星野仙一
星野 仙一(ほしの せんいち、1,001 stars)は、指定暴力団1001組の組長であり、育て屋さんである。また、弱い立場の選手に対する暴行・暴力で知られ、人体発火現象をしばしば起こしていたプロ野球選手および監督でもある。野球界一の名優として知られる。全人類はわしが育てた。ついでに言っておくとポケモンのそだてやじいさんとは彼のことである。そして、2011年からは、わしがワシを育てることになった。
概要[編集]
名古屋竜連合における活躍期が長く、投手および監督として何度も青色の竜を赤色に変色させてきた。
2002年から2003年にかけて阪神タイガースの監督も務め、見事に組織を復活させ2003年にはセ・リーグ制覇を成し遂げた。阪神を復活させた功労者であるが、阪神の優勝後に某野村爺が阪神優勝後に「星野はわしが連れてきた」と豪語するという彼すら真っ青の後出しジャンケンや最近の失敗のおかげで、数年前の偉業すら消し去られつつあるのは少し気の毒ではある。
現役投手時代は、「星野仙一 利権の温床」という名文句を名古屋の詩に残している。監督には中日で2回、阪神で1回就任しており、「燃える男」とか「すぐ手が出る男」と呼ばれていた。岡山県出身で血の気が高く、乱闘を起こし退場になっていた逸話は、名古屋共和国史に残るものである(いしいひさいちなど、変わり者を輩出する岡山県出身のため血の気が多いのか、岡山県出身なのに血の気が多いのかはわからない)。
名古屋共和国や大阪市や神戸市においては、反感を持たれてはいないどころかヒーローだったが、最近「ナベツネへのあまりの相思相愛の露骨っぷり、読売ファンであり監督になりたがってる」との噂に支持者が急激に減っている。いわゆる老年性ツンデレキャラであるが、野村克也同様にあまり笑えない。
巨人への劣等感がもの凄く、巨人でもやらなかった手口で新人を強制連行し、巨人が補強しようとした選手全員に手をつけたこともある。阪神の監督時代の補強ぷりから、「巨人の補強は汚い補強。阪神の補強は綺麗な補強。」と言うミーハー共が口にする妄言のきっかけを今にまで残してしまった。それが今や、立場が逆になった気もしなくはない。
若手スポーツ選手の成績が伸びてくると、何でも「○○はわしが育てた」と自分の功績にしてしまう癖がある。実は投手出身監督なりに投手にはそこそこ優しいため、本当に年端もいかない選手を使い潰すことは意外に少なく(今中、近藤、与田、上原、宮下、森田ら10人に満たないし、岩瀬あたりはつぶれてもいない)、自業自得で叩かれる一方、若手選手が虚弱体質で故障したりしても星野が潰したと叩かれる気の毒な面もある。
いずれにしても、彼が監督をやるとヤタラと故障者が多くなるため、ミストバーンのように暗黒闘気を放っているのではないかとの説がある。選手の補充が利かない北京オリンピックではその効果がいかんなく発揮されたのではないかとも噂される。
星野仙一名言集[編集]
それなりに知識・理論はあるのだが、キャラを優先してその場の勢いで喋ってしまうことが特徴である。
サッカーの親善試合・FC東京対レアル・マドリード戦について
- 「サッカーはTシャツと短パンでできる競技。野球の方が厳しい」
- 「(レアルの人気選手である)デビッド・ベッカムよりこっち(野球)のほうが人気がある」(2003年8月5日)
- 「何がフリーキックじゃ! あんなんワシでもできる!」
- 「スポーツ全体を応援しています」
- 「ベッカムはかっこいいとは思わない。うち(阪神)の選手の方が男前だよ」
- 「レアルって(野球に例えると)巨人だろ? 強いところへ行って勝ってどうすんの?」
野球というスポーツについて
- 「野球がなくなったら日本もなくなる」(2008年4月7日「カンブリア宮殿」にて)
- 「IOCはなぜ野球を五輪から除外するのか、この地球上で年間何千万という人達の関心を揺すって楽しませているようなスポーツ競技は、野球の他にどれくらいあるだろうか。」
