曲水の宴

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曲水の宴とは、中世のエロい人、もとい偉い人達の間で盛んに行われていた「大人の遊び」である。

概要[編集]

山林や庭園を屈曲して流れる河川や水流にカラッポの盃を流し、その盃が自分の元に流れてくるまでにマスターベーションを行い息子を勃起させ、丁度盃が自分の目の前を通りかかるタイミングで精子を射出し、盃一杯に自分の甘酒を注ぐというのが大まかなコンセプトである。射精すのが速すぎても遅すぎても駄目、その上流動する盃に収まるよう正確に精液を放射しなければならないという、コキ手に精緻な技量が要求される難易度の高い遊びである。早漏はまず勝つことは出来ない。ちなみに甘酒まみれになった盃は宮中の女中達の内ジャンケンで負けたものが飲まされるいう罰ゲームじみたルールがあるが、逆に参加者がイケメン揃いの場合女中達は率先して愛液の注がれた盃に口をつけようとする。まあ結果はどうあれ、辺り一面がイカ臭くなることは必定なので後片付けが大変である。

歴史[編集]

驚くべきことに、この遊びを考案したのは女性である。その女性とは、女系天皇史上比類無きビッチとして今尚忌避されている孝謙天皇(称徳天皇)であった。「強い漢たるもの、股間の太刀捌きも卓越していなければならない」という信条を持つ彼女は、自分のおまんこを痛めることなく、男達の股間の太刀捌きを吟味できる方法を熟考した結果、この遊びを発明するに至った。孝謙天皇の治世下で曲水の宴は大いに隆盛し、この遊びで突出した好成績を収めた道鏡という僧侶に心服し、やがて道鏡は彼女の絶大な支持を得てそのおまんこを自由に弄ぶことを許されるまでに至った。 逆に恵美押勝こと藤原仲麻呂は早漏であったため盃が回ってくる前に射精てしまうという醜態を幾度も晒して孝謙帝に愛想を尽かされ、政治の中枢から遠ざけられ、憤慨して謀叛を起こし逆賊として誅せられる運命を辿った。

桓武天皇の治世の時、公序良俗からあまりにも乖離した下品極まりない遊びであり、風雅と尊ぶ宮廷貴族がこのような遊びをすべきでないとして禁忌とされたが、醍醐天皇による延喜・天暦の治の頃、復興運動が起こり、再度公家の嗜みとして宮廷文化に取り入れられるようになり、その後藤原道長の時代を得て平氏政権まで行われたが、平氏に継いで政権を取った源氏の棟梁源頼朝は短小&包茎であったためこの遊びを敬遠し、次第に廃れていった。