JR京都線

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JR京都線(ジェイアールきょうとせん、本名東海道本線)は、京都大阪を結ぶ鉄道路線の1つである。を飼っている。

家族構成[編集]

はとても従順で、飼い主の言うことをワンワンと聞くが、は反抗してくることがある。ただしそれはJR京都線にとっては痛くもなんともない猫パンチ程度であり、かわいいもんである(向こうは張り合ってるつもりらしい)。犬は最近では弟である奈良線にもいじめられている。更に友達の京都市営地下鉄にもいじめられている。

ライバルは東海道新幹線である。京都 - 新大阪間を新快速は約25分、関空特急はるかは22分で激走するが、新幹線は僅か13分(遅くても16分)で走り抜ける。流石に新幹線には勝てないのでは? と言われているがまだまだあきらめんよ。

歴史[編集]

国鉄時代(黒歴史)[編集]

今でこそ阪急や京阪を屈服させ、その立場をペットにまで落としたが、国鉄時代は苦戦を強いられていた…というか、一方的にボコられていた。今とまるで逆である。

事の発端は戦前にまで遡る。当時の鉄道省が誇るご自慢の特急「」が、並行して走る新京阪鉄道(現在の阪急京都本線の前身)の電車にブチ抜かれるという事件が発生。ところが鉄道省は、いくら新線とはいえども線形で劣るはずの私鉄に省線が劣るという事実を認めず、この件も嘘と断定し手をつけなかった。しかし、これこそが以後50年近くにわたって悔恨を引きずる第一歩となってしまうのである。

やがて国鉄が発足してからも、JR京都線(国鉄京都線とでも呼ぶべきか)はカボチャ大量生産された通勤型車両などの関東のお古が走るような路線であり、今の広島のような扱い…ここまで酷くは無かったが、まぁ当時の国鉄本社が大阪環状線などに力を入れていたのは事実である。

関西版の山手線のようなイメージを持っていたのかもしれないが、大阪市の大動脈は御堂筋線であり、一極集中の東京と違い京都・大阪・神戸の三都市全てが昼間人口>夜間人口であるという京阪神の事情を本社は理解していなかったのである。

というか、大阪以外(大阪も冷遇されてたが)の冷遇度が半端なかった。奈良線山陰本線も2両編成の列車がたまに走る程度のローカル線であった。ホンマ、東京の奴らはどんだけ京都を嫉妬しとんねん。実際のところ沿線住民は京阪阪急阪神といった併走私鉄の無料特急に流れていたのである。国鉄も黙ってはおらず、昭和中期には反則といえる東海道新幹線を阪急線に並行して敷設したが、当然ながら在来線たる京都線には全く相乗効果などあるはずもなかった。

そうして大阪鉄道管理局が「新車を!」と本社に頼み続けた結果、117系という阪急や京阪の特急に劣らない車両を貰い、国鉄の逆襲が始まった。

新快速の登場[編集]

一般的に、国鉄が民営化されてから私鉄王国の崩壊が始まったと言われているが、実際のところ国鉄の時代からじわじわと併走私鉄を追い詰めていった。まずは153系という急行の余りのような車両を使い新快速の運用が始まったが、当時は昼間しか走ってなかったし、運賃値上げと被ったこともあってこれは大して私鉄にダメージを与えられなかった(この頃の新快速も特急雷鳥と併走し、しかも新快速のほうが速いというエピソードもあるが、今のゆとり世代からしてみたら特急より新快速のほうが速いなんて当たり前すぎるからどうでもいいわ)。

117系登場により状況は変化する。この車両は起動加速度はカボチャと同じだったが最高速度は115km/hと他の私鉄を圧倒していた。

当時の停車駅は京都 - 大阪 - 三ノ宮と新幹線並で、起動加速度の悪さはそれほど問題で無く、なんと京都 - 大阪間を29分と今と同じ時間で走っていた。

もともと京都線は京都大阪間を一直線で結んでおり、阪急や京阪よりも5km程度距離が短くスピードでは有利な立場にあったのは確かである。それでもこの時点で無料特急では表定速度で最速であり、国鉄の在来線の列車の中では様々な特急を抑え、2番目に速かった。

