新逗子駅

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「楽をしたい横須賀線に乗り換えるのが嫌で不機嫌な新逗子駅」
横須賀線への乗り換え について、仲野栄治

新逗子駅(しんずしえき)は、神奈川県逗子市に存在するはずの京浜急行電鉄であり、京急逗子線の終着駅である。

地元では“新しい寿司の駅”として親しまれているほか、近年は「ニート新逗子Neet Shin-Zushi)」という斬新な名称の施設をもつ駅としても知られている。

歴史[編集]

京浜逗子駅逗子海岸駅を統合して作られた。現在のホームはかつての両駅の中間点にあるらしい。超近い。しかし、この短距離の両駅間だけを、毎日利用した人が存在したという都市伝説が逗子市民の間で語り継がれている。

駅構造[編集]

ホーム一面線路一本のコンパクトな駅。改札口は南口と北口の2箇所があるが、南口はホームの南端すぐの所にあるのに対し、北口へはホームから数十段の階段を登ったうえ、通路を約100メートルほど歩かなくてはならない。

JR横須賀線逗子駅に乗り換えようとすると、この北口から出て、更に、電車で乗って来た道を300メートルほど歩いて逆戻りしなければならず、少々面倒くさい。京急逗子線の線路と横須賀線の線路とは渡り線で繋がっているのだから、たまには横須賀線の4両編成の列車が逗子から金沢八景あたりまで乗り入れてくれても良いじゃないかと思うのだが、なかなかそうはいかないらしい。

北口の改札口は、「ニート新逗子」の3階に設けられている。

ニート新逗子(Neet Shin-Zushi)[編集]

1991年にオープンした、駅ビルらしきもの。未来を先取りした、なんとも挑戦的なネーミングである。

なお、「ニート新逗子」で働いているのは、その大半がニート(NEET)である(当然といえば当然だが)。この経緯については後述する。

ニート新逗子の中身[編集]

「ニート新逗子」のテナント一覧と案内図。
京急の改札口。売店業務と改札業務の両方を、1人で兼ねることができるよう工夫されている。

長らく諸般の事情により、現地を訪れねば知ることができなかった「ニート新逗子」の中身であるが、このほどニート側から情報公開がなされ、中身すなわちテナントが発表された。なお、職業訓練施設ハローワークといった施設は、ニート新逗子の設置経緯から不要とされており、テナントとしての入居が禁止されている(2019年12月現在)。

1階部分には、バカヤンデレ末期がん患者以外には有効なを売る薬屋さんと、「ドンキホーテに買収されかかったが結局はイオンの子会社になった定食屋auショップ、安いだけが売りのドトールコーヒー、倒産したはずなのになぜか存続しており“新しい寿司”を毎日作っている京樽テイクアウト寿司店が入っている。以前は銀行の支店が入っていたが、90年代の銀行再編の波に洗われて撤退、結局不況に強い薬屋さんが入ることで、テナント料を取りはぐれないようにしている。

2階部分はオタクも含めた全年齢層向けの書物を売る本屋がニート創業以来頑張っている。同じくニート創業以来頑張っていたアニメDVDの在庫がしょぼいレコード屋さんは、あまりにもしょぼすぎてニートが寄り付かなくなったため、100円ショップに入れ替わったらニートが戻ってきた。

3階はセレブ気取りのクソ婆あ御用達の美容室と、貧乏人御用達の床屋逗子のイメージにつられてやってきた田舎者に猫の額ぐらいの土地を東京23区並みの高い値段で売りつける悪徳不動産屋、ドリルで抜歯すると一部で噂されている歯医者さん、店員全員が品川駅の名店アズミ野で2週間研修を行ったにも関わらずちっとも美味くならない立ち食い蕎麦屋、新逗子駅の改札となぜか改札に隣接するような形でコンビニエンスストアが入っている。しかも、コンビニの店員は駅員が兼任しており、彼らは「こんなことするために京急に入ったんじゃねぇぞ……」とぼやきながら、今日もうわべだけの笑顔で握り飯を売っているのである。

ニート新逗子の歴史[編集]

“現実から眼を逸らす”[編集]