- 「そういう部分でいうとたとえば馬術やヨット(セーリング)は ほんのひとつまみの競技人口で、一体どういう人達が本当に見ているのだろうかと思う」(2008年4月23日、自身のウェブサイトにて)
北京五輪、サッカー日本代表(反町ジャパン)の米国戦後
- 報道陣に囲まれた星野監督は「おい、サッカーが負けたぞ」と嬉しそうに(野球日本代表の東京ドームでナイター練習、その合間にテレビ中継をチェックしていた)
- もともと星野監督は「この五輪で一番注目されているのは、サッカーじゃなく野球。あとは単体(個人種目)で北島やヤワラちゃんがいるくらいでしょう。それに応えていかなくてはいけない」と語っていた。(zakzak記事より)
- 「今日サッカーはアメリカに負けましたけど野球はアメリカに勝ちますので、皆さん楽しみにしててください。」(2008年8月7日、ZEROエンディングにて。なお、結果は日本 2-4 アメリカ)
北京五輪、韓国戦前
- 韓国の報道陣に対して「(韓国に気になる選手は)特別いないね」(結果は日本の0勝2敗)
北京五輪、台湾戦前
- 台湾の報道陣の「日本のクリーンアップは大丈夫ですか?」にという質問対して「ほっといてくれ! キンタマではこっちも負けていない!」と答えた。また「台湾戦は誰が先発してくると予想してますか?」という質問には、「王建民」と答えた。(王建民は北京オリンピックに出場していない)
- 同じく台湾の記者に対して「野球は点取りゲームだからね。200メートル飛ばしても、ランニングホームランを打っても1点は1点だ。」しかしオリンピック終了後には「我々にはもっともっとパワーが必要。パワーで押さえ込むことが備わらなければ国際試合には勝てないんじゃないか」と語った。
その他
- 自ら交代を申し出たにも関わらず、不満な素振りをみせる演技に対して「稲尾さんはまだ名古屋にきたばかりで知らんでしょうが、私は燃える男といわれとるんです。どんな状況でも弱気なところは見せられんのです」
- 鳴かぬなら 新しいホトトギスを買ってみせよう ホトトギス
エピソード[編集]
- 星野が指揮を取るまで阪神虎連合での指揮は非常に難しいという常識があったが、星野はその常識を2年足らずであっさり覆してしまった。しかし、星野はこうして指揮を取っていた頃から、額辺りの頭髪の一部が白くなってしまっている。これは狂戦士の鎧の力によって、限界まで肉体の力を発揮し、精神を暴走させ攻撃的思考を表面化させ続けた反動であると思われる。
- 「燃える男」の名が示すとおり、投手が炎上した時などは怒りのあまり自身まで発火することが多々あった。全身大火傷で入院すること数知れず。
- 手首から先の皮膚と筋肉が鉄に変性してしまう原因不明の難病に悩まされていた。しかし、その鉄化した手で殴られると相当痛いので、選手はこれを「鉄拳制裁」と呼び恐れた。
- 近年、学習塾にも力をいれているので「総理大臣はわしが育てた」と言う日もそう遠くはないだろう。
- 燃える男がベンチ入りすると新品のドラム缶が前に置かれる、勝っても負けても試合終了後そのドラム缶は原型を留めない程破壊されている。その為北京オリンピックではドラム缶持込禁止になった。
- 2008年8月23日、北京で大炎上。天安門広場を焼き尽くし、人民開放軍及び武装警察が導入されるも炎上を続ける。中国政府は自衛隊に援助の要請を行ない、ようやく鎮火に成功した。
- 北京オリンピックの代表選手登録のときケガをしている選手に対し電話で「出れるんやな!?」と脅し無理やり出場させていた。その際に中日の選手を何人か潰しておいた。
- 岩瀬仁紀:監督時代の3年間では潰せなかったので、これ幸いと3試合で炎上させた。その後の岩瀬は、2010年現在防御率が若干悪化したままである。
- 川上憲伸:前年に「ボランティアで野球をやってるわけじゃない」と発言したことが星野の怒りを買い、ボランティアに強制参加。翌2009年からメジャーに挑戦するも呪いをまともに食らったため散々な結果に。
