未来計画表

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動先: 案内検索

未来計画表(みらいけいかくひょう)とは、ごく当たり前の話であるにも関わらずに一般人が目を背けている事実に従い、人間がどのように動くかを示す指標である。

概要[編集]

まず、当たり前の話として、1日が24時間、1時間は60分、1年は365日、ときどき366日という事実が存在する。そして、人間は愚かである。未来計画表とは、こういった概念を積み重ね続けることで改良し続けるものである。ただし、完成することはない。だいたいどれぐらいの積み重ねが目安になるかというと、人生80年、国家200年、民族1,000年、宗教2,000年程度の歴史と逸話、人間の行動を調べていくことでなんとなああああああくわかってくるよおおおおなもの、である。

ただし、この計画表は未来を知るという意味で利用することはできない。予測に使えることは確かであるが、むしろ、それぐらいに積み重なった現在がいったいどれぐらい前の計画表に基づいてこうなったかを理解するための1つの枠組みである。と同時に、1年先、10年先、100年先がどうなっていくかと様々な形で間違うためには必須の知識でもある。

あわせて、演繹法を知らないならばそれはそれで仕方がない。

人気は水物である[編集]

簡単な事例でこの計画表を説明するならば、浮き沈みの激しい芸能界で、あなたの好きな芸能人が一体どれぐらいの実力&後押し&運で生き延びていけるかについては、ごくごく当たり前な数字、しかも大多数の人間が目を背けている事実で簡単に説明できる。もしそんなものがあるとするならば、ファンの立場としてはのどから手が出るほど欲しくなるかもしれない・・・けれど、未来計画表というものはそんなもんぢゃあない

たとえば、オッサンになったらまず生き残ることのできないジャニーズ事務所の所属芸能人に未来計画表を当てはめるとするならば、売れに売れて20年。そこそこで10年。名前も出ぬままたったの5年。どこぞのSMAPのように、生命維持装置付きで醜態をさらしながら寿命を伸ばすとすれば30年・・・といった形で、ごく当たり前な事実を事実として受け入れるだけの話である。しかし、このような事実はファンにとっては予測以上に悲しく受け入れがたい現実である。だから夢の世界なんだと言うなら、確かにそうなのかもしれない。もっとも、ファンじゃなければ大変に妥当な数字であり、単純にジャニーズ事務所の過去の事例に当てはめていけば、あっという間に未来計画表は完成。あなたの好きな芸能人はいつごろオッサン認定されるか、ただそれだけの話である。

ちなみに、もっとひどいのが吉本民主主義人民共和国。別名、吉本興業。基本的な寿命、驚愕の0年。いわゆる使い捨て。もし売れたら、気力体力魅力その他一切合財絞れるだけ絞って、1~2年でポイ捨て。ただし、芸の世界的に見るならばまったくもって正しい。正しすぎて泣きたくなる。まぁ、生き残れないほうが悪い。と、言ってしまうと一時期の読売ジャイアンツが正しいことになってしまうが、あくまでも笑いの世界の正しさ、である。

こういった事務所の実績で大変に分かりやすい未来計画図は沢山あるけれど、まったくと言っていいほど世の中に出回らない。そのため、吉本の新陳代謝が強烈で、毎年面白い若手が出ているように見受けられる裏側で、常に悲惨な芸人たちの戦争が繰り広げられている。巨人もしかり。もっとも、視聴者およびファンが彼ら若手の未来を気にかけることはまずなく、また新しい若手にスポットライトが当たるだけの話である。厳しい競争社会の真実である。もっとも、吉本興業は若手のすりつぶし以上に運良く生き残った実力者の超安泰ぶりがすさまじく、巨人軍真っ青、朝鮮半島のと同レベルである。

結局なところ、未来というものはごく当たり前に1つ1つの過去の事例でもって説明できる程度の話であり、それをなぜか一般人が目を背けているだけの話と見ることもできる。背けなければ、計画なんてものはいくらでも立てられる。

人間には寿命がある[編集]

そして、これまたごく当たり前の話であるけれど、一般的な日本人の寿命はおよそ80年である。それから先は、1年ごとに死神相手にバクチを打つようなものである。そのため、誰もが語ろうとしないビッグネームのについてもまた、ごく簡単に計算でき、淡々と未来計画表に記載できるデータである。

ただし、どこぞの森繁久弥のようにいつか死ぬいつか死ぬと言われながら20年も持つ計算違いも存在する。ボブ・ホープ のことは聞くな。大野一雄に立ち入るな。

しかし、世の中はそんな計算違いが多発するほど甘くはない。2010年4月現在、創価学会第三代会長池田大作の年齢82歳。後10年生きていけるかどうかは相当微妙である。そして、80を越えた老人が、死ぬまで教団の舵取りを行っていけるかどうかも微妙な話である。一国の政治に大きく関わり、なおかつ当たり前すぎてどうしようもない話なのに、誰も騒ごうとしないのはどうしてだろう?同じように、76歳の今上天皇が根性で長生きしたとしても、残り15年が限界と見るのが妥当である。

