恐怖新聞

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恐怖新聞(きょうふしんぶん)とは、1973年から1975年にかけて発行された地方新聞。発行元は有限会社霊団公報社。

概要[編集]

オカルト関係の書籍を発行する霊団公報社が、自社刊行物のPRと地元貢献を目的として創刊[1]。紙名の「恐怖」とは、編集長である郷風寺きょうふうじ 太助氏の姓を捩り、「インパクトのある字面にして、注目を集めたい」というスタッフの思いを組み込んだもの[2]。また方針として「例え自分たちに不利であっても、報道の正義を貫こう」という考えがあり、それを心に刻むため「恐怖」という強い文言を使ったという面もあったという。

内容[編集]

「より正確な情報を、より迅速に読者に届けよう」をモットーとし、社員が努力を重ねた結果、朝刊ではなく深夜刊として配達時刻は深夜12時となった。中には熱心すぎる配達員もおり、前日に次の日の深夜刊を届けてしまうハプニングも。

内容については、オカルト書籍の会社らしく、「霊を信じない君のために…!」「悪魔の祭り黒ミサ」「古代遺跡のナゾ」「宇宙人は私たちのあいだに!!」のようなバラエティあふれるオカルト記事の他、「中学教師 交通事故で即死!!」「修学旅行中の中学生と教師が何者かに噛まれる」「空飛ぶ円盤東京に?」等の地元に密着したニュースが主な記事であった。

地元ニュースに関しては、あまりにも情報伝達の迅速化に固執したために、次の日に起きる出来事を前日の新聞に載せてしまうことも多々あった。後にSF作家の円城塔が、翌日のニュースが読者の修学旅行先にも届けられるサービスに目を留め、恐怖新聞を利用した超光速通信を考案した。以下はその手順である。

  • 読者を地球から光の速さで半日くらいの距離に連れて行く。
  • 恐怖新聞が届く。
  • 記事を受け取った瞬間に地球でその出来事が起こる。
  • 即時通信完成。わーい。

残念ながら、考案時には恐怖新聞は既に廃刊となっていたために実用化はされなかった。

休刊まで[編集]

地元新聞として一定の評価はあったものの、売り上げ自体は伸び悩んだ。新聞販売代理店がない、という事はすなわち新聞を購読する世帯も少ないという事であり、流通の変化で1974年以降石堂市でも図書館市役所で最新の大手全国紙が読めるようになると「金を払ってまで地方紙を読む世帯」は減少の一途を辿っていった。

特に印刷コストには悩まされたが、それには対処の方法がなく品質の低下を招いていった。改善を試み低コストのインクを使用した際には、印刷定着性が落ちた事で配達から数日で全面の印刷が消えてしまうという事態にもなった[3]。更に販売代理店がない為配達にも人員を裂かれ、後期には講読者の中からボランティアスタッフを募って配達業務を勤めてくれるよう要請する事もあった。そんな状態での紙面維持は極めて難しく、霊団公報社の経営悪化もあって僅か数年で休刊を余儀なくされた。

その後2002年になって他の出版社が権利を買い取り携帯電話向けサービスとして一時復刊[4]するも、悪質なフェイクニュース疑惑や配信ペースの不安定さによる読者離れにより年内で再休刊となっている。

脚注[編集]

  1. ^ 当時の石堂市周辺には大手新聞販売代理店がなく、地元出版社として社会的な意義ある事業を打ち出して行こうという発想である。
  2. ^ 後年郷風寺氏は「ちょっと狙いすぎてて、やっぱり恥ずかしかった」とタウン誌のインタビューで語っている。
  3. ^ 当時の読者だった鬼形 礼氏も、友人に見せようとした恐怖新聞が真っ白だったというハプニングに見舞われている。
  4. ^ 出版法に照らし合わせると厳密には「復刊」ではなく、名義借りに近い。

関連項目[編集]


キャプテン翼の例のアレ.jpg 恐怖新聞 は、漫画関連の書きかけ項目です 」
「 書きかけとかつまらないとかはどうでもいい、恐怖新聞加筆するんだ! 」 (Portal:スタブ)