- ドアラ:ポスト福留孝介として駆け出し中の左打者をいきなり3番起用のSMプレイで大ブレーキとなるも、呪いに失敗したのか翌2009年にはケロっと回復しフル稼働している。
- これらの惨状や、中日の選手のせいで負けた(まぁ半分事実)という誹謗中傷、さらには2008年の中日そのものも散々な結果に終わる。その後中日の選手はPTSDにかかり、2009年の中日選手のWBC不参加につながった(これがまたさらなる批判を浴びたので、星野的にはメシウマかもしれない)。
- どういうわけか西武のG.G.佐藤も巻き添えを食らい、伝説的なエラーを連発する羽目になった。
- 北京オリンピックでは「金メダル以外は要らない」と豪語したが、結果4位となりメダル獲得を逃し、「金メダル以外は要らない」発言は金どころか銀や銅メダルまで逃すと言う皮肉な形で果たされた。
- 懲りない連中はWBC次期監督を恐る恐る打診したが、自身のブログで「わしはまだ炎上中じゃ!!」と一蹴された。燃える男を鎮火できるのは、もはやモスラしかない。
- 結局北京オリンピックでは代表選手のユニフォームや宿泊施設(代表選手たちは5つ星ホテルに宿泊した)などへの金のかけ方まで叩かれまくった。まあ第1ラウンドを様子見試合にした戦略は決して間違ってなかったと思うが、短期決戦なんて水物なんだから引き受けたのが悪いんだよ、というところか。
- 話題が尽きない東北球団に就任時の初仕事は沖縄の離島で迷子になっちゃったらしく、北京オリンピックで魅せてくれた迷走っぷりは日常生活でも披露された。ちなみに、定着はしなかったものの星野爺を助けた小学生が「星野はわしが導いた」とネタを作ったとかどうとか。
育てた人材[編集]
- 巨人以外のプロ野球選手全員
- 星野利権(キックバック)
- お前つまりあなた
育たなかった人材[編集]
- 藤王康晴
- 少し結果が良かったからとうつつを抜かして苦手の守備練習を避けているうちに打撃練習もおろそかにするようになった。
- 守備練習でさんざん注意された直後、反省もせずテレビゲームに興じる。
- 寮の門限破りに始まり、女性問題、酔ってケンカし前歯を2本折られ謹慎処分。
- さすがの星野も育成放棄。
- 金森隆浩
- 10月9日の阪神最終戦(甲子園)にプロ初先発した際、新庄剛志と塩谷和彦に打たれた。
- 日本プロ野球のタイ記録である1イニング2本の満塁ホームランを含む10失点で降板したときの星野はこの言葉を言い放って見捨てた。
- 「これを記念に消えてなくなれ、もう二度と俺の目の前に姿を見せるな。」
- 闘将ながらも非常に冷徹な監督でもあった。
関連項目[編集]
- 落合博満 - 中日の元監督で、ロッテから星野に連れてこられた
- 牛島和彦 - 落合と替わって、星野にロッテにトレードに出された。星野に対して骨髄の恨みを持っている
- 宇野勝 - ミスター珍プレー。星野の登板時に伝説のヘディング。
- 岡田彰布 - 阪神における星野の後任で、手を出す点も似ている。が、星野と違って2008年まで指揮してた選手の半分は、自ら二軍で育てた
- 田淵幸一・山本浩二 - 星野の盟友。
3バカトリオと呼んでも過言ではない - 原辰徳 - NHK解説者としての後輩。日本代表監督の“貧乏クジ”を引き継ぐ。ただ、それが“当選クジ”だったことは周知の通り
- 倉敷市 - 星野の母校が有り、市内には星野仙一記念館がある
- 岩瀬仁紀・G.G.佐藤 - 有名な彼の門弟
- 小田和正 - 現役時代からの親友らしい。
- 細山田武史 - 別にわしは育ててない。将来有望な捕手
- 島野育夫・島野修 - 同じ島野でも前者は大盟友だが、後者は星野の野球人生を狂わせたとされる因縁の敵。両者とも既に天に召された
大変です!この星野仙一も彼が「わしが育てた」と、言い始めました!誰かその前にこの記事を育ててあげてください! (Portal:スタブ) |