教育ママゴン

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教育ママゴン(きょういくままごん)とは、古代中国に生まれ1960年代に復活した伝説の怪物である。

概要[編集]

教育ママゴンとは、1960年代に初めて日本に登場したモンスターである。これは、1945年の敗戦後に生まれた、いわゆるベビーブーマーたちが大学生になる時期において、それまでの制度が大きく変えるまでに教育熱が高まった結果生まれた存在であり、その後数十年にわたって子供たちから自由と時間を奪い取り続けていく。

しかし、1960年代から2000年代になるまで、子供たちにどんな教育をすればいいのか、人体が成長するのに合わせて合理的に教育するという思想がまったくなかったという話もあり、そういった意味でも伝説の存在である。脳内にブドウ糖を与えない状態では人間は集中力を維持できないにもかかわらず、補給なしで8時間勉強という段階で、いろいろと無茶な話が出てくる。その結果、いわゆる詰め込み教育と呼ばれる無思想な勉強方法が一時代を築く。そして1990年代からは、その反動で今度はゆとり教育と呼ばれる自己形成だの思想を取り込んだ教育方針が制定されていくことになり、逆に子供の学力低下が問題視されるようになる。

そして、2010年代に入るとなぜゆとり教育をせねばならないのか、自己形成だの愛国だのなんだのという話をどうしてしなけりゃならないのか実感として分かっている教育者がほとんどいなくなってしまう。その後は再び模索せねばならず、2013年現在、脱ゆとり教育として新たな制度を構築しなければならないという楽しい話になっている。まぁ、子供の教育なんてものは2500年にわたって暗中模索し続けてもなお答えが見つからない問題である。

古代中国の教育ママゴン[編集]

教育ママゴンの存在が明らかにされたのは、紀元前3世紀ごろと言われている。中国の大哲学者、孟子が記した文献に初めてその名が刻まれたこの怪物は、当初は子供の成長と確かな教育のために、巣を三回も入れ替えた上、学業をサボった息子に対して自分の食い扶持であった仕立物を自ら切り裂くことで、やりかけの仕事を放棄することがいかに愚かなことかを息子に悟らせている。このように、当時はママゴンの悪行よりも、その愛を語ったその逸話が残されていることが多い。しかし、その後の中国の歴史において、子供一人でも出世すれば一族丸ごと繁栄することが約束されるという、いわゆる科挙の制度の導入によって一気に内実が変化していく。

の時代から始まった科挙制度は、当初、貴族制の弱体化のために民間の優秀な人材を官僚にするために整備されたのだけれど、その結果、科挙に受かれば誰でも貴族になれるという楽しい話になってしまう。そのため、優秀な子供を数十年にもわたって一族をあげて勉学に縛り付けるという、1960年代の日本の教育ママゴンも真っ青の思想が完成。場合によっては50代の学生や、記録によれば70代で科挙に合格するといった悲劇を繰り返し、中国では、科挙の最盛期だったの時代から1300年以上にわたって、正しい教育の形として子々孫々まで綿々と続いていく。けれども、教育というものがそのまま出世の道となり、頭がいい人間を選民するという考えが一般的となった結果、教育制度はともかくとして、制度の裏道抜け道についてもまた発展していくんだからとんでもない。

そのため、21世紀まで続く中国の賄賂文化は、実は教育ママゴンがその形成の一翼を担っているなんていう悲しい話にもつながる。

中華文明への影響[編集]

このように、当初は子供が立派な人物になれば、という素朴なママゴンの愛が時代の変遷を繰り返した結果、子供という自分より下の立場の存在を、自らの欲望もしくは一族のための手駒としか考えないようになっていく。ただ知識のみを突出させ、自分に対して従属し続ける形で成長させ、自らが望む出世のルートをたどらせることが、ママゴンおよびその一族の人生の目的となっていく。これは、子供にも悲劇であるけれど、ママゴンにとっても、そして中国という長い歴史を持った文化にとっても悲劇に他ならない。特に、文化面、思想面において、科挙が千数百年にわたって教科書として導入し続けた孔子論語は、儒教という一つの宗教と化す。そして、1000年以上にわたり、新しく導入される宗教や思想、さらには外国の文化を柔軟に受け入れるという際の大きな壁となり続け、幾多の戦乱を巻き起こすことになる。