このように、未来計画表には誰しもが当たり前であると思っているにも関わらずに思考停止に陥っている事実を、ごく淡々と書き込むだけの勇気が必要になる場合もある。

他にも、世界的なビッグネームで言うならば、91歳のネルソン・マンデラはすでに導火線に火がついており、98歳のヴォー・グエン・ザップにいたっては、生きていること自体が奇跡。そして、この手の話は別に老人だけの話ではなく、今を生きている人間全てに当てはまる。未来計画表に後100年生きると書けるような人間はいない。そして、後50年たてば、今を生きる若者もほとんどが死ぬ一歩手前、後30年と見繕っても、大体の中高年は死期を迎えている。

当たり前の話である

結局のところ、人の生死について計画された未来というものに、ずっと生きててほしいなどという甘い考えが通用するはずはない。当たり前すぎる話である。

歴史には区切りがある[編集]

2010年現在、第一次世界大戦に従軍した人間はギリギリ世界に存在している。ただし、108歳以上は確実で、1914年の開戦直後に兵士だった人間がもしも生きていたら、最低112歳である。多分、いない。同じように、第二次大戦に一番下っ端で従軍した水木しげるがすでに88歳、ベトナム戦争で捕虜になった経験を持つアメリカの政治家ジョン・マケインも74歳、ドリフターズで一番若かった志村けんも60歳である。このように、大きな戦乱や事件、事故、災害、芸能活動にいたるまで、当事者の記憶や当時の記録、果てはその時代の空気といったものすべてが、いずれは過去のものになる。

ごく当然の話である。あったりまえの話である。

そのため、未来計画表では、いつごろから人々の記憶からそれらの存在が風化しはじめるか、もしくは消え去るかについても、明確に記載することができる。ようは当事者が死ねば消える、大変分かりやすい上に記載するのになんの抵抗もない。あああたたたりりり前すぎて。たとえば、2010年は、1912年明治時代が終わってから98年になる。つまり、すでに日本の中に明治時代生まれの人間がほとんど存在していないことを意味している。後10年でほぼ死滅すると思っていい。似たような話で、1923年に発生した関東大震災の当事者もそろそろ危険水域に入っている。誰も何も言わないけれど、まぁ、消えるものは消える。仕方のない話である。ただし、そういった人々は当たり前のように江戸時代に生まれ、江戸時代の常識に通じた人々に接しており、ン千、ン万人が死亡した現場の空気を理解し、日本全国を大爆笑の渦に巻き込んだ事実に生きたという話である。

で、後になって聞いておけばよかった、などとトチ狂った話が出てくるものよくある話。そんな時代、ぬぐいがたい事実への架け橋が寿命で落ちれば、向こう側なんざ誰だってワカラナイ。風の前の塵に同じ。The Times They Are A-Changin.

人類には代わらない愚かさがある[編集]

なお、このように、過去の計画表からさかのぼって現在を把握する技術に長けるようになると、二度あることは三度ある、もしくは、天災は忘れたころにやってくる、といったどうしようもない現実を思い知ることになる。実際、第一次大戦で湧き上がった世界的平和の機運がたった20年で潰え、第二次大戦から20年せずにベトナム戦争に突入するぐらいならまだよくある話の範疇なのだけれど、関東大震災で問題となった住居の耐震性の問題は、70年後の阪神大震災でもまったく同じように問題となり、ドリフターズが所属したナベプロで問題だった所属芸能人の超ごり押しは、なんら変わらずにジャニーズも吉本も引き継いでいる。

人間はそう簡単には変わらない。この現実は、様々な発見や技術の進歩、負の遺産で打ち消されるように思えてしまうが、残念ながら、どうあがいたところで、変わらないものは変わらない。未来計画表を書く際にできるだけ事実を書き込み、希望と期待を捨て去れば、どうしようもなく変わらない未来もまた如実に現れる。

これは、国民性で語れば手っ取り早い。たとえば、イギリスの料理が150年前の産業革命の時代から不味いことで有名であり、その後もまったく変化のへの字もないままである以上、これから先もまず美味くはならないだろうという結論を得ることが可能である。未来の話であるのに、過去の時点で結論を持ち出すのは本当に愚かである。本当に愚かであるのだけれど、イギリス料理に合わせて、ロシアウォッカ消費量についても語るならば、いくら未来といえども、過去の段階ですでにどうしようもないものが存在することも事実である。実際、両国の食文化、酒文化については、もはや国家滅亡以外改善の余地がないことも明白である。

