広開土王碑文

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広開土王碑文(こうかいどおうひぶん)とは、遊牧民の混血王朝高句麗の王だった広開土王の息子が建立した古代日本の朝鮮半島支配の史実を証明する栄光の碑文である。明治時代にある学者の偽善によって、現代の朝鮮人たちが朝鮮民族の王の碑文と主張するようになったが、これは完全な誤りである。  

真の碑文内容[編集]

中国北朝を支配した偉大なる鮮卑族と、モンゴル平原の遊牧民柔然族の混成国家高句麗の王の座に386年就いた談徳(広開土王)は、即位するなり身の程知らずにも南から攻めてきた大和王朝の傀儡百済の弱っちい烏合の衆を破り、今の平壌の地まで進出して、現地土民のために都市を築いてやった。中原からは漢民族の統治する後燕国が侵攻してきたので、遼東半島もついでに制圧しておいた。

ちょうどその頃、日出ずる国では大和王朝が更に強大化し、391年海を渡って百済や新羅を正式に併合すべく解放活動を展開した。百済の王は戦いもせずにあっさりと大和に降伏し、これまで高句麗に奴隷のごとく従属させられてきたと根も葉もないデマで畏れ多くも大和の天皇陛下を騙し、兵を与えてもらって大和王朝の許可を得ず勝手に高句麗を攻めた。

しかし、百済は突撃作戦以外何の策も持たない愚かな軍隊だったので、精強なる大和王朝の兵士がいたとしても、陸でも海でも我らの広開土王にとってはものの数ではなかった。大和王朝はそんな百済や新羅に業を煮やして半島を占領することにしたが、そうすると今度は百済や新羅の土人は大和王朝の恩を忘れて叛乱を起こした。しかし、青銅器が精々の土人勢力が鉄の武器を装備した屈強なるおおやまとの勢力に敵うはずなどなかった。

そこで、慈悲深き広開土王は彼らのためにわざわざ軍を出兵させ、大和王朝に直接支配を断念するよう直談判してことを治めた。百済の土民はこれで満足するだろうと思ってのことだったが、あろうことか石のお金を十分に払わなかったとケチを付け、仇敵のはずの大和王朝と再度手を組んで南から攻めてきた。しかし、大和王朝が百済の政策についに愛想をつかしてさっさと撤退したため、朝鮮民族のクニ百済はまたしても大敗し大量の土地を異民族王朝の高句麗に譲ったのだった。

そうこうしている内に西方では後燕王朝の氏が自滅したので、広開土王は自分の親戚を新王に建てて北燕国を建ててやった。以上が、'''パルティア'''の血を引く騎馬隊を率いた無限の星将であらせられる鮮卑の英雄広開土「大皇」が412年に亡くなるまでに遺した偉大なる事跡である。

碑文の表すもの[編集]

アンサイクロペディアをパクった某Wikipediaによると、國岡上廣開土境平安好太王がアイゴーであるらしい。

日本語では「スキタイ王」と読む事でも知られ居る。つまりは、コーカサス辺りから山越えして遣って来たスキタイ王の系譜って事。

なぜ日本語読みか。それは、朝鮮人は高麗を滅ぼしてしまったので解らないかもしれないが、「すきたいおう」との読み方は、朝鮮半島侵奪者の李成桂の勢力に追われて日本に避難して来た高麗人達が話していた高麗語の影響であるとも言われている。ちなみに、日本人は高麗避難民の犠牲者達を慰霊して高麗神社を建造したが、在日コリアン達が高麗人に追討ちを掛けて、1992年に木造のを贈ったら腐ってしまったので2005年には朽ちない石の「天下大将軍・地下女将軍」のトーテンポールと多重鳥居で封印してしまっているのは残念な事であるが、朴槿惠(박근혜)大統領の「加害者と被害者の立場は、千年経っても変わらない」発言を地で行っているのはコリアンらしい。高麗からまだ1000年は過ぎて居ないのである。

酒匂景信公の偽善[編集]

