甘露の変

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甘露の変(かんろのへん)とは、甘い蜜に誘われてやってきた宦官たちを、一網打尽にするはずだった計画である。

概要[編集]

中国は代、文宗皇帝の時代。唐代は中頃から宦官が政治の中枢にはびこるようになり、この時代にはあらゆる政務を壟断しその勢いは抑えようがない状況であった。なにしろ文宗皇帝自身が宦官王守澄に擁立されて皇帝になったので、王守澄に率いられた宦官勢力は、皇帝の権威をかさにきてやりたい放題をしていた。しかし文宗は決してこの状況に満足しておらず、密かに宦官打倒の念を強めていた。

そこでまず文宗は、官僚の李訓鄭注らと図り、有力な宦官であった仇士良を王守澄と争わせ、ついには王守澄を追い込んで抹殺することに成功した。そして今度は残った仇士良を潰そうというのだが、彼らは王守澄の葬式に仇士良らの有力な宦官を集め、そこに兵をやって皆殺しにするという計画を立てた。

ところが、今度はその李訓と鄭注が、誰に仕向けられたのでもなく仲間割れを起こし、李訓は鄭注が功績を独り占めするのではないかと疑い始めた。功績を焦る彼は単独での行動を起こす。彼は王守澄の葬式を待たずに、宮殿の庭に甘い蜜(甘露)が降ってきたと偽って宦官を集め、そこを宦官皆殺しの舞台にしようと考えたのである。しかし残念ながら、彼のやり方は甘かった。蜜よりもずっとずっと甘かった。

李訓の計画の当日、その意を受けた将軍の韓約により、手筈通りに報告が行われた。周囲に兵士を隠し、準備は万全であるかに見えた。さっそく宦官たちが見物に訪れたが、仇士良の鼻は甘露の甘い香りではなく、別の臭いを嗅ぎとった。彼は甘露の代わりに、汗をたらたら流して震えている韓約を見つけて、全てを察知した。彼はすぐに文宗を拉致して脱出すると、皇帝を詰問して彼らの陰謀を白状させ、計画は失敗に終わって李訓や鄭注らは処刑されてしまった。

その後、宦官勢力の力はますます大きくなり、文宗は「今や下僕の言いなりか…」と嘆きながら死んでいった。

失敗の原因[編集]

この事件を振り返って、ある人が言った。

「李訓らは、仇士良と王守澄を争わせて彼らを手玉に取っていたつもりが、自分たちの方で分裂を起こし、すべてを台無しにしてしまった。権力を求め、他人と争うのは宦官も官僚も変わらないのだ。」

だが、宦官には常人と違うところもある。

「宦官はハニー・トラップには引っかからない」

関連項目[編集]