むしろ、国家が滅亡してもイギリス料理は不味く、ロシアのウォッカ消費量が増え続ける気がする。

もっとも、こういう一面を楽しまなかったら、過ぎ去った時代に描かれた未来なんざ、今見てなんとも面白くない。

歴史とは、あまりない事態の積み重ねである[編集]

人類の歴史は有能な人間が有能な働きをしてここまで積み重なったと思っているようならシヴィライゼーションのやりすぎである。その反対側で、無能な人間たちが積み重ねを破壊しつくさなかったら、人類はとっくの昔にアルファ・ケンタウリに到達している。そのため、過去から現在を読むのと同様に、現在から未来を予測、計画するには、この両者の攻防を抜きには考えられない。

たとえば、19世紀に世界一の軍事力に経済力、そして外交力を保持していた大英帝国がなぜ没落していったか。ここで有能な人間を思い浮かべて説明できるなら世の中苦労しない。ひとえに、イギリスの皮をかぶった無能が本国との距離を失念し、ボーア戦争などの無意味な対外拡張行動に突っ走った結果である。

もちろん、有識者は全員止めていた。にもかかわらず、結局、無能に振り回される形で有能な人間の有益な時間と国家の余力を消費していく。これが一箇所ならいざ知らず、そこらじゅうで似たような事態が発生しまくれば、大英帝国中の有能な人間を集めても世界の情報を把握しきれなくなることは規定路線だった。また世界一と言われた経済も、内需が頭打ちのまま、無能な連中が対外交易の数字のみを巨大化させ続けた結果、世界情勢の混乱の波をもろにかぶることになる。そんな中でアメリカが急速に台頭、最終的に1914年の第一次世界大戦が勃発、4年に及ぶ消耗戦の結果、大英帝国の経済は壊滅状態に陥ることになる。

このような形で、世界一の帝国を支えた有能な人間が世界一を維持するため、未来に災いを残さないよう未来の計画を立てる傍で、無能な連中が禍根を雪だるま式に膨らませながら大博打を打ちつづけたのが20世紀初頭の大英帝国の姿である。

100年後にアメリカまっっっったく同じ道を辿るんだなあ、これが。

基本的に、有能な人間と無能な人間の差は、未来計画表で判断することができる。有能な人間は想定外の事態が起きた計画を想定内に引き戻すことができる。しかし、無能な人間は、想定内と思われた計画から想定外の事態の連鎖を引き起こす。もちろん、ちゃんとした計画をたてていれば対応はできるのだけれど、無能はその対応せねばならない事態すら考慮せずに計画を立てたつもりになっている。セルビアの銃弾もバグダッドの略奪も、識者は随分と警告していたにも関わらず。

このように、有能な人間たちの歴史はまず計画通りであるためあまり歴史の表に現れない、にも関わらず、無能な人間は数百ページを歴史書に刻むことになる。想定外の事態が起こりすぎて。あわせて、英雄と呼ばれる人間がどうして歴史書に名を刻むかといえば、無能な人間、無能な前任者、さらには無能な隣国などを後始末在庫一掃し、彼らの計画表を丸ごと書き直させるためである。それは別名、民族の歴史書、かもしれない。このような視点で今、世界でどんな計画表が書かれ、修正され、実行されているかを観察し続けていくと、存分に無能とはどういったものであるかを楽しむことが出来る。

楽しむことができる。

本当に、楽しむことができる。

世界には決定している事項がある[編集]

そもそも、世界的なイベントや選挙といったものには、数年前から日付が決まっているものがほとんどである。たとえば、2012年に行われるロンドンオリンピックや、同年に行われるアメリカ大統領選挙といった国際的に見ても大きなイベントにあわせて、世界の耳目が動くのは、予測も計画も関係なく決定事項な話である。世間はなかなかそれに気づこうとしないけれど、株式市場や先物取引といった世界では、数年先の大規模イベントは予約で一杯、むしろその可能性が語られた段階で動き始めないとほぼ手遅れである。しかし、マスメディアではそういった情報を抑制することが常識である。なぜなら、企画屋が企画倒れを恐れるのは至極当然の話であり、大規模イベントほど当たりハズレが激しいのが常識であるため、治安ド最悪の南アフリカW杯をまったく盛り上げなかったり、逆に、当たれば見返りのでかい韓国の平昌オリンピックに向けた青田買いを推し進めるのは企画屋としてごく当然である。

ただし、世界中の企画屋がしのぎを削る中で、一ヶ所にしか焦点を当てないのはアホであり、企画屋の限界でもある。株屋は、先物買いの際に自らの予測の逆にも投資するのが常識であり、一方向にのみ光を当てすぎては、返って損失を大きくする結果にしかならない。

失敗から何も学べない世界に成功はない

関連項目[編集]