豊田章男VSワーキングプア
〜 人類 について、坂本哲志総務政務官
豊田章男VSワーキングプア | |
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戦争: 豊田章男VSワーキングプア | |
年月日: 2009年1月10日 - 2009年6月21日? | |
場所: 日本 | |
結果: ワーキングプア陣営の勝利 | |
交戦勢力 | |
トヨタ自動車株式会社 | ワーキングプア |
指揮官 | |
豊田章男 | 設置せず |
戦力 | |
単独:69,478人[1] | 完全失業者:256万人[2] |
損害 | |
非公開 | 年間自殺者:33,093人[3] |
豊田章男VSワーキングプア(とよだあきおばーさすわーきんぐぷあ)は、2009年1月10日に日本の最大手自動車会社トヨタ自動車株式会社によって宣戦布告された非対称戦争。この戦争は日本国政府のスポンサーでお送りします。
開戦の経緯[編集]
- 1993年 - 富士通株式会社が成果主義を導入
- 1995年 - 日本経営者団体連盟(日経連)が「新時代の日本的経営」を発表、事実上派遣労働が容認される
- 1996年 - 就職協定を廃止
- 1999年12月 - 労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律が改正
- 2001年4月 - 小泉純一郎が内閣総理大臣に就任
- 2002年4月 - 改正学習指導要領(通称:ゆとり教育)の実施
- 2004年3月 - 労働者派遣法が改正
- 2005年6月 - 日本経済団体連合会がホワイトカラーエグゼンプション制度を提言
- 2006年3月 - 労働者派遣法が改正
- 2006年5月 - 御手洗冨士夫が経団連会長に就任
- 2006年9月 - 安倍晋三が首相に就任
- 2006年12月 - ホワイトカラーエグゼンプションの法案要綱が審議会で諮問
- 2007年9月 - 福田康夫が首相に就任
- 2008年9月 - 麻生太郎が首相に就任
上記の経緯で努力すれば報われる社会が実現した。
- 2009年1月10日 - トヨタ自動車による宣戦布告
宣戦布告内容の概要[編集]
トヨタ自動車は、豊田章男副社長が2009年6月末に社長に昇格する人事を固めた。渡辺捷昭社長は副会長に就任、張富士夫会長は留任する見通し。トヨタは世界的な販売不振で、2009年3月期の連結営業損益は戦後初の赤字に陥る見込み。14年ぶりに創業家出身者を社長とすることで、グループ全体の求心力を高めて、業績改善を急ぐ。
戦争の終結条件[編集]
- もし、ワーキングプアが努力して豊田章男の社長就任を阻止または短期間で失脚させた場合…ワーキングプア陣営の勝利(努力要件)
- 勝利報酬はカレー味のうんこ
- もし、豊田章男が予定通りに社長に就任した場合…ワーキングプア陣営の勝利(矛盾証明要件)
- 勝利報酬はうんこ味のカレー
矛盾証明とは[編集]
政財界のお偉いサンが「努力すれば報われる社会」にしたいって言ったべや?
したっけ、おめーらが率先して「努力よりも、家柄・血筋で世襲制!!」っつーのは、なんまらおかしくねっけ?