これは競合私鉄に強烈なダメージを与え、結果阪急のノンストップ特急は減便させられた。ただ、この時点でも新快速は昼間のみの運用であり、新快速以外の車両は相変わらずボロボロであったためまだまだ阪急や京阪のほうが有利だった。

普通なんて半分が吹田で折り返しだったし。

JR西日本発足[編集]

ここから壮絶な私鉄いじめが始まった…

JR西日本は知ってのとおり、赤字ローカル線を大量に抱えており、ドル箱東海道新幹線お隣に奪われてしまった。つーか、何やねんあの分け方、新幹線持つならせめて北陸引き取れや、赤字路線ばっか押し付けやがって。このような絶望的状況下、民営化したのでなんとか黒字を生み出さねばならない。そこで隣の会社をぶっ壊す戦略に打って出た。

田舎はこの時点で車社会と化しており、新たな需要を生み出すのは難しい。電車社会が根付いた地域から奪いとるほうが圧倒的に楽だからね。そのために開発された兵器が221系(通称便所カー)であった。コイツの威力は凄まじく、120km/hで阪急・京阪をなぎ倒していった。

高槻に停車したのに所要時間は同じという鬼畜っぷりで、阪急・京阪特急のノンストップを終わらせたことは有名であるが、もう1台、私鉄に大打撃を与えた車両があった。新兵器、207系である。京都( - 高槻) - 大阪がいくら速くなっても、実際にはその間の向日町とか、吹田などの普通しか停まらない駅の利用者が大半である。ここの高速化を狙った。

新快速の停車する京都・高槻・大阪戦線では完勝をおさめたJRはそれだけでは飽き足らず、途中駅でも客を奪おうとしたのである。207系は後に120km/hで阪急百貨店と間違えてマンションに突っ込み、JR西日本に大打撃を与えることになったが、大きな窓にふかふかの座席、120km/hを出せる高い性能、強いブレーキなどで京都線の普通を高速化させることに成功した。(阪急の自爆と重なったこともあり、京都-高槻間では阪急の特急よりJRの普通のほうが速い

吹田発着の普通が高槻発着になり、快速も高槻京都間は普通として運用されたことにより高槻京都間の普通は1時間8本になった。阪急の普通が6本であったため本数でも時間でも完全にJRが有利に立ったわけである。新快速ばかりが有名だが、実際に客を奪ったのは207系をはじめとする緩行線の高速化が大きい。

さらば阪急、お前もまさしく強敵(とも)だった!!![編集]

それは、何の前触れもなく突然やってきた

阪神淡路大震災である。突如やってきたこいつは阪神間の道や線路をズタズタに寸断し、建物を倒壊させた。しかし、ボロボロの状態から民営化させられたJR西日本は恐ろしくしたたかで、転んでもただでは起きないたくましい大阪らしい企業に成長していた

震災でやられたのはウチだけじゃない、阪神も阪急も同じだということで逆に阪神阪急の客を取り込むチャンスだと考えたのである。他のJRの力も借りつつ、最も早く復旧したJR西日本は阪急や阪神がまだ復旧してないから臨時のお客さんが多く乗ってくるだろうから増発して対応するという大義名分の下、新快速をラッシュ時に増発しまくった。新車である223系もここで投入された。とにかく臨時の客にJR西日本の凄さ、素晴らしさをこれでもかと見せ付けたのである。

この効果は絶大だった。阪急や阪神は復旧したのに客が帰ってこない(涙 JRの素晴らしさを見せ付けられ、見事に洗脳されてしまった沿線民は、再び元の私鉄を利用することは無かったのである。阪急阪神の復旧後もラッシュ時の新快速の大増発は維持され、今も朝は新快速が10分間隔ぐらいで走っている。ということで、京都大阪にはあまり影響が無かった阪神大震災だが、思わぬ形で京都線は恩恵を受けることになったのである。

JR東西線開通[編集]

併走私鉄の「これ以上新快速を速くしないで!!!」という叫びを完全に無視し、223系が続々と配備され、遂に新快速の130km/h運転が始まった。京都〜大阪間を27分、大阪〜三ノ宮間を19分(!)というとてつもない速さは沿線住民の度肝を抜いた。阪急は未だにボロの6300系とかを使ってるのに、JRには新車が続々と投入され、複々線ということを生かしたラッシュ時の大増発を敢行。京阪神は完全にJRが圧勝した。

