最上川 (列車)

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酒田駅構内でお休み中の快速最上川用車両キカワ110。

最上川(もがみがわ)とは、陸羽西線の新庄駅と余目を経由して酒田駅を結ぶ快速列車である。酒田から新庄に向かう列車は線路上を普通にえっちらほっちら登っていくが、下り列車は流れの急な最上川を物凄い勢いで下ることで有名である。

概要[編集]

快速最上川は新庄と酒田を結ぶ速達系の列車である。1往復が設定されており、陸羽西線の最速列車としての側面の他に山形新幹線接続列車としての側面も有している。元々はどちらも陸羽西線を走行していたが、あるとき事故で車両が鉄橋から落下して川に転落したものの、運よく沈まず日本海までそのまま流れ着いたという。乗客数人が軽症を負った程度で、当時の新庄から酒田の所要時間よりも156分以上早く日本海に到達したという。このことに目をつけた国鉄は水陸両用鉄道車両を開発、1924年より運行を開始した。

最上川の急流っぷりは有名であり、オランダ人のハネス・デ・レーケ氏も「これは滝ではない、阿鼻地獄だ」と発言している。この川を下るのは最上川下りとして江戸時代から存在していたが、国鉄は川下り業者を強引に国有化し、快速最上川2号を川下り列車にした。

当初はスハ43などの客車を用いていたが、現在ではキハ110の改造車であるキカワ110を使用している。なお、余目〜酒田間は最上川が平行していないので羽越本線の線路を走行する。

ちなみに、新庄駅を出た列車は新庄駅から3kmほどのところで川にダイブし、余目駅の手前2kmほどで線路に飛び移る。

歴史[編集]

  • 1910年代(詳細は不明)、陸羽西線のどこかの鉄橋を走行中の列車が強風に煽られ脱線。先頭の機関車は対岸にあった養豚場に衝突して大破したが、後ろの客車2両は軽かったためそのまま横転し、最上川に転落した。当時川が増水していたて流れも急だったが、当時の車両は木造だったためある程度は損壊したものの沈むことなく最上川を下り、日本海に達したところで救助された。
  • 1919年国鉄は事故対策を重視していなかったが、この急流をどうにか利用できないかと考え、上野と秋田を奥羽本線経由を結んでいた夜行列車を新庄〜余目間において最上川を下り、余目〜秋田間を羽越本線で運転する案を発表、世間に衝撃が走る。
  • 1930年、国鉄は最上川の水運業者を無理矢理買収、共同で水陸両用車両を開発した。
  • 1932年、2年の試運転を経て運行開始。当然ながら上り列車は最上川を上るのはどう考えても無駄なので在来通り、全区間で陸羽西線を走行。
  • 1951年、陸羽西線の一部区間で土砂崩れが発生したことから全列車で新庄〜余目間を最上川を使用して運行。1953年まで。
  • 1987年、国鉄死亡により存続が危ぶまれるがЯし東日本が今まで通り下り列車のみ最上川を使用して運行。
  • 2000年、従来はキカワ52で運行されていたがキカワ110を開発し、現在もその車両を使用中。

この列車による観光客への影響[編集]

この列車により、最上川水運会社は国鉄に買収されるかXXXXXされて潰されたものの、列車に乗ったまま最上川下りができるということで大人気である。近年、船にみたてたトロッコ車両を開発する計画があり、人気がよりいっそう上昇するものと思われる。一方で水運会社はほぼ全滅し、列車による川下りは風情に欠けるという意見もあり、元来の船による川下りの便数を増やしてほしいとの意見もある。

最上川が増水で使用不可になったときは[編集]

上り列車と同じく陸羽西線を走行。通常よりも15分ほど延着となる。タクシーを使ったほうが速いかもしれない。

関連項目[編集]


東西線で押しくらまんじゅう.jpg この「最上川 (列車)」は、延伸の案が出ています。延伸して下さる協力者を求めています。 (Portal:スタブ)