岩清水梓

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岩清水 梓
名前
本名 いわしみず あずさ
愛称 イワシ
ラテン文字 IWASHIMIZU "Nino" AZUSA
基本情報
国籍 日本
生年月日 1986年10月14日
出身地 岩手県岩手郡滝沢村
身長 1.038hyde(162cm)
体重 54kg
選手情報
在籍チーム 日テレ・ベレーザ
ポジション DF(CB)
背番号 3(代表、クラブ両方)
利き足 右足



岩清水 梓 (いわしみず あずさ、1986年10月14日 - ) は、岩手県出身のサッカーが上手いジャニーズファン(ジャニオタ)である。特にの熱狂的なファンであり、日本のくのいち集団なでしこ蛇班の活躍を通じて嵐と共演するという夢を見事実現したことで知られる。

人物・プレースタイル[編集]

サッカーのポジションはセンターバック(CB)を務める。身長は162cmとCBとしては決して高くないが、高い危機察知能力とジャンプ力を駆使してチームのディフェンスを安定させ、セットプレーではヘディングで度々ゴールも挙げる。またキャプテンシーも持ちあわせており所属クラブではキャプテンも務めるなど、お笑いDF化する前の宮本恒靖に似ている点が多い。

一方、普段は飄々としているが、ここぞと言う時に嵐メンバーを追っかける時のような鬼気迫るプレーを見せることがあり、その熱さは松田直樹に似ているとも言われる。多分方向性が違うが。

また嵐の布教にも熱心であり、代表合宿などで相部屋となった他選手には嵐の曲を歌詞をフルコーラス覚えるまでひたすら聴かせる。これまでの布教被害者としては川澄奈穂美(普段はaikoファン)などが挙げられる。

来歴[編集]

嵐と共演する「夢」に向けて[編集]

小学生の頃はそこらへんのサッカークラブで男子に混ざってサッカーで遊び、家ではテレビ番組でジャニーズJr.が出てきた時は「キャー」と騒ぎながら鑑賞するという普通の女の子であった。

そんな普通の少女時代を過ごしていたある日、以前から目をつけていた二宮和也相葉雅紀などのジャニーズJr.5人が1999年に「嵐」としてメジャーデビューする事を知り、その時に「今はまだ無理だけど、私も有名になっていつか二宮くんや相葉くん達と共演したい!!」という夢を持つようになる。

共演する為にはどうすれば良いか模索した結果、趣味でやっていたサッカーを通じて日本テレビの中に入れば良いのではないかという結論に達し、同年日テレ・ベレーザの下部組織であるメニーナのセレクションを受けて見事合格し、メニーナへの入団を果たす。

夢実現への着実な歩み[編集]

メニーナ入団後は「嵐と共演する」夢の実現のためにもの凄い勢いで練習を積み重ね、2003年に16歳という年齢でベレーザにトップ登録を果たし、同年のLリーグ(なでしこリーグの2つ前身)ではリーグ22試合中17試合に出場するなど早くも実績を挙げた。

その後は年代別の代表にも順調に選ばれ続け、2006年にはなでしこ蛇班初選出。2007年W杯以降はなでしこでもレギュラーCBの座を確保し、2008年の北京オリンピック4位に貢献。夢である嵐との共演の実現に向けて順風満帆な道のりを歩んでいると思われた。

夢実現の危機[編集]

しかし、2009年の後半頃からベレーザの男子カテゴリーである東京ヴェルディの経営難が大きく表面化する。親会社である日本テレビがヴェルディの運営から撤退することになり、一昔前は誰もが羨む練習環境を持っていたヴェルディは「クラブハウスの自販機閉鎖・電気は全消灯」「ユースメンバーは練習に自前のボールを持参」「大分トリニータのサポから『一緒に消滅しよう』と慰められる」という悲惨な状態に一気に様変わりし、その煽りで翌2010年末にはベレーザも澤穂希大野忍といったプロ契約選手の契約更新が財政的に困難な状態に追い込まれてしまった。

辛うじてクラブネーミングライツという形で「日本テレビ」の名は2011年も残ることになったものの、日テレ側がサッカー経営から完全に足を洗いたいと考えていることは誰の目にも明らかであり、2012年以降はどうなるか分からない状態であった。

そのようなクラブの変わり果てた姿に嫌気が刺した澤や大野、近賀ゆかり南山千明などはベレーザを去って他クラブに行く選択をし、それを目の当たりにした岩清水もベレーザに残るべきかどうか1ヶ月以上悩んだ。

「私、どうしよう…」岩清水は進退極まって2009年から交際を始めていた彼氏に相談した。そこで出た彼氏の返答は思わぬものだった。

  『梓以外の代表レギュラークラスはみんな出ていくのか。むしろ大チャンスじゃないか?上手く行けば梓が嵐を独り占め出来るんじゃね?