バブル経済の崩壊まであと僅かと迫っていた1990年頃、逗子市では、市内にある「逗子マリーナ」の廃墟化が進行しつつあった。逗子市の数少ない観光名所のひとつが荒れ果ててゆくことで、やがて逗子市全体が寂れてしまうであろう[1]ことは、市民の誰もが暗黙のうちに予想していたが、当時の市政関係者はこれを認めようとはしなかった。

そこで、市政関係者は、次のような方針をでっち上げ打ち出した。「この廃墟化は、今まで好景気であった日本経済が、悪化する方向に転じたことを示すものである。従って、今後、失業者や就業能力者が全国的に増加する惧れがあるため、逗子市においてもこれらの者を収容する施設を設ける必要がある。」 そして、丁度改築が行われていた、逗子市役所の目の前にある建物――即ち新逗子駅の駅ビルを、京浜急行電鉄から二束三文で買い取り、これを収容施設にすることとした。

収容施設は、「ニート新逗子(Neet Shin-Zushi)」と名付けられた。勿論、当時まだ日本では「NEET(ニート)」という概念は一般的ではなかったが、イギリスなどでは既に労働統計用語として用いられていた。NEETという言葉の響きには、“未知の外来語を聞いたときに感じる、根拠の無い格好良さ”が多く含まれているように、当時の市政関係者には感ぜられたため、この言葉が採用されたと言われている。

実際、就業無能力者たちに対し、「君たちは無能力なので、ここで働いて貰います」と言うよりも、「君たちは『ニート』に認定されたので、今日からここで働くことができます」と言った方が、彼らを容易に従わせることができた。現在では考えられないことであるが、1990年頃の日本においては、「ニート」という言葉は“格好良さ”のイメージを伴っていたのだ。

また、現在では「ニート」は“自宅から殆ど出ない”というイメージがあるが、当時はパソコンDVDも普及しておらず、また深夜アニメの類も殆ど無かったため、ニートたちは自宅にいても暇を持て余すだけ――いや、むしろ、親や保護者から1日に何度も口うるさく説教されるため、どちらかといえば自宅にもいたくない者が多かった。従って、当時はニートであっても、市が働き口を何とかしてくれるとなれば、割と大人しく自宅から出てきた(あるいは親から半強制的に追い出された)のである。

“邪魔な荷物を押し付ける”[編集]

1991年3月に「ニート新逗子」は完成し、いくつかのテナントが入居したうえでオープンした。テナントには、“駅ビルテナント”としての機能だけでなく、“自治体が行う職業訓練への協力”が求められたが、その代わりにテナント料は極めて安く設定され、更に、市が集めてきた人材を最低賃金で使うことができるため、まずまずの入居率であった。オープン当初は逗子市内のニートだけでは人材が足りず、隣接する鎌倉市や横須賀市などからも一部のニートを受け入れていたという。

やがて、バブル経済は崩壊の一途を辿り、これに比例してニートも増えていった。そもそも逗子市の市政関係者は、市内の寂れっぷりから自分達が眼を逸らすために「ニート新逗子」を造ったのであり、本当に全国的に景気が悪化するとは想像すらしていなかった。他市からのニート受け入れは程なく打ち切られ、更に市として「ニート新逗子」を運営し続けることにも財政的な無理がかかるようになってきたため、オープンから10年が経過した2001年、市は京急の子会社に「ニート新逗子」を購入当時の値段で買い戻させた。しかも、この際に、「ニートの受け入れは続ける」という確約書を取り交わさせられたため、京急はまさに涙目であった。

竣工当時は、まだニートという言葉が一般的でなかったことから、ビル内の看板では「Neet」の綴りが誤って「Neat」になってしまっていた。この誤りは長らく放置されてきたものの、京急がニート新逗子を買い取らされてから暫く経った2004年頃から、ニートという概念が突然日本中に広まったため、2007年度から順次修正作業が進められている。修正がまだ行われておらず、代わりに紙に「e」と記して上から貼って間に合わせてあるところなどは、何ともニートらしく微笑ましい風景である[2]

隣の駅[編集]

京浜急行電鉄

健康の為にウォーキング

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 在日米軍池子住宅を除く。
  2. ^ 上掲の画像をクリックし、右側のテナント一覧の上部を拡大して参照してほしい。