早川大輔
お早川 大輔(おはやかわ だいすけ、1975年6月3日 - )はオリックスバファローズのスカウト。
概要[編集]
オリックス時代まで[編集]
県立船橋高校から立教大学に行き、本田技研からアストロ球団(経歴から抹消されている)へ入団。
その後2001年秋には中村負広の大量指名により、オリックス・ブルーウェーブ(当時)のドラフト5順目(チームとしては4人目)で入れてもらった[1]。
2003年に靱帯を痛めたものの、2004年2005年とそれなりに活躍していたが、2006年にふたたび膝を怪我してしまい、駄菓子屋さん球団へのトレードが成立。手負いの選手を厄介払いするようなやり方では良い選手は取れず、交換相手は3番手捕手であった。
ロッテ時代[編集]
ここで、やさぐれてしまっても、おかしくは無かったが、2007年、西岡TSUTAYAの後ろでつなぐ2番打者起用が的中。移籍1年目にして、プロ入り最高の成績。真っ当な野球人生を歩むか、と思われた。
ところが2008年、元のヘタレに戻ってしまう。それがホントに、ヘタレに戻っただけなら良かった。しかし、負けん気ばかりが強い早川は封印していた、あのプレーを解禁する。
意味の無いガッツプレーを前年から魅せていたのを持ち味として知られていた選手であったが、この年からは守備妨害スレスレ、というより妨害そのものというプレーの数々を、惜しげもなく披露。ハッスルプレーの延長のように思わせた事で、ファンを謀った事にも成功する。
強肩ならぬ、狂犬選手の誕生である。
特にイケメン・ブサイクが混在する地味な球団所属の細川亨なんて、格好のエジキ。対戦時には、たちまちバット投げに興じる殺人鬼へと変貌したのである。そして目に余る凶行は、チームメイトの追従も誘発した。右の写真が、その惨状を物語る。
なお、嶋基宏に対してはバットを投げても失敗した。そのため、標的を変更。今江敏晃が一塁ランナーとして出塁した時に、報復として高須洋介に対してタックルした。
どーでもいい話だが、中日を解雇され、モラルのかけらもないファンが目立つ球団に移籍した高橋光信もバット投げをしたが、此方はしっかりボールに当てた(結果は二ゴロ)。そういう問題じゃないけどね。
横浜時代~引退[編集]
2009年シーズン終了後、世代交替の波に飲まれて(もっとも、1年目以外あまり打てなかったが)金銭トレードで横浜ベイスターズに放出される。入団会見では背番号37を与えられ『20から30くらい盗塁を決めたい』とコメントしたと言うが、全く打てず二軍落ち。ロッテ時代の凶暴さも鳴りを潜めたため全く注目されないまま、ひっそり引退した。幸い古巣に拾ってもらい、オリックスのスカウトに就任。現在は牧田さんなどと一緒に地方の独立リーグや高校をドサ回りする日々である。
ロッテ時代の蛮行[編集]
いまだ名を残している理由である(オリックス時代・横浜時代の素っ気ない文章と、ロッテ時代のgdgdな文章が他球団の怒りを象徴しているといえよう)。打者としては、味方の盗塁成功を助長させるべく『バット投げ』をして捕手を怪我させる。
他にも、走者としては、体当たりによる相手捕手の脳震盪を誘発させたり、ベースカバーに入ってきた相手野手の足を蹴り上げたりする。つまり、目的のためには手段を選ばない、というより、そのような機会を常に窺っている殺人鬼である。ちなみに、その反則業の全てがアストロ球団在籍時に覚えたプレイである。
なお、50m5秒台という俊足は、全く無駄である。それを生かした盗塁や、セーフティバントを磨たり、試みたりすれば好感も得られよう。それなのに何故、守備妨害をするのか。
理想の野球選手は、ナムコの野球ゲーム「プロ野球ファミリースタジアム」シリーズに登場する、快足選手のピノである。しかしピノは、捕手に向かって体当たりしないし、捕手に向かってバットを投げない。どうやら本当に目標としているのは、元巨人のガルベスと思われるが、本人がソレを公言する時点でおかしい。