なお、このように中華文明の一翼を担うまで型にはまり続けた教育制度と、知識に突出した子供を生み出す家庭の存在については、様々な弊害や悲劇が伝えられており、特に人間関係を築く技術を持たないまま知識偏重で成長していった結果、歴史上、多くの神童と呼ばれた人々が社会の中で挫折を味わうことになる。あわせて、挫折を乗り越えるための知識なんてものが存在していないところもまた問題といえば問題である。無論、儒教のまったく反対の存在である老子荘子の思想には挫折した人間を基準とした思想がたくさんあるけれど、それは教育で教えられるものではない。まったく、ない。政治に反映できるようなものでもない。むしろ、あれを反映させたら国が滅ぶ。まぁ、だからこそアンチ儒教として中国の裏の思想として2500年以上にわたって一般民衆の知恵の文化に寄与していくのだけれども。

とりあえず、そういった老荘という劇薬が教育文化に投下された結果、中華文明ではエリートたちではなくドロップアウトした元神童らによって様々な文化が異常に発展していく。詩作や絵画、書道、参禅、清談といった文化がこれまた千年以上にわたって、中国の傑出した遺産として中華文明を文明たらしめていったのは、儒教の精神によって弾かれたおかげということになるのだけれど、いかんせん、中華文明には、日本の文明とは違い、バカの作品や下賎な人間の言葉を残さないというよくない傾向が強かった。ぶっちゃければ、そういったものを残す大衆文化が少なかったことが、中国が繁栄と低迷を繰り返す要因になる。これは、エリート教育やスパルタ教育といったものの限界を示す話でもある。彼らが、文化を継承する立場にあったときに、そういった下賎な作品が排除される傾向が強い。

けれど、中国最古のテキストとして知られる四書五経には、3000年以上前の作品が残されていて、老人がコマ遊びをするほど平和な時代を歌った民謡などは、まさに万葉集における詠み人知らずの作品と同様に、当時の民衆の視線で残された作品であり、こういった作品を後世に残した孔子の先見性が後代に伝わらなかったのは、異民族が丸ごと燃やし尽くしたためではなく、儒教を習った連中が数百年にわたって取捨選択しつづけたせいである。

あと、文化大革命

日本における教育ママゴン[編集]

中国で、毛沢東が指揮する文明の大虐殺が行われていた時代、日本に教育ママゴンがやってきたのは、ものすごい必然かもしれない。あわせて、古代中国とは違い、日本における教育ママゴンの襲来は20世紀半ばを過ぎなければ確認が出来ない。これは、一つには江戸時代末まで人口が抑制されていたこと。もう一つには知識というものが即座に社会貢献に結びついた時代が長く続いたため、子供の知識偏重を、そのまま一族の繁栄にまで結びつけるような社会制度が生まれなかったこと。最後に、学問を社会のためと捉える文化が形成されていたためである。また、明治維新後における教育制度の大改革においても、海外の知識を導入する際に目立った抵抗はなく、さらには第二次大戦後に関しても、知識や思想といった教える内容に差は生まれても、教え方や制度について大きな変更は見られなかった。これは、江戸時代以降、儒教とは逆の蘭学と呼ばれる海外からの知識を取り入れる学問が発展していた成果でもある。

けれども、そんな日本において、まさか古代中国と同じような子供の知識偏重による出世が、一家を、さらには一族を背負うなどという時代が訪れようとはお釈迦様でも気づくめえ。

昭和30年代から40年代にかけての教育ママゴン[編集]

というわけで、敗戦の痛手から立ち直った日本に、新たな文化が築かれていく中で、古代中国の伝説の怪物、教育ママゴンが復活する。これは、様々な社会現象が積み重なった結果である。前述したように、戦後に生まれたベビーブーマーたちが大学に進学する時期にあたったことと、1950年代より、いわゆる金の卵としてもてはやされ、中卒のまま都会で働くことになった人々が一家を構えた時期にあたり、そういった人々が自らの学業に対するコンプレックスを子供に託したこと。さらには、いわゆる冷戦の時代において日本でも安保闘争を始めとする世代間闘争が激化。前の世代を否定するのに、戦争でろくな教育を受けていない連中が多いことが一つの武器になり、すなわち戦時下においてろくな勉強が出来なかった世代を否定するために、新しい知識が必要になる中、そういうときに限ってマルクス主義なる、まさにもう一方の正義が存在していたことなどが、主な原因となる。

が、そのマルクス主義を重んじた結果、自分たちも大学闘争でろくな勉強が出来なかったというオチになるのだから、世の中は面白い。

このような様々な要素が組み合わさったカオスの中、恐るべき怪物、教育ママゴンが立ち上がる。しかし、悲しいかな。あまりにも長い間眠りについていたママゴンは、どうすれば子供たちの頭がよくなるかしか考えられずにいたため、古代中国より問題視されていた人間関係の構築やモラルの形成といった子供たちの教育に必須であるはずの時間を無視。すべてにおいて知識の積み重ねを子供たちに迫っていくことになる。

