石川浩司

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石川 浩司(いしかわこうじ、1961年7月3日-)は、日本のシンガーソングライター、パフォーマー、空き缶収集家、変人。音楽バンドの「たま」に属していた。

生い立ち[編集]

キャリア官僚の父と、皇后陛下の御学友である母のもとに生まれる。とはいえ、石川のその後の人生に、そんな上流階級的な要素はまるでない。

小学生の頃は虚弱体質で、体育の時間はみんなと同じ動きができないほど鈍臭く、図工の時間には自分の左手に彫刻刀で4箇所くらい穴を作って血だらけになるほどの不器用で、人前では小声で喋ることすらできなかった。それでも動ける時間が限られているのでその時は思う存分好きな事をやる、というポジティブな性格だったことが幸いした。

石川の破天荒ぶりは中学生の頃からその片鱗を見せる。彼はその半生を「『たま』という船に乗っていた」という本にまとめており、19歳で上京して以降の話を読むことができるのだが、上京以前の話は、本の主題ではないからということで、

  • 中学時代は「日本一の観光パンフレット少年」としておこずかいをすべて葉書に変えて日本全国の市町村役場観光課に「観光パンフレット送って下さい」と書いて家中を観光パンフレットで埋めつくしてみたり、
  • 高校時代は庄司としおの「サイクル野郎」という漫画に感化されて群馬から徳島までひとりでサイクリングに行き交通事故に遇い股間を強打、静脈破裂して見た目キャンタマ袋が3つになったかのようなすこぶる贅沢な経験したり
  • 一番初めの表現活動といえば、中学の時に詩を書いて当時住んでいた群馬県前橋市の広報紙で「市民の歌募集」というのに応募してみたら何故か選ばれてしまい、あれよあれよと一大オーケストラがついて俺の書いた詩が大ホールで格調高く声楽家さん達によって歌われ歌唱指導までされたのが、最初に俺が世間に認められたものだった。ま、もっとも詩の内容は、「♪駅前で拾った新聞読んでるおじさん/そんなおじさんにも夢はあるのさ~」ってなものだった
  • サンをつけろよデコ助野郎で有名な芸能山城組にも所属していたが、太鼓の叩き方だけ教わってすぐ辞めた。

といった、もうそれだけで存在感抜群のエピソードも冒頭でさらーっと流しているほどである。

たま[編集]

その後、音楽バンド「たま」を結成して世に認められたという話は、前述の「『たま』という船に乗っていた」を読むのが一番早い。正直、並みのアンサイクロペディアンでは歯が立たないほどのぶっ飛んだ文章が目白押しなので(しかも全部実話である!)、ここで詳しく紹介する必要はないだろう。とはいえ、石川がもっとも輝いた瞬間の話だけはしておかなければならない。

石川は知久寿焼らと「たま」を結成し、地道な音楽活動を続け、そこそこライブハウス等でも客が入るようになっていた。その頃TBSでは「三宅裕司のいかすバンド天国」(通称、イカ天)が話題となっていた。このイカ天は、毎週10組のアマチュアバンドが出場し、勝ち残った1組がチャンピオンと対決するという趣向の番組であり、実力があっても市場受け無視の尖ったバンドが次から次へ出てきていた。そのイカ天の全盛期に「たま」が出場したのである。

イカ天では、山下清を彷彿とさせる石川の個性的な容姿と、キノコのような髪型でチャンチャンコに下駄履き姿の知久、さらにキャッチフレーズの“かなしい気持ちはとっても不安定”を体現するかのような楽曲「らんちう」で、イカ天登場バンドの中でも強烈なインパクトを与えた。

そしてイカ天2週目には後に最大のヒット作となる「さよなら人類」を歌った。石川は太鼓のほかに湯桶やなどを打楽器として使い、「♪今日人類がはじめて木星についたよ」のあとには突然「ついたーーー!!!」と叫ぶ。自由すぎる。それでいて高いクオリティ。視聴者はあっけにとられたのである。

その後、マルコシアス・バンプとの伝説の一戦を制し、1990年にメジャーデビューした。「たま」はいか天の象徴的な存在となり、「たま現象」と呼ばれるほどの人気を博した。日本でこれ以降、これほどぶっ飛んだバンドはいまだ登場しておらず、1990年代ヒット曲総集編のような番組でも、「たま」、とりわけ石川だけは異様な存在感を放っている。

イカ天後の活動[編集]