結果[編集]
豊田章男が予定通り社長に就任したため、ワーキングプア陣営の勝利に終わった。しかし勝利に喜ぶ者は誰ひとりいなかった。
豊田章男の生い立ち[編集]
華々しい家系[編集]
豊田章男は事実上の創業者で2代目社長の豊田喜一郎の孫で、豊田章一郎の長男。
豊田自動織機創業者・豊田佐吉から数えて7代目になり、曾孫に当たる。
華々しい経歴[編集]
1956年、当時トヨタ自動車工業に勤務していた豊田章一郎の長男として生まれる。愛知県名古屋市出身。慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業した。学生時代はホッケー部に在籍していた。
その後、アメリカ合衆国に渡り、マサチューセッツ州のバブソン大学にて経営学を学び、1982年にMBAを取得した。
MBAを取得したのち、アメリカ合衆国の投資銀行にて勤務した。
1984年、トヨタ自動車に入社し、生産管理や国内営業などを担当した。1998年には、自動車関連の情報を総合的に提供するウェブサイト「GAZOO.com」を立ち上げた。
その後、アメリカ合衆国カリフォルニア州にて、ゼネラルモータースとの合弁企業「NUMMI」の副社長を務めた。
2000年、44歳で取締役に就任した。「GAZOO」や「G-BOOK」などの情報事業、中国などのアジア事業を担当した。
世界戦略として推進した「トヨタIMVプロジェクト」の立ち上げを統括したほか、調達部門のトップも歴任した。国内営業を担当する役員に就任して以来、各地の自動車ディーラーに対して飛び込み営業を自ら実施しており、各店に対し頭を下げて回るなど積極的な営業活動を行っている。
小学生のときの将来のなりたい職業は「お花屋さん」(第一生命調べ)。50年前よりも現在の方が「お花屋さん」はキビシイ世の中になっていたので、やむをえず第1希望群のトヨタ自動車に入社。入社時の条件は他の社員と同じで優遇されなかったため、屈辱的なスタートとなった。
もちろん50年後の未来は、現在よりももっと「お花屋さん」はキビしくなるする予定ですよ。[要出典]
主な発言[編集]
「俺は50年間も努力して社長の座を勝ち得たんだ! おまえらも50年間努力すればいいじゃないか!!」(記者にコップの水をぶっかけながら)
戦況の推移[編集]
- 2009年2月2日 - トヨタ自動車が本記事の作成者を虚偽風説流布業務妨害で名古屋地方検察庁に刑事告訴
- 2009年2月3日 - 本記事の他言語翻訳版が乱立
- 2009年4月29日 - 名古屋地方裁判所一審判決で本記事の作成者の有罪判決、被告は即時控訴
- 2009年6月21日 - トヨタ自動車取締役会で豊田章男の社長就任が決定
- 2009年6月30日 - 名古屋高等裁判所二審判決で本記事の作成者の有罪判決、被告は即時上告
- 2009年7月6日 - 刃物男が東京証券取引所に立てこもり、後に投降。36時間にわたって機能停止(テト攻勢)
- 2009年8月16日 - 東京地方裁判所一審判決で刃物男の無罪判決(裁判官:有罪3、無罪0 裁判員:有罪1、無罪5)
- 2009年10月17日 - 最高裁判所判決で本記事の作成者の有罪が確定
- 2010年4月2日 - 衆議院は豊田章男トヨタ自動車社長を参考人招致
- 2010年6月27日 - トヨタ自動車取締役会で豊田章男が社長を辞任
- 2011年5月3日 - 豊田章男がフラワーショップ・トヨタを開店
著名人と支持陣営[編集]
豊田陣営[編集]
〜 豊田陣営 について、浩宮徳仁親王
〜 豊田陣営 について、福田康夫総理大臣
〜 とよだじんえい について、あそうたろうそうりだいじん
〜 豊田陣営 について、ジョージ・W・ブッシュ大統領
〜 豊田陣営 について、金正日総書記
〜 豊田陣営 について、ヒラリー・クリントン国務長官
〜 豊田陣営 について、ムスカ王
ワーキングプア陣営[編集]
〜 ワーキングプア陣営 について、小泉純一郎総理大臣
〜 ワーキングプア陣営 について、リチャード・ワゴナーゼネラルモータース会長
〜 ワーキングプア陣営 について、カルロス・ゴーン日産自動車CEO
〜 ワーキングプア陣営 について、金日成国家主席
〜 ワーキングプア陣営 について、アドルフ・ヒトラー国家社会主義労働者党党首
〜 アンチ豊田陣営 について、紅月カレン
中立[編集]
〜 日本 について、羞恥心 with Paboアイドルグループ