この時代の教育ママゴンの方針は、それこそ小学生の時代から学校以外でも勉強漬けにすることで成り立っており、学校以外にも家や塾で深夜まで勉強勉強また勉強。中学生高校生にいたるまで、教師の言葉を信じることで成り立ち、教科書は常に正しく、新聞は嘘を言わないと信じるという、もはやカルトに近いレベルで学歴に対して盲信することで、よりよい子供の将来を築き上げることを主眼としていた。

まぁ、そのおかげで、1960年代の大学生活において入学者の半数以上が根こそぎ左翼勢力に引っこ抜かれるという、まさに共産党と社会党が涙する支援者増大システムが構築されていた。

けれども、その結果、うれしいぐらい楽しいぐらいにモラルを喪失しちゃった子供たちが、日本政府の転覆をたくらむまでになってしまう。各地でテロを繰り返し、ハイジャックにより北朝鮮に亡命したり、さらには榛名山で仲間をリンチで大量に殺害した後、浅間山荘に立てこもり、日本中がテレビで見守る中、ママゴンが泣きながら投降するよう説得するものの、子供たちが返答として銃弾を撃ち込むといった悲劇が、お茶の間に流されることになる。その結果、ある世代を境に、共産党と社会党への支持者がぱったりと止まる。その後も。見事なぐらいに。

結局、1970年代になると、大学生たちはそのままノンポリ(ノン・ポリティクス)となり、政治的にまったく動こうとしなくなる。彼らの中に、社会がどうなろうとも自分たちさえ良ければそれでいいという思想の萌芽があったことが、その後、楽しい次世代を生み出すことになるけれども、気にしない。

昭和50年代から平成10年代にかけての教育ママゴン[編集]

日本中でテロを頻発され、頭は良くてもマルクス主義にだけしか知識を持ってないという子供たちを大量に生み出した教育ママゴンの恐ろしさについて、ようやく国が対策に動くことになる。特に、大学生の問題について実感した文部科学省は、まさに浅間山荘事件のあった1972年に初めてゆとり教育について審議し始めることになる。そらそうだ。子供たちの知識偏重が人間関係の齟齬を産み、世代間に恐るべき格差を横たわらせ、その上モラル形成が上手くいってないってことが丸分かりとなった直後なんだから。

そのため、週休5日制を柱とする教育制度の変革が提起されることになり、国はその導入のために長い長い戦いを続けることになる。

が、それで教育ママゴンから子供たちを守るなんてにはならない。まったくならない。1979年に、後のセンター試験となる共通一次試験が制定されたことを皮切りに、いわゆる予備校を中心とした塾文化が隆盛を極めていくことになる。1960年代からいわゆる参考書や学習塾といったものが一つの産業として見なされ始めたことは確かであるけれど、それが巨大産業へと生まれ変わるには、1970年代に一般的となる学力偏差値の導入により、子供たちを明確に線引きすることが可能になったためである。その結果、マスコミが子供の将来に対して不安を煽りまくることがよりたやすくなり、ママゴンもそれにつられて大騒ぎすることで、初めて教育が大きな金となる。狂育かもしれないが、とんでもないぐらいに大きな金になっていく。

そんな情報操作の積み重ねが見事花開いた1970年代から1990年代にかけて、教育ママゴンの活動はより活発化しその破壊力も増大していく。小学校時代から偏差値にこだわり、音楽スポーツゲームといった話題には触れることさえ禁止。友人関係にすら親が口を挟むことが常識となり、テレビ番組の内容ですら、子供の教育のために変更させるレベルでママゴンは日本中を揺らしまくる。これは、教育が一つの宗教であり文化であり、なおかつ生き方になったという話でもある。

それの何がいけないかというと、やっていることはカルトと同じ、オウム真理教とまったく同じであるところが恐ろしい。自分の正しさを証明するために、子供を殺すレベルでしつけや教育を行うママゴンの問題は、その後、定期的に日本でも重い問題として噴出し続けていく。

しかも、そういう時代に限って、ファミリーコンピュータやらプレイステーションといったゲーム機が開発され、いわゆるゲームの全盛時代が合わさることになるんだからたまらない。けれども、子供たちがバカになるとしてママゴンたちが忌み嫌ったこれらの存在がなかったら、どれぐらい日本という国から創造力が失われたやら。もちろん、どれだけそのおかげで子供たちがバカになったかについては語るに及ばないけれど、知識ではなく、感覚についてを学ぶ経験が整備されたことは大きな一歩である。

