軍艦巻

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

軍艦巻(ぐんかんまき)とは、寿司の一種であり戦争で用いられる艦艇の一種である。

分類[編集]

戦闘寿司[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「戦艦」の項目を執筆しています。

船体(シャリ)周囲が海苔による分厚い装甲で覆われているものを指す。日本のネギトロ型「大和」が有名である。

以下の記事において便宜上「戦艦」と呼称することにする。

戦艦としての寿司=戦闘寿司は大日本帝国海軍が1900年に「軍艦寿司」という名で初めて実用化した。それまでの艦艇はシャリの上に細かい武装(しょうがなど)を乗っけただけの物に過ぎず、とても戦闘艦艇と呼べるものではなかった。

航空母寿司[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「空母」の項目を執筆しています。

船体(シャリ)上にわさびを搭載できる巨大な甲板を設けたものを指す。

日本の鮭型「瑞鶴」「翔鶴」、アメリカのハンバーグ型「ヨークタウン」など。

以下の記事において便宜上「空母」と呼称することにする。

わさびの誕生と同時に寿司上からわさびを離着艦させる試みが活発になり、アメリカのアボガド型巡洋艦「バーミンガム」にわさび甲板をくっつけたのを起源とする。

駆逐寿司[編集]

駆逐寿司。丸型の爆雷が大量に搭載される。
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「駆逐艦」の項目を執筆しています。

主に対空、対潜を担当するものとされているが実際は対潜爆雷を搭載するものを指す。

丸型の爆雷が大量に搭載できる日本の納豆型「秋月」やソ連のイクラ型「レトゥーン」など。

通常「駆逐艦」と呼ばれる。

潜水寿司[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「潜水艦」の項目を執筆しています。

耐圧構造、防水構造を持つものを指す。傷ついた空母ヨークタウンに止めを刺すことになる「伊168」など。通常「潜水艦」と呼ばれる。

世界初の潜水寿司はドイツの「Uボート」で、これは船体であるシャリを防水性のある油揚げで包むという単純ながら画期的な構造であった。この構造形式の潜水寿司を稲荷型潜水艦と呼称する。前述の伊168も、稲荷型潜水寿司である。

その他[編集]

他にも鉄火型に代表される「巡洋寿司(巡洋艦)」、とろろ型戦艦に無理やりキュウリ製のわさび甲板を付けた航空戦艦「日向」などがある。

初の本格的艦隊決戦[編集]

戦艦が本格的に初めて運用されたのは1904年の日露戦争である。特に日本海海戦ではウニ型「三笠」を旗艦とした日本の連合艦隊コーン型「スヴォーロフ」を代表とするロシアのバルチック艦隊を壊滅させた。

これが大シャリ巨ネタ主義の始まりとなり、イギリスのアンキモ型「ドレットノート」や後にネギトロ型の空前絶後の巨大戦艦「大和」の開発に繋がっていくのである。

空母がもたらしたわさび時代[編集]

わさび、そして空母の登場が海戦に与えた影響は大きかった。太平洋戦争は開戦から終戦までその影響を多大に受けた戦争であった。鮪型空母「赤城」を旗艦とする南雲機動部隊は零式艦上わさび隊による真珠湾の奇襲に見事成功し、また後のマレー沖海戦では、わさびで英国東洋艦隊の誇るスパイシーツナ型戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」を醤油攻撃により撃沈したことから、空母寿司(+わさび)時代の到来は誰が見ても明らかであった。だが日本海海戦の勝利と酒に酔っていた日本は最後まで大シャリ巨ネタ主義を信じ、多くの悲劇を生むことになるのである。

終わりの始まり[編集]

その悲劇の始まりがミッドウェー海戦であった。この海戦で日本は型空母「加賀」「赤城」、烏賊型空母「蒼龍」「飛龍」の4隻を失う大損害を受けた。それより以前も珊瑚海海戦で空母対空母の戦闘は経験していたが、空母同士の対決においてはわさびの量と店舗情報の有無が勝利に繋がることに日本はまだ気づいていなかったのである。

その後も日本は鮭型空母「翔鶴」「瑞鶴」や竣工途中のネギトロ型戦艦(大和の同型艦)を空母に改装した「信濃」など多くの空母を失ったのである。アメリカの空母の甲板がハンバーグ型や玉子型など人工のものや肉が多いのに対して、日本の空母は甲板に天然のを使用していたため、戦争序盤では圧倒的な威力を誇っていたものの、戦闘時には鮮度が著しく落ちていたのが敗因であった。

大和そして連合艦隊の最期[編集]

1940年、遂に連合艦隊は空前絶後の巨大戦艦、ネギトロ型「大和」を完成させ、進水させた。

大和は当時正に帝国海軍の象徴であり、後方の冷蔵庫の中にいる事が多かったが1942年に連合艦隊の旗艦となってからは度々出撃し傷つく破目になった。が、レイテ沖海戦で同型艦の「武蔵」も醤油のつけすぎで撃沈され、とうとう大和にも最期が訪れることになる。

1945年4月、米海兵隊が圧倒的兵力をもって沖縄本島に上陸を開始した。これを受けた連合艦隊司令部は半ばヤケクソ気味に大和の海上特攻(菊水1号作戦)を計画する。わさびの援護0で沖縄海域に突入し、最大の特徴である46cmの超大口径のネギ主砲で上陸した米軍に艦砲射撃を行い、後は大和を浜に座礁させ砲台とし、乗組員は陸戦隊として米軍と戦わせるという、誰が見ても成功の望み無しの作戦であったが、「大和使わずして戦争に敗れては連合艦隊の面子丸潰れ」という理由で、面子を守るためだけにこの作戦は実施されたのである。

最終的に大和はプリンス・オブ・ウェールズと同じように醤油のつけすぎでわさびに敗れ、摂氏68度の緑茶の海に沈んだ。こうして大シャリ巨ネタ主義は終わりを告げたのである。

イージス艦[編集]

終戦後レーダーが発達して艦隊鮮度保存システム「イージー・オスシステム」が誕生すると、これを搭載した艦艇が登場してきた。これらの総称をイージス艦という。2009年現在イージー・オスシステムはイクラ型を中心とする駆逐艦、鉄火型を中心とする巡洋艦、海老天型を中心とするフリゲートの3つの艦種に搭載されている。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「艦艇としての寿司」の項目を執筆しています。
Syazai kaikenp.jpg この項目「軍艦巻」は、執筆者が徹夜でやろうとしていたかもしれませんが一身上の都合により書きかけであれなんです。お願いです社員は悪くありませんから検閲により削除してくれたら検閲により削除なんですが… (Portal:スタブ)