草枕

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草枕(くさまくら)とは、アンサイクロペディアのあり方を予言した書籍。一般には、夏目漱石が1906年(明治39年)に発表した小説として知られている。まず、有名な余りにも有名な冒頭文を示し、次に解説を行う。

冒頭文[編集]

青空文庫からの引用[1]を以下に示す。

山路を登りながら、こう考えた。

に働けばが立つ。に棹させばされる。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世住みにくい

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、が生れて、が出来る。

人の世を作ったものはでもなければでもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう

解説[編集]

タイトルの『草枕』とは、夏目漱石(金之助)が挫折し、「葉の陰でを濡らして泣いた」過去に由来するとも言われる。

夏目にとって、1900-1902年(明治33-35年)のイギリス留学は精神的な苦痛を伴う苦行であった。その終わりの時期には、日本の文部省に「夏目金之助発狂」という噂さえ流れたほどの神経衰弱に陥り、彼の人生にトラウマを残した。彼は、帰国後に英語講師として第一高等学校などで教鞭を執るも、前任者である小泉八雲を慕う学生が多く、人気がなかった。それに加えて、夏目に叱責されてあてつけに自殺した学生(藤村操)が残した遺書(巌頭之感)が非常に有名となり、夏目自身が自分の無能さを思い知ることとなる。かくて、夏目は二重三重に心に傷を負い、彼の専門である英語(英文学)およびその背景としてある西洋文明というものに懐疑的になったとされる。

草枕で主人公に託して展開される芸術論は、「西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。(中略) 地面の上を馳けてあるいて、銭の勘定を忘れるひまがない。」「うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。(中略) すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。」[1]と、西洋文明を痛烈に批判し、東洋文明の優位性を説いている。

アンサイクロペディアとの関連[編集]

東洋文明と西洋文明の関係を、「東洋=本事典、西洋=頭が固い事典(以下では石頭と表記する)」の比喩として受け止めると、夏目漱石の慧眼が理解できるであろう。石頭は、純粋な知的好奇心を満足させるために構築されているのではなく、石頭財団に寄付金をかき集める目的で運営されていることは周知の事実である。それに対して、本事典は、多くの人々に「すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳」をもたらしていることに異論をもつ人は少ないであろう。

改めて言うが、本事典プロジェクト開設の約100年前に、このような素晴らしい考察を本事典利用者のために残した夏目漱石の功績は測り切れないであろう。なお、本事典プロジェクトにも非人情な部分が、わずかながら存在する。それについても、『草枕』の冒頭文を良く理解した読者であれば、草枕の世界観と本事典プロジェクトのコミュニティーとの類似性に、驚嘆の念を懐くに違いない。


とある人間の考察......?[編集]

『住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画ができる。』

この文の『安い所』を、我等がアンサイクロペディアとして見てみよう。

現実が嫌になったから、アンサイクロペディアへ逃げた。現実なんて皆住みにくいんだ。そう悟った時、ユーモアが生れて、新たな面白い記事が出来る。

と、解釈する事も出来る。『草枕』の連載が開始されたのが、明治三十九年(1906年)9月で、今私が編集しているのが、平成三十年(2018年)2月28日であるから、じつに百一年と五ヶ月前に、漱石はこのアンサイクロペディアの一種の仕組みを書いていた事には、只々感服せざるを得ない。

引用[編集]

  1. ^ a b 草枕


媚を売ってみる 吾輩は子猫である。内容はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。こんな吾輩を育てて欲しい。 (Portal:スタブ)