この彼氏の逆転の発想に岩清水は拍手を打ち、苦渋の決断ではなく「夢を叶えた時の歓喜をより大きくするため」にベレーザに残ることを決断。日テレ関連会社の委託職員として日テレの中にも残り、嵐と共演する夢を叶えるためのラストチャンスとして、2011年を迎えることになる。

危機を脱して、夢を叶えて、歓喜を独り占め[編集]

迎えた2011年。2月のアルガルベ杯、5~6月の強化試合、7月から始まったW杯全てで岩清水はレギュラーCBとして出場し、W杯ではなでしこ蛇班の躍進に貢献。そして7月18日、運命の決勝アメリカ戦を迎える。

「ここで勝てば、世界一チームのレギュラーとして、晴れて日テレの番組に呼んでもらって二宮くん達に会える!!頑張らなきゃ、頑張らなきゃ、頑張らなきゃ!!!!」

身体能力で1ランク上回るアメリカ選手達に対して、岩清水は相棒の熊谷紗希と共に奮闘。最終的に2失点したものの、DF崩壊とまではならず、ギリギリの線で試合が壊れないよう踏みとどまっていた。

そして延長後半14分に、岩清水のハイライトがやって来た。

アメリカがDFラインの裏に出してきたロングボールに対して、アメリカのアレックス・モーガンと岩清水がそれぞれ反応。ここでモーガンにボールを先に奪われるようなことがあると、残るはGKだけとなってしまい、失点に直結してしまう場面であった。

ここで失点したらもう追いつく時間は無い。失点イコール敗北確定。それを知っていた岩清水は、それまで生きてきた中で最大の鬼気迫る勢いで、こう叫びながらモーガンを抑えるためにボールを追いかけた。


「二宮くん、相葉くん、大野くん、桜井くん、松本くん、
待って~!!行かないで~~!!!」


…岩清水の勢いが勝りモーガンの突破は阻止できた。しかしこのプレーはモーガンの足を引っ掛けたファウルと判定され、「決定機阻止」で生涯初のレッドカードを食らってしまった。だがここでモーガンを止めなかったら確実に失点していたと思われたこと、そして退場者が出ても大勢に影響がない試合終了間際という2つの理由があったため、誰も岩清水を責めることはなかった。誰もがこの岩清水のプレーを「勇気あるプロフェショナルファウル」として認めていた。日本サッカー史上初めて「レッド覚悟のプレーが肯定された」瞬間であった。

「119分間、ありがとう。イワシの想い、無駄にしないから」

岩清水は、フィールド上に居た他のなでしこメンバー10名からこう声をかけられて退場した。そしてこのプレーが功を奏して試合をPK戦に持ち込むことが出来、PK戦で勝利してW杯優勝という快挙に繋がった。但し岩清水の想いの本質が「嵐との共演」であることに気づいていた選手は誰も居なかったと思われる。

目がハートマーク

こうして嵐との共演条件を見事満たすことに成功した岩清水は、W杯終了後に日テレのニュース番組「ZERO」で先ず澤など数名の選手と一緒に桜井翔との共演を果たす。そして9月のロンドン五輪予選を勝ち抜いた後、今度は11月6日に放送された日テレの音楽番組「Music Lovers」において岩清水が『嵐を独り占め』できるという最大級のご褒美が日テレから贈られることになった。

同番組の収録日であった2011年10月某日の東京麹町の日テレスタジオ。そこには12年越しの想いを叶えて目がハートマークになりっ放しだった岩清水の姿があった。

夢を叶えた後[編集]

夢を叶えることが出来た岩清水は、今後の目標を「夢を叶え続ける」に変更した。つまり「嵐との共演」を今後も度々行うことが出来るように切磋琢磨を続けるということである。

先ずはベレーザとプロ契約を結び、サッカーの練習をしながらベレーザ・ヴェルディの広報を企画する仕事を行い、自身とクラブ両方の向上に努める。

また、ジャニオタからのやっかみ対策にも乗り出している。嵐との共演を果たせた事で岩清水のブログやヴェルディのクラブハウス宛てに「嵐を想う気持ちは譲りません!!」「あなたより私のほうがよっぽど努力してます!!!」「岩清水さんの笑顔を奪いたい」などの身の危険を感じる投稿や投書が頻発するようになり、試合で移動する時もファンなのか通り魔なのか分からない人達からストーキングされるようになった。これに対して岩清水は持ち前の危機察知能力を素早く発揮して「チーム移動用の専用バス」を調達するようにヴェルディ社長に進言。社長も了承し、今後はいつ通り魔に襲われるか分からない在来線を使った移動ではなく、チームバスによる移動が出来るようになる見込みである。

頭と体の両方を駆使して危機察知能力にさらなる磨きをかけて、岩清水は今後も走り続けていく。いつまでも嵐の番組に堂々と呼んでもらえるように。

補足[編集]

厳密には件の「Music Lovers」はあと1人ゲストが居たが、便宜上居なかったことにしている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

Wikipedia
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