桜田門外の変

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桜田門外の変とは、1860年に江戸城の直ぐ外で幕府の実力者がリンチされた事件である。この事件により日本の治安が相当悪化していることが内外に知れ渡ったことにより、日本恥晒しの日とも呼ばれる。

経緯[編集]

安政5年(1858年)、大老に就任した彦根藩主・井伊直弼は、5年前の1853年にマシュー・ペリーが黒船から叫んだ「か~いこ~くしてくださいよ~、さもーなくーばあーせんそーしろー」という言葉に怯えていた。具体的には自身の不正疑惑がバレることを恐れていた。ペリーは井伊などという東国の小物に興味は無かったのだが、井伊は一方的に勘違いした。

ペリーによって悪事を暴かれる事を(勝手に)恐れた井伊は、高橋多一郎・金子孫二郎・有村次左衛門・日下部伊三治などに罪をなすりつけ、密告し、ペリーにこれらの人物を引き渡した。ペリーは何の話だか良く分からなかったが、とりあえず4人をアメリカで尻百叩きの刑などに処した。

水戸藩士たちは井伊の所業にぶち切れ、井伊大老襲撃を誓い、待ち伏せをした。

襲撃[編集]

1860年3月3日、江戸城への登城中に水戸浪士の集団リンチを受け、直弼は倒れた。井伊は「井伊は死すとも自由は死せず」などとカッコいいことを言おうとしたが、情けないことに「たすけてくれ」としか言えなかった。当日は季節はずれの豪雪であり、深く雪が積っていた。逃げようとした直弼だったが、雪で足を撮られてしまい、全く動けない状態になってしまった。身動きがとれない直弼にすかさず水戸浪士達は殴る蹴るの暴行を加え謝罪と賠償を要求したが、井伊は「だって捕まるの嫌ですやん」と最後まで謝ることはなかったという。遠くから見物していた町人達は「へっ、汚ねぇ花火だ!」と罵った。

逸話[編集]

それ以来その場所は記念地となり、観光スポットなどで紹介されている。このような恥さらしを美談としてすり替え、金稼ぎに使うのは金稼ぎの常套手段であり、暮らしの知恵である。

関連人物[編集]

  • 井伊掃部頭直弼(大老。彦根藩35万石藩主。集団リンチされ、不正もバレ逮捕。)
  • 岩崎徳之進重光(伊賀奉行。負傷、近くにいただけで巻き添えを喰って殴られる。)

襲撃に関与[編集]

関連項目[編集]