虫姫さま

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虫姫さま』(むしひめさま)とは、日本の平安時代に成立した物語。作者は池田刑部(いけだのぎょうぶ)。

短編が堤中納言物語に収録されている他、加筆され独立編纂された版も存在する。内容にはグロテスクな表現を含み、伝奇小説にも分類される。

続編として執筆された『虫姫さま ふたり』、関連作品である『虫姫たま』についても本稿で触れる。

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あらすじ[編集]

星降里(ほしふりのさと)には大切に育てられている姫君がいた。この姫君は大変可愛らしく体つきも豊満であったが、精神的に幼い面があり下着も身につけないという風変わりなところがあった。中でも奇特であったのが、人々が忌み嫌うようなたちをこよなく愛したことである。

ある日のこと、姫君の噂を聞きつけたとある高貴な生まれの青年が、その姿を一目見ようと邸宅を覗き見る。噂通りの姿に多少面食らいながらも心惹かれた青年は、を残して帰って行った。

次の代は 君のものとぞ あらまほしき あたはざるなど あろうものかは

歌を受け取った姫君は、青年を追って森の中へと入っていく。そのころ里では疫病が流行っていたが、どうでもよかった

砕かれて 人の命は ちりぬれど さることよりは 君に逢ひたし

作者の詳細[編集]

池田刑部(1077年 – 没年不詳)は刑部省の役人である傍ら、執筆活動を行っていた。罪人を裁く役職にあった彼には少なからず加虐嗜好があり、「人は皆 刑部の下に 屈すべし 抗ふものは 死ぬこそよけれ」という歌に端的に表れている。

一方で、池田は虫を愛し、を飼い慣らしていたという一面があった。このことから、『虫姫さま』の姫君とその父親のモデルは、他ならぬ池田父娘であると言われている。

池田はこのあと刑部省内で昇進して要職に携わるようになるが、『死笑顔 地獄の灌仏会』など、精力的に執筆活動を続けている。

異なる版の存在[編集]

この作品には、あらすじは同じものの、表現や記述量が大きく異なる複数のパターンがある。作者はいずれも池田刑部であり、なぜこのようなことを行ったのかが研究・論争の焦点となっている。

原書
「堤中納言物語」に収録されている短編。1113年成立。描写が簡潔で手に取りやすいが、その反面で中盤から終盤にかけて展開が急になるという批判もある。この短編をオリジナルとして、以下の別本が執筆されたというのが長年の定説であった。
愛蔵版
原書に比べ、文章量が大幅に増えた版。同じく1113年ころ成立。主にグロテスクな描写に文字数があてがわれており、読者を選ぶようなマニアックさがしばしば指摘される。
超越版
愛蔵版をはるかに超える圧倒的な文章量を誇る版。あまりにも文字数が多いため、最初から最後まで通して読んだ者は極めて少ないと言われる。が、「晒しな日記」の著者である汝管原孝標女笑笑戯画などによって紹介されたため、ラストシーンだけ知っているという読者は多い。

成立経緯に関わる諸説[編集]

本作品は、大額なる東書令の役人が記した「昇乱華(のぼらんか)」という説話を翻案したものといわれる。

この説話は猿楽舞の筋立てを記述したものであり、般若面を被った蜘蛛の化身であるを、天道虫文様の甲冑を身に着けた武者が討伐するという、猿楽にはよくある筋立てであるが、本作はこれを大幅に翻案しており、昆虫を題材にしているという事、森を舞台にしている事以外に、両者に共通点はほとんど見出せない。

先に述べたとおり、この作品はまず短編として執筆され、それに加筆修正するかたちで後の版が制作されていったというのが定説であった。

しかしこの説に対して、「加筆されていったと言うには、各版の完成時期にほとんど差がない」という問題点は常に指摘されていた。さらに、作者の作風としては「愛蔵版」のそれが普通であり、短編の「原書」は、一般人には受け入れやすいものではあるが、むしろ異端と言えるものである。

以上より、「愛蔵版」こそが原本であり、「原書」は一般向けを狙って同時に用意されたものであるという説が注目を集めている。

「超越版」については、作者が発狂していたという説が鉄板。

超越版に関しての俗説[編集]