そもそも、人類の歴史において、エロい妄想と書いて恋愛と読む人体のシステムを無視した教育が、一体全体どれぐらい楽しい破綻を生み出したやら。また、そういった話を抑制させるような教育が、一体全体どれぐらい日本の風俗産業を発展させたことやら。結局、子供の成長にあわせた教育というものに、そういう知識以外の感覚に依拠するものについて対応しきれないと、いろいろと変になってくる。

なお、この時代、ママゴンやマスコミ、そして教育関係者の活動が功を奏した結果、日本の子供たちの学力は世界トップへと上り詰めることになる。しかし、そのことによる弊害もまた顕著に現れ、1970年代より校内暴力、80年代よりいじめの問題が深刻化。ツッパリやヤンキーといった、社会からも家庭からもはみ出る子供たちの存在が一つの文化となるまでに、子供たちの中のモラルが悪化する。さらにはノイローゼと呼ばれる各種ストレスからくる神経症が日本中に広がり、自殺の低年齢化が顕著となり、受験戦争とまで揶揄された非人間的な教育がまかり通る。さらに、受験戦争から解放されたことによる反動により、今度は大学生の質の低下が問題化。そこからさらに各企業へ人間関係やらモラルやらがアレな人材が送り込まれるため、大学紛争などで規律や政治意識などを持った世代とノンポリを主張する世代との摩擦がひどいことになっていく。で、それらが煮詰まった結果、1986年より始まるバブル景気の中ではじける。

はじけまくる。

バブルという一つの答え[編集]

1985年プラザ合意をきっかけに、その翌年から始まるバブル景気は、異常な円安状態を解消するため、世界中から日本に向けて投資資金が流れ込んだ時代で ある。日本国中に異常に金があふれ、モラルの崩壊が社会問題として取り扱われるレベルとなる。実際、世の中は金さえあれば何でもできると日本中が狂っていった時代はしかし、わずか5年、1991年に終わる。あまりにもバカな経済活動に対し、外資は必然的に見切りをつけて撤退。そして、日本中が、不景気の中で、どうしてこうなったかを模索していき、やはり教育が間違っていたことに気づく。気づかされる。それは、ある意味、1960年代に貧乏な中でお金が欲しいから子供をいい学校に通わせ、いい職業に就かせてきた世代の人々にとって、一つの到達点でありまさに人生をかけた願いがかなった時代でもあったのだけれど、その弊害も大きかった。そして、その反省を生かし、次の世代の教育を模索するために、ゆとり教育が本格化、1992年より学校の週休2日制が導入されることになる。

ママゴンに対する反撃[編集]

このように、浅間山荘事件バブル崩壊といった日本の教育を揺るがす大事件の影には、いつの世にも教育ママゴンの姿が存在していた。しかし、そんなママゴンたちの苦労を台無しにするべく、国が、文部科学省が、法律で子供たちに人間関係やモラルを構築する時間を持たせることを定める。とりあえず、そうしないと、ロクなことにならんという経験則に基づいてはいる。とりあえず、これら大人になってから必須になる要素やら技術を、子供の時分から獲得するためには勉強以外の時間がどうしても必要になる。そして、何よりも、教えて覚えるものでもない。

教えて覚えるものではない。

これは、苗を引っ張れば早く成長すると思った男が、稲の苗をみんなダメにしてしまった故事から助長という言葉が生まれたことからも良く分かる。

が、この程度で息の根を止められるほどママゴンは弱くはない。けれど、ゆとり教育の導入と同時に、1990年代半ばよりインターネットが急速に普及。ウィキペディアに見られるような、世界中の知識が、本からネットへと拡散していくと、なおさらその傾向が強くなり、子供たちは覚えたいものを覚えて行くようになる。それは、学校の勉強とはまるでかけ離れたものが多かったけれども、その結果、それまでの教育が一変。

知りたいことを知る楽しさが当たり前のことになる。

知りたくもない本の内容をそらんじるよりも、Googleで検索するほうがより具体的な知識となっていく。そらそうだ。2500年も前から、どこぞの孔子は、教育とは楽しく覚えるのが一番といってるんだから。また、2ちゃんねるのように、世代間を無視した交流の場が整備された結果、カオスの中から年代やら世代間格差を無視した形で思想が形成され、何よりも、勉強と呼ばれるものの価値観でさえ個人だけのものから全体で共有できるものへと変貌していく。

