野次馬

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野次馬たちは今モンゴル競馬など世界各地で活躍している

野次馬(やじうま)とは、万世一系に連なる高貴なの子孫たちである。

概要[編集]

野次馬とはかつて野山を暴れまわってを蹴散らせ、伝説の暴れ馬と呼ばれた老雄馬『野王』から代々男系を継ぐ戦闘種族のことであり、現代でも野次馬の血を継いだ馬たちが細々と生き続けている。その中には野性の野次馬の他に競走馬となったもの、馬車を引っ張るもの、馬刺しとして食べられるものなどそれぞれ自らの道を歩んでいる。

もともと野を支配した高貴な馬たちの子孫が野次馬と呼ばれるようになったのは、野山の支配者野王を継ぎし馬というのが野の次の支配者という意味で野次馬(のつぎうま)と呼ばれ、最終的に野次を音読みで呼び変え代々野王の血筋を引いた馬のことを野次馬(やじうま)と呼ぶようになった。

歴史[編集]

野次馬の血を引く暴れ馬たちは日本の歴史に大きな影響を与えてきた。かつて騎馬戦は野次馬の血統が一番濃い馬を持つ武将が勝ったとされ、源平時代の武将たちは自分の力を最大限に引き出してくれる野次馬をこよなく愛したとされる。このエピソードは当時は自分と馬の走力が一番高い武将が天下をとる時代だったことを示す重要な論拠となっている。

時は流れて集団戦が当たり前となっても野次馬の重要性は高く、特に武田信玄は野次馬の一族をこよなく愛したという。実際、織田信長の鉄砲隊が長篠の戦で武田の騎馬隊を葬り去るまで武田の騎馬隊は最強の名をほしいままにしていたのだ。ただ、長篠の戦の後は野次馬が誰の元につくかで歴史が変わる時代は終わりを迎える。

競馬[編集]

長篠の戦以降は歴史の闇に埋もれた野次馬たちであったが、江戸幕府も終焉を迎えそうな幕末に思わぬところからスポットが当たる。それは競馬である。暴れ馬の一族である野次馬たちは力だけでなく早さもあり、野次馬は瞬く間に賞レースを独占するようになった。戦後もその評価は揺らぐことなくかつての平家ではないが「日本競馬界に野次馬で無き馬はなし」と呼ばれるほどになるのは時間の問題であった。実際二十一世紀となった今でも日本競馬界で輝くスターたちの先祖は野次馬であり、先祖が野次馬であることはもはや前提条件となり、そうでなければそもそも重賞に出られないほどになってしまっている。

スラング[編集]

こうした背景から競馬は野次馬のレースを楽しむ娯楽となったのだが、野次馬の語源や競馬をよく知らない人たちが野次馬を囲って熱狂している様子を勘違いし、なぜかその野次馬を囲って競争を見ている人たちが野次馬と呼ばれるようになった。さらにその勘違いした人々が物見遊山でイベントを遠巻きに見ている様子を野次馬と例えるようになったため、いつしか野次馬の指す第一意が自分が関わらない物事を遠巻きに見ている人のことになってしまったのだ。

こうして勘違いが原因とはいえ勇猛果敢な野次馬たちの名を無関係を装うチキンにつけられるという屈辱が野次馬に与えられた。これが馬でなくて人であれば訴訟ものであろう。

関連項目[編集]

Wikipedia
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