超越版に関して以下のような俗説がある。

原書、愛蔵版、超越版は同時に発表され、それらの底本は全国に数百本存在していた。その底本は表向きは原書と愛蔵版の2巻しか存在していなかったようである。しかし、その両方の巻物の本紙の下に超越版が隠されてあった。偶然にもその超越版の存在を知った者はこの超越版を貸し出すことにし、一時の間、その近辺は騒然となっていたらしい。
後に池田刑部は意図的に超越版を隠していたことを認め、全国の底本から超越版が取り出されることになった。
底本以降の写本はそれらをすべて1つにまとめたものである。

これらの俗説は九条河原の落書をまとめたものである。信憑性は怪しいのだが、寓話であると一笑に付すには文献が足りず否定しきれない。

虫姫さま ふたり[編集]

1115年ころに成立した、虫姫さまの続編。前作で青年と出会った姫君が、今度は青年の弟君と共に旅をするというストーリー。存在を示唆する文献はあったが、原本自体は江戸時代まで発見されておらず、それまでは「姫君が半陰陽になる、アブノーマルな話」であるとされていた。

前作と同じく「原書」「愛蔵版」「超越版」がほぼ同時期に執筆されているが、さらに今回においては書き直しが行われたらしく、上記の各3篇に対してそれぞれ旧版・新版が存在する。旧版で急坂を転げ落ちるような展開であったものを、審判して新版を作ったものと思われる。これでも満足がいかなかったのか、1116年末には極弩(ごっど)版と呼ばれる最終バージョンを刊行。極めて激しく、かつ派手に、弩級のハッタリに溢れたこの本は、表紙の色から黒本と呼ばれることもある。

虫姫たま[編集]

宇治拾遺物語』に収録されている短編。池田刑部に近しかった者が執筆に関わっていると見られており、前2作との関連性は強くない。

内容は、姫君が幼かった時代の話。姫君が森の中でうたた寝をしていると、まわりで虫たちが樹液アメを食べ始めたことに気づく。いま起き上がれば「アメが目当てで目を覚ましたのだろう」と思われて決まりが悪いので、起こしてくれるのを待っていたが、なかなか思うようにいかない。業を煮やした姫君は、虫たちに爆弾を投げつける。すわ大喧嘩かと思われたところで、姫君は胡蝶に戻る

本作は虫姫さまの関連作というよりも、文部省唱歌の一つとして人々に親しまれている。

近代における研究・注釈書[編集]

江戸時代、台東藩の国策により、独自のアレンジが加えられた編纂が行われた。しかし完成度については必ずしも高いとは言えないことも無きにしもあらざるを得ない。なお、台東藩がこの後に宗教戦争に巻き込まれて滅亡したため、現在では原書以上に入手が難しいものとなっている。

明治時代に入ると、西洋文学者である浅田誠による研究がめざましい。浅田による研究書には本作に膨大な注釈がつけられている他、西洋との融合をみた本作は貴重な資料として扱われている。

浅田誠が西洋文学者として引退後、翻訳家である出路華により再び浅田による研究書が編纂される。今現在入手が一番容易なのはこの版である。

韓国語版 虫姫さま ふたり[編集]

明治時代以降に日本の支配下となった韓国においてハングル翻訳された虫姫さまがベストセラーになっていた。(このとき翻訳されたのは超越版であるといわれている)しかし、年代の経過によってストーリーと登場人物が改変されていき、日本で知られている虫姫さまとは別物の存在となってしまった。そして、2人の人物によってそれぞれ起源が主張されている。

まず、日本の研究者の間で超絶戦闘版と呼ばれているものがある。その話の大筋は、青年と出会った姫君が、青年の弟君や姫君のいとこや友人、青年の弟君の兄が入り乱れて「虫狩り」という競技で対決し、虫姫(青年の弟君はムシキング)という称号を目指すというお話である。しかし「虫狩り」とは名ばかりな競技で、先に虫に狩られたほうが負けという恐ろしい競技である。また、虫たちは甲羅のように硬くそして巨大であり、容赦のない攻撃を仕掛けてくる。

もう一人の作者によるものは黄金版と呼ばれる。しかしその話は超絶戦闘版から「虫狩り」という要素を除いただけのものでしかなかった。しかし虫たちは甲羅のように硬くそして巨大であり、容赦のない攻撃を仕掛けてくるという部分はまったく同一であり、純粋な陵辱物とされている。

当然、これらの話は黒歴史とされているため、韓国語版の研究者はろくにいない。

関連項目[編集]