくみな男である。つまり、クラーク博士は「少年よ、男とセックスしろ」と言ったと本質的に同義である。クラーク博士が同性愛を推奨していたことに驚かされる。

ときは19世紀、アメリカ合衆国では今以上に同性愛が忌避されていた。アメリカ生まれのクラーク博士は、本国ではさぞ暮らしにくかったであろう。そうするとひとつの疑念が生まれてくる。クラーク博士は同性愛が認められないことに悲観して、アメリカ本国を飛び出したのではないかと。そして国家として赤子同然の日本で同性愛を推奨することで、日本に自らの居場所を作りたかったのではないかと。

ところで当時、お雇い外国人は大変優遇された。政府首脳並、あるいはそれ以上の報酬を得て、東京大学のエリート相手に教鞭を振るうのが常であった。大森貝塚を発見したモース然り、日記で有名なベルツ然りである。ではなぜクラーク博士だけが、開拓使が入って間もない偏狭の地、蝦夷地で教壇に立ったのか。それは、クラーク博士は日本政府が招聘した学者ではなく、勝手に渡日した流れ者だったからである。そう考えると前段落の疑念はますます信憑性を帯びてくる。

さらに冒頭の言葉には続きがあり、クラーク博士は「少年よ、大志を抱け。この老人の如く」と言っている。「この老人」とはもちろんクラーク博士を指す。そうすると、クラーク博士はすでに大志君を抱いていたことになる。ところが実はクラーク博士は熱心なキリスト教徒でもあった。キリスト教では男性同士の交合は固く禁じられている。クラーク博士はその禁を破ってしまったことになるのだ。クラーク博士はのちにアメリカに帰国するが、その後大学を設立しながら失敗に終わり、鉱山会社を興して破産したのは、神罰が下ったからだとしか考えられない。

誤解[編集]

同性愛を推奨したクラーク博士の言葉であったが、日本人は「たいしをいだけ」と読み誤り、大きな志を持つことを教えたのだと誤解してしまった。そこでまた問題が生じてしまったのである。つまり最初に「少年よ」と呼びかけていることから、少女は対象外であると解釈したのである。そればかりか、少年と限定した意味を深読みし、「少女は大志を抱くべからず」という意味が内包されていると解釈してしまった。

この影響は意外に大きかった。たとえば昭和時代中後期において、子どもたちに将来の夢を尋ねると、それがよく分かる。男児は、長嶋茂雄のような一流の野球選手、あるいは本田宗一郎松下幸之助のような一流の技術者になりたいと答えた。一方で女児は、みな口を揃えて「お嫁さん」というのである。これが「少年よ、大志を抱け。少女よ、大志を抱くべからず」の浸透の結果であった。

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