弁慶の泣き所

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弁慶の泣き所(べんけい-な-どころ)とは平安時代末期の豪傑武蔵坊弁慶架空の弱点であり、ガセ情報である。

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概要[編集]

一般的には脛に当たる部位を指す。この部分は筋肉と脂肪がほとんどなく、骨と皮膚の間に神経があり、強く打つと強い痛みが走る部位である。猛将源義経の部下であり源平争乱で大暴れした武蔵坊弁慶ほどのタフな豪の者でもここを攻撃されれば非常に痛いため、弱点である(叩けば隙が出来る)というものである。しかしながら弁慶の経歴を見る限り、弁慶と敵対した者が明確な弱点であるはずのこの部位を攻撃しようとした記録は全く残っていない。

  • 比叡山の僧侶

武蔵坊弁慶は幼少の頃より比叡山にて僧籍に入れられていたが、大変な暴れん坊で手が付けられなかったという。当時の比叡山延暦寺は天台宗の総本山であるのみならず荘園間での争いのため多数の屈強な僧兵を抱えており、決して軟弱な集団では無かった。それにも関わらず明確な弱点を抱えた武蔵坊弁慶の乱暴を押さえつける事が出来なかったのである。この事から比叡山の僧兵達は弁慶の弁慶の泣き所を狙わなかった、あるいは弁慶の弁慶の泣き所を攻撃したにも関わらず効果がなかったと考えられる。

  • 五条大橋での源義経

五条大橋の上に立ちふさがり、決闘をけしかけて相手のを奪う事で千本の刀を集めようとしていた武蔵坊弁慶は、ちょうど999本の刀を集め後一本で千本という時に源義経と出会う。この時、源義経は橋の欄干の上に飛び乗って弁慶と戦い、そして弁慶を圧倒し、部下にしたという。だが考えてほしい。欄干の上から刀で橋の上にいる人間の脛を狙うのはあまりに非効率である。つまり義経は弁慶の泣き所を攻撃しようとしていない。物語では水干を着て笛を吹く色男として描かれるが、義経自身は決して素人ではない。鬼一法眼から兵法を学び、鞍馬天狗から剣術を学んだプロの軍人である。その義経が狙わないという事は効率的ではない、つまり弱点とはみなされないという事である。

  • 平家の武士達

一ノ谷の戦いにおいて源義経は屈強な部下70騎を率いて平家の陣を強襲している。当然、屈強な武蔵坊弁慶も参加していたはずだが、平家の武士達が武蔵坊弁慶の泣き所を攻撃したという記述は物語を含めて一切ない。明確な弱点を持つ弁慶を狙い敵の出鼻を挫くのが常道であるはずが、平家の武士達はそれを実行せずに大混乱に陥っている。平家からも弁慶の泣き所を攻撃する事は意味がないと判断していた証拠である。

奥州に逃げ延びた源義経主従は衣川館で藤原泰衡達によって強襲され、最期を迎えることになるが、この時弁慶を仕留めたのは弁慶の泣き所への攻撃ではなく弓矢による一斉射撃(いわゆる弁慶の立往生)である。当時の奥州武士達の常識として、弁慶の泣き所への攻撃が極めて非効率であると考えられるため、一斉射撃で仕留めたのであろう。

以上の事から当時の誰もが弁慶の泣き所を攻撃しようとしなかった(または攻撃したのに効果がなかった)ものであると考えられ、弁慶の泣き所は武蔵坊弁慶の弱点ではないと考察される。何者かが嘘の情報を吹聴して回った結果、真実だと信じられているものであろう。

「大丈夫、ファミ通攻略本だよ。」
武蔵坊弁慶 について、エンターブレイン

関連事項[編集]