撃打

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撃打(ぶつだ)、本名ゴータマ・シダッタとは、紀元前5世紀頃に現在のネパール地方にいた釈迦族の王子である。

撃打の教え[編集]

産まれた途端に七歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「俺様こそこの世で一番強い」と叫んだと伝えられている。

29歳で家出し、35歳で暴力こそ人と人が強制的に分かり合える人類共通の言語であることを悟った。その教えはまずひたすらにナムアミダブツ(南無阿弥陀撃)と唱えながら相手を殴ることから始まった。相手が言うことを聞かなかった場合にはそのまま昇天させ輪廻転生によって人生をやり直させるという教義も含まれている。このことから死ぬことをオダブツと呼ばれるようになった。

釈迦族はこの方法によって言葉の通じない異国の部族を支配し勢力を急速に拡大してインド全域にまで勢力を拡大した。すぐに相手をぶつところからブツダと呼ばれるようになり中国に伝わると仏陀という漢字が当てられた。

すぐに相手をフルボッコにして破壊の限りを尽くしたことから釈迦族を恐れた人々は物が壊れることをオシャカになると呼ぶようになった。後にこの教えが曲解され撃教として広まった。この教えが日本に伝わると「で語り合うことで分かり合える」「タイマンはったらマブダチ」という思想へと変化した。

現在の全ての格闘技が、この撃教の影響を受けていると言われている。

撃教と格闘技[編集]

撃教は、北東アジアでは大乗撃教として、東南アジアでは上座部撃教として広がった。大乗撃教は相手に馬乗りになって打撃を行う型(現在で言うマウントポジション・パウンド)を重視し、上座部撃教は肩車の体勢から打撃を行う型を重視する。あしたのジョーのハリマオなどは上座部撃教徒である。また、撃教が国教であるタイでは、その教えにしたがい国技のムエタイが盛んである。

撃教が現代では余り拡がっていない西欧諸国でもかつては、アレキサンダー大王ヘレニズム文化に取り入れられており、その考えは現在でも、一部ボクシング等に取り入れられている。例えば、リングファイトの際の鐘は、対戦者がオダブツになった際の弔いの意味から派出している。

日本に撃教が到来したのは、5~6世紀頃と言われている。日本到来時から、撃教の攻撃的気質を利用し、日本古来の宗教を服従させた。その功労者の一人は聖徳太子である。その考えは、日本国内で広く伝わり、数々の武道を生み出した。ただし、中には暗殺拳として秘儀もあり、歴代の為政者に利用されてきた([[出典:るろうに剣心]])。

現在でも撃教原理主義者は活躍しており、現在のK-1PRIDE(特に打撃の部分)もそれにより誕生したと言われている。因みに、日本で最も有名な撃教原理主義者は清原和博である。

近代インドにおける撃教[編集]

撃打の教えは拳で語り合うことを至上とし、銃火器を使用することを否定したため、インドでは工業化が後れることになった、銃火器を使用するイギリス人の侵略に対抗できずに植民地化されることになった。ガンジーはこの教えに猛反発してまったく逆の非暴力で植民地支配に抵抗した。

また、インドが核兵器を完成させたとき、科学者と軍人たちは「釈迦は微笑んだ」と言って喜んだと伝えられている。

関連項目[編集]

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この記事「撃打」は何故か「釈迦」とネタや題材がダブっています。どちらが真実なのかは神のみぞ知ります。