このような史実を堂々と記した碑文は、高句麗滅亡後も契丹族や女真族、モンゴル人の手によって集安の地でモンゴル系民族の栄光の記憶として守られてきた。しかし、世界一遅く近代の波が到達した朝鮮半島との国境の町にも、ついに変化の波が押し寄せた。そして1883年、偉大なる大日本帝国の陸軍砲兵酒匂景信公が目をつける。酒匂(さこう)公はこの碑文を学術研究のため持ち帰り、拓本をとって元の地に戻した。

酒匂公は神速で碑文を解読したが、祖国がこれから支配しようとしている朝鮮半島の民にとってあまりに不都合な内容だったため、ありのまま公開すると西洋列強から変な視線を浴びるのではと懸念した。ちょうど金玉均をはじめとする朝鮮近代化の促進者が日本を新たな朝貢国にしようと活動を行っていた時期だった。そこで酒匂公は碑文の内容を少しでも朝鮮人に有利な内容に書き替えるため、問題のない範囲で碑文に手直しを加えた。偽善を承知の上での行動だった。この時碑文に記された一部の文字が判読不能とされ、広開土王の記した以下の史実が曖昧な表現に書き改められた。

  • 広開土王が朝鮮民族の生まれではない出自を記した箇所
  • 大和王朝が百済を決定的に打ち負かした箇所
  • 高句麗兵の朝鮮的でない風俗を記した箇所

   とはいえ、書き換え作業はもとの碑文の文字を完全に破壊しない範囲で行われたので、広開土王碑文は国際的な研究価値を認められ、碑文が時代の風を受けなくてよくなると、正しき読み方を巡って多くの説が戦わされるようになった。碑文は現在、中国領集安でガラスケースの中に入れられ、厳重に管理されている。

韓国人の歴史改竄[編集]

上に書いたとおり、酒匂公は朝鮮民族の利益のために、学者としてのキャリアを犠牲にしてまで碑文の書き替えを行った。しかし、卑劣なる韓国人は恩知らずにも、酒匂公が日本民族に都合の良いように碑文を書き替えたと主張し、「正しい碑文では韓国の方が大和王朝を支配していた!」と怒鳴り始めた。もちろんそのような主張に乗る国は現れず、韓国人は碑文論争で孤立していった。そもそも、改竄されたというならなぜそこまで碑文にこだわるのかというのは禁則事項だ。

どうしようもなくなった韓国人は、所詮はフィクションに過ぎないドラマに頼ることになり、ヨン様を動員して、「広開土王は神に匹敵する偉大なる朝鮮人だった」と主張する太王四神記を製作したが、主演俳優が壮大なる妄想についていけなくなり、わざと怪我してさっさと劇を終わらせた。もちろん、主な視聴者のはずの日本人は「広開土王ってフィクションの人物ね」としか反応しなかった。

これで懲りたと思い来や、今度は無名俳優のイ・テゴンを動員して新作を作り上げた。当初、主役が「野蛮なる大和の仁徳日王」の魔の手から半島を解放する脚本が用意されたが、「それでは日本人が朝鮮半島を支配していたことを認めることになる」と猛反発が出て、脚本から日本の影は一旦は取り払われた。どうせ広開土王を主役にするのだったら、日本との戦いを主眼に置いた方がより人気が出るだろうにね。 と思われたが、話の途中で諸侯国新羅の危機を救うという美談が必要となり、ここで日本の出番となった。が、仁徳日王の名前が出るどころか、貧弱な一諸島の田舎海賊の頭目程度の扱いの上、本当に日本なのか?と思われるほどの貧弱な設定とセット(要するに手抜き)、さらにはチンケな策略で略奪の首魁である将軍を撃ち殺してお仕舞いというお粗末な結末だった。ちなみにラスボスは上記にも記されている北燕の新王(演:キム・スンス)であり、広開土王の仇敵として王位に就くまでの間、広開土王に復讐を企んでは何度もドツキ回されると言う歴史改変まで行われてしまった。

関連項目[編集]