しかし、JRはそれだけでは満足しなかった。JRの野望はいつの間にか併走私鉄全てを叩き潰すことに変化していたのである。今まで悔しいっ…ビクビクッな思いをしてきたため、私鉄王国に復讐してやろうと何十年と抱えてきた黒い物が噴出してしまったわけである。あの最強私鉄である阪急が屈服したのに、どうして他の私鉄を屈服できないことがあろうか。

JRは次々と刺客を送り込んだ。南海には阪和線近鉄京都線には奈良線近鉄奈良線近鉄大阪線などには大和路線といった具合に。そして、京阪に追い討ちをかけるために学研都市線を尼崎まで延ばし、新たにJR東西線として開業。JR宝塚線と無理矢理くっつけることで、阪急宝塚本線の客まで奪おうとした。JR神戸線との直通運転で利便性は格段に上がり、今津線を使ったほうが宝塚まで早く着くような阪急宝塚本線との違いは歴然であり、ここでも勝利して「いよいよ阪急倒産か!?」などという噂も流れた。

しかしこれがまずかった。既に限界は来ていたのである。無茶なダイヤ、過剰な直通運転、無謀な分割併合…それによる慢性的な遅延。それでも遅れたら日勤教育。そのときまでたまたま事故は起きなかっただけで、いずれしっぺ返しを喰らうのは明確だった。

そして2005年4月25日、そのしわ寄せはJR福知山線脱線事故となって降りかかる。対応のまずさもあいまって、名実共にJR史上最悪の事故となってしまった。しかし怪我の功名とも言うべきか、今までの「駆け込み乗車が1人出れば遅延」という無謀ダイヤは終わりを迎え、京都 - 大阪間は28~30分、大阪 - 三ノ宮間は21分、京都駅大阪駅での長時間停車など、かなりのゆとりダイヤとなった。

ちなみに事故前は140km/h運転も計画されていたらしいが、一体どこで140km/hを出すつもりだったのかは永遠の謎である(130km/hでも一部区間しか出してないのに)。

路線[編集]

京都~高槻[編集]

この区間では快速が鈍足で、普通電車と全く同じスピードとなる。新快速は高槻までノンストップなので約13分で行けるが、快速は高槻までの全6駅にチンタラ停まるため約22分もかかる。最近まで4駅だったのだが、島本・桂川と新しく2駅もできたせいでなおさら鈍足になった。乗ってみると「早く高槻に着かないかな」と少し憂鬱に感じてしまう。ただし、何故か朝だけは長岡京以外には停車しないので、鈍足ではなくなる。

京都駅関西一のでかさを誇るといわれており、見る者を圧巻させる。未来都市を示しているとされ、「古都」京都には合わないような意見が散見されるが、京都市民の「明治以来衰退を恐れ、進取の気持ちを育ててきた」ものが実ったのだと考えれば、その象徴として相応しくないとはいえない。

京都を出ると一気に新快速が本領を発揮し、山城から摂津へ向かって保障外な暴走を始める。ここから先、鼻息の荒さが車内にまで伝わってくる。向日町で通過する新快速を見ることができれば、鼻息の微風と前面の右上にできている青筋が見て取れるだろう。「悲しいけど、これって競走なのよね」と、内側車線から特急列車を追い越す新快速も風物である。

長岡京市を過ぎると、山崎付近で阪急京都本線をまたぐ。並走して走るうんこ色電車を尻目に、一気にJRの列車が抜き去っていく。この辺りでは「設備の差が性能の差ではないことを教えてやる!」と特急vs新快速の勝負の付き所でもあったが、見かねたJRが「情けない」とコメント、後に「阪急に勝てさえすれば良い」と両車和解で成立した。

高槻~大阪[編集]

この区間に入るとようやく快速が本当の快速に変身する。新快速は新大阪までノンストップであるが、快速も途中で茨木にしか停車しない。京都から快速に乗っていると、高槻を発車した瞬間、憂鬱な気持ちも吹っ飛ぶだろう。日中は両方合わせて毎時8本もあるので、利便性も高い。ちなみに何故か人口35万人と高槻とほぼ同じで、茨木より多いはずの吹田には快速が停車しない。