社会現象となった後も「たま」はライブハウス等を中心に活動を続けたが、2003年に解散した。しかし石川は音楽は続け、素人企画でも休日で5万円ぽっきりで駆けつける「出前ライブ」などを続ける。ただの演奏だけでなく、即興ガラクタパーカッション、大喜利なぞなぞ大会など、大抵の企画は受け付けており、廃校の教室、富士山六合目、プロレスのリングなどでも出演している。落ち目ミュージシャンのなりふり構わぬ日銭稼ぎかと思いきや、ヨーロッパ公演ではフランスの「ル・モンド」に好意的に紹介されたり、謎の高評価を保ち続けている。

2000年には「ニヒル牛」というアートギャラリー雑貨店を開く。店内は200ほどの小さな小さな区画に分かれており、個人作家が作った作品を置くスペースとして提供している。石川の変な収集癖(後述)が高じて、面白いものは自分の店に集めてしまおう、というわけではなく、成長途上の無名の美術家に作品を発表する場所を提供するという、真面目なコンセプトであった。当時はとても珍しいこの形態はたちまち注目され、NHKを含む各放送局に取り上げられている。もっとも、店内に入るとそこはカオス、だけど結構クオリティが高く、妙に惹き付けられるものがある、という石川そのもののような雑貨店である。

2012年には大林宣彦監督に請われて山下清役で出演。大林は、坊主頭で小太り体形にランニング姿の山下清といえば、石川しか思いつかなかったようで、ここでも謎の存在感を示している。

趣味のコレクション[編集]

石川は普段はぐーたらするのが好きなようであるが、趣味の収集癖もなかなかのものである。冒頭に紹介したように、中学生の頃には全国の観光パンフレットを収集。「たま」時代から始めた空き缶の収集は、いまや3万種以上に及び、海外の珍しい缶も多数所有している。しまいには「懐かしの空き缶大図鑑」という本を出版するほど。

このほかにも多数の収集趣味がある。石川のホームページひとりでアッハッハーでは、レトロなカルタマスクのパッケージ、納豆のパッケージ、飛び出し坊やの写真、「ライスカレー」を出す店、などの変わったコレクションを披露している。しかも、例えばレトロなカルタと一口に言っても

  • アクションかるた……り:りんちをくわえる暴力団、ぬ:ぬれぎぬきせられ、無罪を叫ぶ
  • 世界冒険かるた……る:るいなき恐竜ボートを襲う、き:きせんを制して土人を撃破
  • 南極観測隊かるた……ふ:ふねのデッキでゆっくりひるね、な:ならんでいわうクリスマス

といった感じで、ツッコミどころ満載なものを厳選して紹介しているのには恐れ入る。

ちなみにホームページは、ほぼ全裸の変態写真を含めた自身の写真を多数掲載したり、自分の日常を毎日出題するクイズ企画を続けていたりといったものも含めて、ディープでかつ物凄い量のコンテンツがある。

石川は基本的に自分が集める方だが、ファーストキスだけはキスコレクターに奪われている。女友達との帰り道にしたファーストキス、その後特に発展するわけでもなく悶々と過ごした1か月後、「石川君とのキスは10人目。いまは20人を超えたの。フフッ」と言われたようである。ただの変人ではなく、こんな甘酸っぱい思い出もあるのだ。

これからの石川[編集]

石川は、「たま」という過去の栄光に固執しない。これからもライブハウスで好きな音楽を続け、ニヒル牛でカオスな美術作品群に囲まれながらアーティストを応援し、妙な趣味を楽しむことだろう。そして普段はきっと、ぐーたらしているに違いない。

いや、きっとぐーたらというのは謙遜で、時間のある時はウヒョウヒョヒョヒョッ!と言いながらファン一人一人の悩みに乗ったりしているかもしれない。

やはり「たま」は凄い[編集]

ここまで事実しか書いてきていない。ユーモアある文章で石川を面白おかしく紹介しようと思っても、そもそも彼自身が頭のてっぺんから足の先まで斜め上の魅力を放ち続けているので、アンサイクロペディア的にはどうにも具合が悪い。だから本記事では、淡々と紹介することにした。


本記事では、「たま」のメンバーの一人である石川を紹介してきたが、「たま」はその全員が長く音楽活動を続けており、そして全員が石川に負けず劣らず個性的である。そんな4人が集まった。「たま」は凄い!まったくアンサイクロペディアン泣かせのバンドだったのである。