的を得る

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的を得る(まと-え-)は、近年「的を射る」に代わってよく使われるようになった表現である。国語辞典にはこの項目はなく、慣用句の有名な誤解の例としてよく紹介されるが、実は複数の故事にちなんだ正しい表現である。以下に主な故事を紹介し解説する。

那須与一が的を得ること[編集]

『平家物語』より原文[編集]

与一、かぶらを取つてつがひ、よつぴいてひやうど放つ。小兵といふぢやう、十二束三伏、弓は強し、浦響くほど長鳴りして、あやまたず扇の要ぎは一寸ばかりおいて、ひいふつとぞ射切つたる。かぶらは海へ入りければ、扇は空へぞ上がりける。しばしは虚空にひらめきけるが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさつとぞ散つたりける。

夕日のかかやいたるに、みな紅の扇の日出だしたるが、白波の上に漂ひ、浮きぬ沈みぬ揺られければ、沖には平家、ふなばたをたたいて感じたり、陸には源氏、えびらをたたいてどよめきけり。

あまりのおもしろさに、感に堪へざるにやとおぼしくて、舟のうちより、年五十ばかりなる男の、黒革をどしの鎧着て、白柄の長刀持つたるが、扇立てたりける所に立つて舞ひしめたり。

伊勢三郎義盛、与一が後ろへ歩ませ寄って、「御定ぞ、つかまつれ。」と言ひければ、今度は中差取つてうちくはせ、よつぴいて、しや頸の骨をひやうふつと射て、舟底へ逆さまに射倒す。平家の方には音もせず、源氏の方にはまたえびらをたたいてどよめきけり。

解説[編集]

1185年の屋島の合戦でのこと。平氏軍は、小舟の上で揺れる竿の先についたの要を射てみよと源氏を挑発する。弓の名手である那須与一は、義経の命を受けてこの難題に挑み、見事やってのける。与一の鮮やかな手腕に源平ともに色めきたち、お祭り騒ぎとなる。平氏の一人である、長刀を持ったオッサンが浮かれて踊り出す。

与一が「的を得た」のはこの時である。上司に背後から「あれ討ってみ」と命令された彼は、躊躇することなく第二の矢をつがえ、平氏のオッサンのあごを華麗に狙撃する。

バカ騒ぎという状況を利用して、那須与一はよりいっそう名を上げることができた。この出来事は源氏の士気を高め、その後の戦況にも少なからず影響した。

ヴィルヘルム・テルが的を得ること[編集]

ヴィルヘルム・テルは14世紀スイスにおける弓の名手である。彼はオーストリア人の悪代官ゲスラーの怒りをかって逮捕され、釈放される代わりに、愛する息子の頭の上に載せたリンゴを射るよう強いられる。テルはそれを成功させるが、もし失敗して息子を死なせた時は、第二の矢でゲスラーを殺すつもりだった。その意図を知ったゲスラーは約束を破って彼をしょっぴこうとする。

テルが「的を得た」のはこの時である。

ゲスラーの行為の正当性が完璧に失われたこの瞬間を狙って、テルはこの悪代官を第二の矢でもって射殺。彼の英雄的な行為はそれまで虐げられてきたスイス人の闘志に火をつけ、スイスのオーストリアからの独立のきっかけとなった。

「的を得る」文化[編集]

現代にいたるまで人々は那須与一やヴィルヘルム・テルにあこがれて、「的を得る」機会を待っている。例えば、大物政治家と「不適切な関係」をもっていた女性が現れたとき。大企業の社長の脱税が発覚したとき。ベストセラー作家のゴーストライターが名乗り出たとき。人気タレントの息子がはめを外しすぎたとき。なんであれ見つかったとたん皆がわれさきにと的に飛びつき、徹底的に攻撃する。そしてある時期を境にさあっとひきあげて次を待つのである。

マスコミが精力的に手伝ってくれるので、毎日のように的が見つかるが、数が多いぶん得るものは昔より少ない。それにうすうす気づきながらも我々は的探しをやめようとしない。的をじっくり観察して判断しようとも、なかなか思わない。「的を得る」ことは長い歴史を持つ文化であり、「的を得たい」という欲求は世界中の人々のDNAにしみついているのである。

関連項目[編集]

Wikipedia
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