大阪府に入ると、社会主義国家の建国を目指して不穏な動きが続く高槻市大阪民国入国審査の為一旦停車。その後、茨木市の茨木駅、摂津市の千里丘駅を過ぎると、広大な空き地が大阪方面に向かって右側の車窓を埋めるようになる。国鉄の残滓のひとつ、吹田操車場跡地である。消えてから20年以上たっても、未だに再開発が進まないところには、日本や大阪府の斜陽が象徴されているのかもしれない。

吹田市の吹田駅を過ぎるとその残滓も消え、商都大阪市に入って東海道新幹線にまたがられる新大阪駅に到着するが、その手前の東淀川駅は新大阪駅となる予定であった地位を今の駅に奪われ、あわや廃止になるところ、地元住民に救われた貴重な駅である。こういう所もあることを見逃してはならない。

大阪市周辺の東海道本線の線路は、わざわざ淀川を二回も渡って梅田に寄るようになっている。この線形は、大阪市民(俗称として大阪民国民)の隠れパワーを象徴しているかのように見える。淀川の橋には東京出発500kmと丁寧に書いてあり、感動を誘いそうだが、誰も見ない。そして大阪駅に到着する。ここから先はJR神戸線を見てください。

車両[編集]

京都線では以下の4つの車両が使われている。他に特急(爆笑)や貨物も走ってる。これらは全て近畿車輛によって開発されている。

223系[編集]

関西私鉄王国を潰すために開発された最終兵器近畿車輛渾身の一作である。新快速といえばコレ、というようなJR西日本を象徴する車両であるが、最近では快速として使われることも多くなってきたし、湖西線で普通として走ることも多くなってきた。

221系[編集]

昔の新快速、みやこ落ち快速。一見するとまだまだ使えそうだが、30年物なのでアチコチにガタがきている。座席は黄ばんでるし、隙間風が吹くし、ドアはガタガタ言うし、便所の臭いがするし、未だに6両編成の奴があるし…。

最近は皆の視線も厳しくなってきている。続々と奈良に飛ばされてるが…。

207系[編集]

JRの車両にしては加速が良く、座席の座り心地が良い。120km/hでぶっ飛ばして関西私鉄王国をブチ壊すはずが、120km/hでぶっ飛ばしてマンションをブチ壊してしまった。そのままではいくらなんでも縁起が悪いので、とりあえず車両を塗り替えてごまかすことにした。一見すると321系との区別は難しいが、内装を見れば一目瞭然である。

321系[編集]

本線から国鉄車を追放するために作られた車両。見た目は格好良く、120km/h出せるが、良いのはそれだけだった。蓋を開けてみれば性能も座席も床も皆酷かった。まぁでも、201系や205系を追放できたからいいか。あいつら100km/h出るかどうかすら怪しいからな。車内には1両あたり豪華12面ものテレビが備え付けられている。京阪のテレビカーに対抗したことまではよかったが、地デジ対応ができていないことが最近わかった。

225系[編集]

前面衝撃吸収構造、それに加えあの怖い顔。何をたくらんでいるのかすぐにわかる。 これも、車内のブラウン管式テレビは地デジ対応ができていないことが最近わかった。

トレインサーキット[編集]

JR京都線は表定平均が

  • 新快速 91km/h(京都~高槻間は評定平均108km/h)
  • 快速  75km/h(ノンストップ時代の阪急特急並)
  • 普通  57km/h(京阪特急並)

という超高速路線であり、繰り広げられるトレインサーキットには定評がある。 特に山崎付近で行われる阪急との山崎の戦いは日本で最も有名なトレインサーキットであろう

山崎の戦い[編集]

山崎の併走区間でJR(国鉄)と阪急の間で戦前から繰り広げられる伝統ある戦いである。 当時の阪急京都本線に走っていたP-6が国鉄の誇る超特急「つばめ」を併走区間で追い抜いたことがきっかけで勃発し、戦前から今に至るまで戦い続けている。

関連項目[編集]

東西線で押しくらまんじゅう.jpg この「JR京都線」は、延伸の案が出ています。延伸して下さる協力者を求めています。 (Portal:スタブ)