腹水盆に帰らず

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腹水盆に帰らず(ふくすいぼん-かえ-)とは、起きてしまった事は取り返しが付かないという喩え。

概要[編集]

腹水とはたんぱく質を含んだ体液が腹部に溜まった状態で、いわば人体の配管不良による漏水である。自覚症状がない軽度の場合は貯留分をカテーテルなどで排水すれば済むが、量が増えると内臓を圧迫する事で全身症状が急速に進んで手の付けようが無くなってしまう。仮に年明け辺りに腹水を自覚した場合、これを放置すると盆頃には手遅れになるとされており、この目安として「腹水盆に帰らず」と俗に言うのである。また江戸時代までの日本では、腹水が溜まるというのは富裕層特有のものと思われており[1]、富裕層を揶揄するように「不心得者だから悪い病気になった」とし「不心得故に地獄に落ちて、盆にも帰ってこられない」という意味合いを持たせる場合もあった。

ちなみに医学が進歩していない中世社会では、世界的にもこういった腹水の恐ろしさを語る諺が多く使われていた。またギリシャ神話のメドーサは蛇の頭をして人を石化させると言うが、これも「腹水で腹が膨れたらもう生きられない」という暗喩だったと伝わっている。当時は腹水と言えば肝硬変であり、そのせいで膨れ上がって血管が浮かんだ腹部をメドーサの頭に見立てたわけで、今でも腹水に寄る腹部膨満を「メドーサの頭」と呼ぶのはこの名残。それもあって、腹水を喩えに使う諺にはこのように「手遅れ」「警戒」を織り込むものが多い。

対策[編集]

腹水に関してはなるべく小まめに掛かり付け医にかかって検査をする、という事くらいしかない。若い場合は腹水の増え方も早く、心臓や肺を圧迫する事で急激に意識レベルが低下し病院に担ぎ込まれた時には手遅れだった、という事も珍しく無い[要出典]。自覚を持ってからでは手遅れと知り、世の中取り返しが付かない事があるのだと認識して日々をしっかりと生きるのが肝心と言えるだろう。

勿論この言葉は腹水だけを意味するものではない。様々な状況に通じる喩え話である。ちゃんと時間をかけて準備をして、転ばぬ先の杖ならぬ溜まらぬ先の医者を心がける事。もしも嫌な予感がしたら、その直感を信じて対策を練ること。そうやって慎重に生きる大切さを教えてくれるのが「腹水盆に帰らず」という言葉の本質なのだから。

似て異なる言葉[編集]

誤訳により混同される言葉に「溢れた乳を嘆いても無駄だ」というものがある。これは「It is no use crying spitl boobs」の「boobs」を本来の意味である「おっぱい」ではなく単に「(=ミルク)」として訳したものになるが、しかしミルクを溢したら拭けばいいだけなので「取り返しが付かない」という意味になるとも思えない。恐らくは語感によるものであろう[要出典]

また本来の意味は「二次性徴初期に恥ずかしがって[2]ブラジャーを着けなかったから垂れてしまったおっぱいも、ちゃんと需要はあるから嘆かなくていい」という慰めと励ましの言葉である。

脚注[編集]

  1. ^ 脚気が「江戸患い」と呼ばれていたようなもの。
  2. ^ ファーストブラジャーの頃は誰もがそうである。

関連項目[編集]

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