全盛期の早川伝説[編集]
- 3打数5バット投げは当たり前、3打数8バット投げも
- 先頭打者満塁バット投げを頻発
- 早川にとってのヒットはバットの投げそこない
- 先頭打者サイクルバット投げも日常茶飯
- 9回裏100点差、チームメイト全員負傷の状況から1人で敵チームを全員負傷させた(アストロ時代)
- ワンバウンドも余裕でバット投げ
- 一回のスイングでバットを三本投げる
- バット投げでホームランが特技
- 打席に立つだけで相手投手が泣いて謝った、心臓発作を起こす捕手も
- ホームランでも納得いかなければバットを投げて帰ってきてた
- あまりにバットを投げすぎるから牽制球でもストライク扱い
- その牽制球にもバット投げ
- ピッチャーを一睨みしただけでバットが二遊間に飛んでいく
- 試合の無い移動日でも2バット投げ
- バット使わずにヘルメットを投げてたことも
- 自分の投げたバットを自分でキャッチしてレーザービームで投げ返す
- 内野ランニングバット投げなんてザラ、2回投げることも
- 一塁でアウトになってからバットを投げる方が早かった
- ウェイティングサークルでバット投げた
- バットを避けようとしたピッチャーと、一緒に避けようとしたセカンド、ショート、センターの選手ともどもスタンドインさせた
- 観客の韓国人のヤジに流暢な韓国語で反論しながらバット投げ
- グッとガッツポーズしただけで5本くらい投げた
- バット投げでハリケーンが起きたことは有名
- 湾岸戦争が始まったきっかけは早川の場外バット投げ
- ライトの深い位置から三塁線のスクイズもグラブを投げて処理してた
- ボーリングの球を楽々捕手に投げてた
- 自分のバットに飛び乗ってスタンドまで行くというファンサービス
- 野球ゲームの早川限定の裏技・バット投げコマンドが検討されたらしい。
- リアルパワプロでも同様である。
脚注[編集]
- ^ 当時のオリックスには負広による、『契約金、無いけどアンタ、それでも入る?』という危険極まりない政策が横行していた。それでも一応、契約金を貰えたようだ。
関連項目[編集]
- 千葉ロッテマリーンズ
- エクストリーム・バット投げ
- 平野恵一(オリックス→阪神→オリックス)※同期の生き残り
- 後藤光尊(オリックス→楽天) ※同期の生き残り
外部リンク[編集]
この項目「早川大輔」は、執筆者がクラックをキメていた可能性もありますが、今はまだクソの山です。より愉快にしてくださる協力者を求めています。さぁ、これを見ているあなたも、恥ずかしがらずに書き込んでみよう! (Portal:スタブ) |
<---ロッテファンより追記(2016年5月)お笑い記事に水を差すのも気が引けるが、当時から何ぶん時間も経過しており、リアル早川氏が職にあぶれリアルにやさぐれ名誉毀損されたりする可能性も無きにしも非ずなので追記しておく必要があるだろう。実際にはおばさん、大村さん など、当時のロッテの主力の殆ど(主に右打者)に投手へのバット投げが頻繁に確認されている。当時の筆者(誰だよ)も含めロッテファンは「これは3年前まで2軍でやっていた練習なんだよ!」と必死に誤魔化したものの、それならそれで移籍してきた早川がやるはずがない。当時のロッテではジョシュ・ホワイトセル(ヤクルト→ロッテ→3A)など、なぜかロッテ時代に限り突然凶暴化した外国人選手も多く、当時の監督であるボビー・バレンタインの指示とみるのが適切と思われる。このボビーという人は某ノムさんのように去就をめぐって応援団が暴動を起こしたり、本家wikiを監視する人たちに異常な人気があり批判しづらかったが、10年近く経っており血の気の多い応援団も解体されたので時効であろう。--->