1か100の世界

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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1か100の世界とは、視野狭窄に陥った人間が迷い込む世界である。天国でもあり、地獄でもあるが、現世ではない。ジークムント・フロイト曰く「天国と地獄しかない世界」

概要[編集]

例えばこのアンサイクロペディアを例にとってみよう。Mediawikiサイトの宿命として、このアンサイクロペディアにも、荒らしは出没する。荒らしといっても一概に言い切れるものではなく、様々な経緯、確執があって荒らしになったもの、理由は分からんがいつの間にか荒らし認定されていたもの最初から荒らす目的で参加したものなど、千差万別である。

そして、それ以外の、荒らしでないユーザー。これらも、一人一人違いがある。模範的な投稿をするユーザーもいれば、荒らしスレスレの変な投稿しかしないユーザーもいるし、中には存在すら認知されない地味なユーザーもいる。皆、アカウントを通して操作している人間がおり、十把一絡げに二元化することはできないのだ。

…ところが、1か100の世界に迷い込んでしまった人にとっては、千差万別の概念が見えなくなる。「荒らしか、そうでないユーザーか」「優良なユーザーか、駄目なユーザーか」、という、二元化しかできなくなってしまうのだ。白黒の画面ですら、灰色や、黒味、白味の差異によって若干の違いがでるのに、1か100かの世界に迷い込んでしまった人間にとっては、万物が純然な白か純然な黒、どちらかにしか認識できなくなってしまう。

危険性[編集]

政治の世界が1か100の世界になると極めて危険である。為政者は、自分が統率する国民や部下達、いや全ての生き物を「自分の忠実な手駒」か「粛清すべき反乱分子」に大別することしかできなくなる。その為、大粛清が起こったり、アウシュビッツのような収容所が作られ、大量虐殺が行われたりする。

予防策として、赤や黄色や青など、様々な色で政治の世界というパレットに色染めをしてゆくという方策があるが、「白」と「黒」は「色としての力」が極めて強いため、1か100の世界になるのを防ぐための効果的な手段とはなり得ない。

黒白しかなくても世界は無限[編集]

囲碁やオセロなど、白と黒の色の駒を使って遊ぶゲームがある。白と黒のみで構成されることから、囲碁やオセロのゲームは「1と100の世界で構成されている」と解釈されがちだが、実際のオセロや囲碁の勝負を見れば分かる通り、囲碁やオセロの戦略は無限に近いバリエーションを持つ。黒と白しかないからといって、1と100しかないゲームだと判断するのは、安易に過ぎる。漫画なども、黒と白で無限の世界を構築する典型である。黒と白の色しか使われていないが、漫画家達は自分の創造力を駆使して、広大に広がる世界を構築して行く。しかし、流石に黒と白の色だけで世界を構築する作業は辛いようで、何年も続けているとマンネリに陥り、世界観が単純化する傾向がある。

滑稽千万な曲解[編集]

とある荒らしは、1か100の世界が危険であるという解釈を曲解して、アカウントやIPアドレスを1つしか持たないと視野狭窄に陥り易いから沢山駆使した方がいいと標榜。ソックパペットやオープンプロキシを多数駆使して普通の編集や荒らし行為など玉石混淆の編集を行った。その結果、全てのアカウントを遮断された。

語源[編集]

この言葉の生みの親はかの野比のび太である。彼はいつも成績が悪く、先生から叱責されていたが、ある時逆切れして「いっそのこと、テストの平均点より上の生徒は全部100点、下の生徒は全部1点にして、落ちこぼれとエリートを峻別すればいいじゃないか」と主張した。その主張はある人には同意され、ある人には嘲笑され、とにかく巷間に拡散して、1か100の世界という言葉が生まれる土壌を作っていった。

ところで何故のび太は「落ちこぼれ」の点数を0点ではなく1点にするべきだとしたのか。そこには、のび太の優しさが反映されている。のび太は「いかなる落ちこぼれにも最低でも1点は与えてやるべき、その1点が励ましになるから」という信条の持ち主だった。その為、「1か100の世界」を提唱したのである。

一方別の解釈もあり、のび太が0は無であると解釈していて、いくら落ちこぼれでもなかったこととして扱われるのはあまりに憐れだとして最低点を0ではなく1にしたという見解もある。まあいずれにせよ、のび太が優しい人物であるという評価は不動だろう。