愚行権

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「正しさとは 愚かさとは それが何か見せつけてやる」
愚行権 について、Ado
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愚行権(ぐこうけん)とは自由権の一つで、敢えて愚かな事をする自由を保証したもの。日本では21世紀に入って、ネットワーク社会が到来した事で事実上廃止されている。

概要[編集]

自由権の中でも社会と個人の関わり合いを扱うのが愚行権であり、個人の価値観は社会的な価値観と合致する必要がなく、周囲から愚か者扱いされようが自身が求める行動を取る権利を保証することが自由であると説くものである。例えばの中でを指さずに踊るのは愚かな行為だが、本人が満足ならば周囲にとやかく言われる必要はない。勿論その権利は万人にあり、他人の権利を侵害する行為は愚行権の範疇から逸脱する。

また幸福追及は権利であって義務ではなく、悪い方向へと一心不乱に突き進むのも個人の自由となる。大金を稼ぐ手だてが無いからと内臓を売ったり、生きるのに飽きて首を吊ったりするのも、周囲に迷惑でなければ止められる謂れはない。むしろ愚行を非難したりこれに刑罰を与えるのは自由権の侵害に当たるため、警察権や司法権は「予防」ではなく「対症療法」としてしか自由権に制限をかけることが認められない[1]

解釈[編集]

「愚かさ」はあくまで周囲にとってのものであり、自分自身が自覚して意図的に破滅しようとするのは愚行権に値せず罰せられるべきだという解釈も存在する。これは「人はより善く生きる欲求を持ち、正しい行動を必要とする」という哲学的倫理観に基づいており、喫煙ポルノ閲覧など本人にとっても低俗で恥ずべきものは廃されるべきだという考えである。しかしこれは愚行権の本質である「個人の価値観は制限されるべきではない」という考えから外れてしまう為、あくまで異説異論として扱われている[要出典]

日本での愚行権[編集]

日本では元々個人の権利は「お上に隠れて行えば」[2]強く認めるという独特なものであり、厳密なルールの下ではなく個人個人の解釈によって大きく左右されていた。愚行権も、白眼視に耐えられる精神力を前提として認められていたのである。その為近代までの日本史には、派手な愚行で名を馳せた豪傑たち[3]が多数登場する。しかし戦後急速に広まった悪平等思想により、愚行権の行使は社会のルールによって阻まれやすくなってしまった。

また21世紀に入りインターネットが普及した事で、愚行に対して反発する意見を短時間で大量に集めることが可能となり「もしかしたら迷惑に思う人がいるかもしれないから許されない」と個人の行動を予防的に制限するケースが爆発的に増加[4]。どんな些細な事でも徹底的に狩り出して吊し上げる清廉潔白な体制が出来たことで、昔であれば愚行権の範疇として許されていた「若気の至り」「年寄りの手慰み」までもが社会的に許されなくなり、実質的に愚行権は廃される事となった。

脚注[編集]

  1. ^ 言ってしまえば風邪薬のようなもので、症状が出てから効果を発揮するべきであり健康な時分に使うのは良くないわけである。
  2. ^ 贅沢禁止を命じられれば鞐や裏地に凝る、イカのぼりが規制されれば「これはタコです」と言って平然と上げる、などなど屁理屈で流してしまえばルール違反も実質許されていた。
  3. ^ 天下一の歌舞伎者「前田慶次」や、時の天皇陛下から直々に「少しは身を慎め」と注意されたヤリチン総理「伊藤博文」など。
  4. ^ インターネットの普及自体は世界的なものだが、日本ではメディアリテラシーの低さから「公に発信する以上、絶対に正しくなくてはならない」という思想が異常に強く、単なるネタやボヤキまで「個人の思想」として組み上げてしまう為こういう大袈裟な事態となった。

関連項目[編集]

歴史の渦に巻き込まれる! この項目「愚行権」は、歴史に関連した書きかけ項目から歴史に残る記事進化しなければならない。
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