陽明学

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陽明学(ようめいがく)とは、史上稀に見る楽な宗教で、儒学の一派である。庶民に儒学が広まる原因となった。

概要[編集]

陽明学は、朱子学とは異なって、聖人になるのは超簡単である。というのも、万人が聖人になれる資格を持っているからである。

心即理[編集]

まず陽明学では、人は皆生まれた瞬間から悟りを開いている状態である、と説かれる。これは朱子学とは全く逆の思想であり、朱子学よりも数段イカれている[1]。そして、陽明学曰わく、聖人になるには静坐が必要とのこと。要は座って瞑想するだけである。

致良知[編集]

静坐し続けた結果、文字通りあっという間に聖人になることができる[2]。この状態は致良知と呼ばれ、これは知行合一(真に知ることは行動することと同じである、という考え)に基づいている。

起源[編集]

陽明学の開祖は王陽明である。彼はもともと朱子学を勉強していたのだが、修行の第一段階である理気二元論の悟りに苦労していた。その後も彼はずっと悟ろうと努力し続けたのだが、徐々に神経が衰弱して、遂にに成り果ててしまったという。これにより朱子学の教えが嘘であると勘違いしてしまった王陽明は、新しい宗派を考え始めた。しかし、そのためには何か朱子学を批判する材料が必要であった。そして、その材料となったのがやはり自らの失敗である。彼は、自らが朱子学の修行に失敗した理由を「理気二元論が理解できなかった」から「理と気は元来一つだったから」にすり替え、あたかも朱子学がデタラメであるかの様に説いてまわった。さらにその代わりに、自らの説く誰でも覚者になれるサイコーな教えを広めたのだった。これは庶民にとって大変手軽だったため大ウケしたという。

弾圧[編集]

先述した通り、これは庶民に大ウケした宗派である。そして、その誰もが聖人を名乗ることを許されているのだ。当然のことながら、身分の高い人々(主に貴族階層)や、本当の聖人は気にくわないと思ったらしく、彼らはこぞって朱子学を勉強し、聖人を目指した。その結果、陽明学において有名な人物が現れることは殆ど無かった。つまり、陽明学は弾圧されずして弾圧されてしまったのだ[3]

注釈[編集]

  1. ^ もちろん、この宗派は朱子学を批判している。
  2. ^ ここが一番イカれている点である。普通、聖人は凡人がなれる筈もなく、希少であってこそ聖人と呼ばれるにふさわしい存在である。
  3. ^ なお、日本では一瞬ながら広がりを見せた。がしかし、その自己中心的な考えを批判する人々も多く、江戸時代には幕府によって本当に弾圧される羽目になった。

関連項目[編集]