まぁ、分かりやすく言うと、アニメゲーム漫画といった媒体を心から愛するオタクという新しい生き方の台頭を考えればよく理解できる。こういった新たな視点、新種の正義は、教育ママゴンたちがそれまで培った日本式の愛情やら社会的観点から見れば異質であり、愛情を武器に将来を人質に教育を行っていく風潮に対し、それ以上の愛情と将来の放棄を持って対抗する存在が出てきたことは、明らかに時代の変わり目であったといえる。

そういえば、古代中国でも似たような思想があった気がしなくもないけれど、たぶん違うだろう。たぶん。

そして、それまで、社会的風潮からママゴンを支持した人々も、今度は自分の経験や感覚をもってそれら異質の存在を否定せず、生かすことを選択。2000年代以降、ママゴンにとって絶対的な正義であった新聞テレビといった既存の媒体を揺るがしていく。

ママゴンの凶暴化[編集]

けれど、それが教育ではなく、その根本である子育ての世界に大きなかげりを生み出すことになる。その端緒は、バブル景気の中にある。それまで日本の美徳とされた子供は社会のものというモラルが大きく揺らいだ結果、ある年代を境に急速にママゴンが狂暴化していく。正確に言うと、ママゴン自体、バブル時代に学ぶことをストップしてしまい、結果、一部のママゴン自体のモラルが崩壊してしまう。

そのような事態を予測していたかのごとくに、1990年に初めて生涯学習に関する法律が出来、ママゴンも自分を教育せいとのお達しが出る。これは、教育ママゴンに対する教育を模索するという、恐るべき発想の転換である。しかし、いつものことながら、法律が世の中にいきわたるには時間がかかり、どうしてもそこから漏れてしまう人々がいる。

そのため、1990年代のバブル崩壊後、長きにわたる不況の中、子供たちに再びママゴンの魔の手が伸びる。しかも、今度はよりレベルアップした、子育てバカゴンとして。

2000年代以降の子育てバカゴン[編集]

バブル崩壊以降、日本の子育てにある一つの風潮が生まれる。それは、いわゆるドキュンネームと呼ばれる子供の名前に象徴される、子供は親のモノという、愛があれば何をしても大丈夫レベルの危険な考えが、バブル時代のモラル崩壊後にヒタヒタと日本人の心の奥底に忍び寄ってくる。これは、金があれば何をしてもよい、という社会の風潮が生み出した産物である。一度、という絶対正義を頂いてしまった以上、金がに変わり、それを子供に押し付けるなんてことになったとしても、それは一つの結果でしかない。

その結果、社会からはみ出る子供たちが急増していく。訂正。社会からはみ出る親子が急増していく。

そこには、自愛はあっても慈愛はなく、育てる(そだてる)ばかりで育む(はぐくむ)がない。てゆうか、教育のやり方が分からない、むしろやり方なんてものがない世界に解を求める、答えがあると思い込むという、ちょいとまずい傾向が一般的となっていく。それまで、社会の目、もしくは周囲の目という絶対的なモラルが存在していた世界に対し、親子の愛を持って立ち向かう姿はある意味、新時代の幕開けとも言える。

が、普通はその戦いに子供を巻き込まない。

むしろ、そういった家族は1960年代どころかその前からずっと前から存在していた。はだしのゲンの一家などは、まさに社会と自らのモラルを対峙させ、思いっきり家族を巻き込んでいた。けれど、そこには相応の覚悟が存在しており、だからこそ、後の世にも伝わることとなった。が、こと子育てバカゴンについては、そういった覚悟が見当たらない。子供は親のおもちゃか何かのような事例がたくさんありすぎる。無論、それは一握りの事例であるのだけれども。

結局のところ、それは教育ママゴンと同じである。自分は正しいと思い込むことが、思い込み続けることが、人間をモンスターにする。よくある話である。本当によくある話である。ちなみに、子育てバカゴンの親の世代が1960年代から1970年代にかけて、教育ママゴンたちによって人間関係の構築やモラルの形成に問題ありと見られた子供たちが大量に育った世代だったりするけれどもまあ偶然だ。

何が偶然かは知らないが。

関連項目[編集]

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この記事「教育ママゴン」は何故か「ママゴン」とネタや題材がダブっています。どちらが真実なのかは神のみぞ知ります。
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この記事「教育ママゴン」は何故か「教育ママ」とネタや題材がダブっています。どちらが真実なのかは神のみぞ知ります。